水俣で語り始めた人々

公式確認から60年 口を閉ざしてきた関係者の「証言」

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「私は人殺しの片割れ」と謝罪したチッソの元従業員、中村和博さん(93)=2016年1月9日、笠井光俊撮影
「私は人殺しの片割れ」と謝罪したチッソの元従業員、中村和博さん(93)=2016年1月9日、笠井光俊撮影

 「公害の原点」といわれた水俣病が初めて保健所に届けられた「公式確認」から5月1日で60年になる。人間でいえば「還暦」。発生初期の様子を知る関係者が続々と鬼籍に入る中、これまで水俣病について語ることがなかった人々が、口を開き始めている。今年1月、熊本県水俣市で開かれた「水俣病事件研究交流集会」では、生まれながらに水俣病を患った胎児性患者の前で、原因企業「チッソ」に勤めていた元従業員(93)が「(自分が)水俣病の殺人犯の片割れと思うと心苦しい」と謝罪した。水俣病研究の第一人者、原田正純医師(2012年に死去)の妻、寿美子さん(72)も別の集会で初めて思いを語った。5月1日に予定されていた「水俣病犠牲者慰霊式」は、熊本地震の影響で延期が決まったが、患者だけでなく患者を支える人々にとっても、つらい記憶を呼び起こし、「二度と繰り返すまい」と胸に刻む日となる。【平野美紀】

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