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第87回都市対抗野球

全力投球で「熊本を元気に」 大津町・ホンダ熊本、荒西祐大投手 優勝候補に惜敗

京都市(日本新薬)戦で先発し、笑顔を見せる大津町(ホンダ熊本)の荒西投手=東京ドームで2016年7月17日、野田武撮影

 第87回都市対抗野球大会第3日の17日、熊本地震の被災地から出場を果たした熊本県大津町・ホンダ熊本は、優勝候補にも挙げられる京都市・日本新薬に2−5で敗れたものの、大観衆の温かい声援を受けて全力で戦った。終盤まで1点を争う緊張のマウンドを守ったエース、荒西祐大投手(23)は「一度はもうできなくなるかと諦めかけた野球。感謝の気持ちで投げた」。【出口絢】

     チームは今回、東京入りにあたって、あえて飛行機を使わなかった。大分までは陸路、そこから神戸までフェリーに乗り、再びバスに乗り換え、合わせて19時間。「野球ができる喜びをもう一度かみしめてほしい」。岡野武志監督(42)の思いを受け止め、荒西投手は「初心に戻ることができた」。

     3カ月前の熊本地震の直後、チームは同じルートを逆方向に、遠征先の茨城県から熊本へ向かった。被災した家族や同僚の元へと急ぐ気持ちを抑え、買い集めた物資をありったけバスに詰め込んで走った。

     大津町に着くと、幸いにも寮に大きな被害はなかったが、会社は稼働停止となった。震度5クラスの余震が続き、深刻な物資不足に陥っている地域もあった。その時、真っ先に動いたのが荒西投手だ。

     「自分は震度7の本震を経験していない。地元にいた人たちはどれほど恐ろしかったか。だからこそ助けになりたい」。どこで何が不足しているのか、最新の情報をインターネットで収集。チームメート3人を誘い、パンや水、カップ麺を車に積み込んで、死者5人を出した西原村を目指し自らハンドルを握った。

     亀裂が入ったり、落石が転がっていたりする道の脇には、倒壊した家屋や崩れ落ちた瓦の山があった。「夢を見ているのではないか」。チーム内に5人いる熊本県出身者の1人。傷ついた古里の惨状に胸が痛んだ。

     「こんな時だからこそ頑張ってほしい」。ホンダ熊本製作所の島原俊幸所長の一言で、本震から10日足らずの4月25日にチームは全体練習を再開した。「野球をやらせてもらえるなら、結果を出して元気を届けたい」と、九州地区予選の4試合中3試合を完投してつかみとった本大会出場権。荒西投手は「ずっと野球中心の生活で、支えてくれる人たちの存在に気付いていなかった。熊本でいまだに震災前の生活に戻れずにいる方々のためにも、自分たちは野球で頑張る姿を見せてゆく」と誓った。

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