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第3回 「はじまりのはる」 端野洋子さん

端野洋子「はじまりのはる」(講談社)1巻

 東日本大震災後の福島をどう描くか。第3回は福島県内の高校生らを主人公にした「はじまりのはる」(講談社)の漫画家、端野洋子(はの・ようこ)さんのインタビューをお届けする。

     端野さんは福島県白河市在住。同県西郷村で生まれ、大学時代に酪農、畜産を学んだ。この経験を生かし、1巻では福島県内の高校で酪農などを学ぶ主人公、純が東日本大震災や東京電力福島第1原発事故で大きく変化する周囲の状況にのまれながらも自身で未来を切り開く姿が描かれている。

     2巻でも震災、原発事故を設定に取り入れ、原木シイタケ農家の長男、研一を主人公に据えた。原発事故の放射性物質でシイタケ栽培が打撃を受け、実家が廃業を余儀なくされる中、「理系で科学好きだが、人の心の機微にうとい男子高校生」(端野さん)の研一が自分たちの世代で故郷を再生させることを誓い、奔走する姿を多くの取材を基に正面から描ききった。作品は雑誌連載時から大きな話題を呼んだ。

     1、2巻とも「身近なもの」が物語の軸になっているという。端野さんは福島県在住であっても震災後の福島を描くことに「覚悟が必要だった」と語る。どのような思いで物語を完成させたのか。自身の立ち位置と当事者との向き合い方、作品に必要だった視点などを聞いた。【石戸諭/デジタル報道センター】

    「漫画を使って、福島の酪農家の状況を何とか伝えないといけないと強く思った」

     −−1巻目の後書きに福島県のことを「ネタとして消費する側でもある私はまじめに描くしかないと思っています」と記しています。

     ◆1巻の第1話「ミルクボーイ」は震災の前に書き終えていました。続編をなかなか描くことができずにいた頃に震災、原発事故が起きました。元々、福島県南部の高校に通う酪農がやりたい高校生という狭い世界を舞台にしようと決めてスタートした話です。それなら、起きてしまった震災、事故が無かった福島を描くことはできない。2011年4月にはそう決めていました。そのときは情報も錯綜(さくそう)しており、福島県内の農家には自殺者も出ていました。これを何とかしなければいけない、と強く思いました。

     物語では酪農を舞台にした以上、まず酪農家の現状を何とか伝えよう。そこで描き終えたのが、1巻第2話です。原発事故の影響もあり震災前の主人公たちの「酪農をやりたい」という思いだけでは話は描けません。そもそも酪農ができないという状況を避けるわけにはいかないと。この話では地元の風景をかなり盛り込んでいます。近所の知り合いの酪農家に写真を撮らせてもらっています。これまで続編の絵コンテは出しても編集会議でボツが続いていましたが、11年6月には掲載が決まりました。

     その頃のメディアを通した福島県は死の土地であったり、パニック映画の舞台のようなイメージで語られたりしていました。それに対して住んでいる人が怒りや正論をぶつけても、「悲劇の土地フクシマを消費する側」には伝わりづらいのではないかと思っていました。実際にはこうなっているというのを、漫画という一つのメディアを通して伝えたい。そうした状況を全力で描こうと決めました。何より、立ち向かわないと、周囲の状況からしても「何人が消耗して死を選ぶかわからない」という実感があったのです。

     −−1巻では震災後に主人公の純が獣医を目指すと決めるところで終わります。

    端野洋子「はじまりのはる」(講談社)2巻

     ◆子供たちもそれぞれ抱えているものが違います。あの頃はまいっちゃって勉強なんかできないとか、単純に不安だという子供もいました。せめて漫画の中だけでは目標を決めることで、抱えるストレスに押し潰されなくてすむのではないか、ということを示したかった。そう思って万能な解答ではないですが、獣医を目指すというラストを描きました。

    「描いている本人が何もせず、きれい事を描いても何も伝わらない」

     −−純が骨髄バンクの登録を決めるというシーンも描いていますね。自分たちができることをやるという姿勢を感じます。

     ◆「いちえふ 福島第一原子力発電所労働記」(講談社)の竜田(一人)先生が福島で働いたのと同じような気持ちです。「大変だ、大変だ」と言うだけではなく、「じゃあ、あなたは何ができるの」という提案をしたかった。「子供の白血病が増えるかもしれない。心配だ」と言うなら「あなたが骨髄バンクに登録すればいいべや」と。骨髄バンクに登録すれば、白血病患者に移植する道が切り開けるというのは私自身が体験的に知っている事実です。登録者が増えることで、患者が治る可能性は増えます。

     漫画はエンターテインメントでもありますが、一つのメディアでもあります。描いている本人が何もしていない、自分の手を動かしていない、汗もかいたことがない、という中できれい事を描いたところで、説得力があるのかどうか分かりません。この考え方は昔から変わりませんが、震災後、私自身ができる範囲のことはやろうと考えてきました。

     自分が何かしたことがないと説得力を持って、何かを語ることができません。変に代弁者面をしても誰もついてきてくれないのです。少なくとも現場の人が読んで、納得してくれるようでないといけないと思っています。

     −−美談だけで終わらせず、実践することを重視していますね。

     ◆一つの話題に対し、プラス評価とマイナス評価はつきまといます。マイナスを無視していいかというと、そうではない。良いことも悪いこともあるのに、一部しか切り取らないと何にも心に残らない。裏付けのない美談はともすれば、もろい話になる可能性があります。人がやることには失敗もありますし、良い話も悪い話も全部聞いて、どういう切り取り方をするかが私の仕事で問われるところだと思っています。被災者にしても、一面的な美談を描かれると逆に本人を苦しめる結果になるかもしれない。

     私は福島県南相馬市のボランティアで行方不明者の捜索を続けてきた「福興浜団」、富岡町の方が組織した「相双ボランティア準備室」の活動には暇があれば参加するようにしています。その中でも3年が経過して、関心が薄れているという話が出ています。昨日(14年5月25日)も南相馬市の浜辺で作業していました。地元の方から声がかかるうちは頭数程度の役にしか立ちませんが、行こうと思っています。「心を痛めている」からこそ、行動や形で示したかった。私は体もそこそこ丈夫で、見て描くのが仕事です。ならば、実際に行ってお手伝いをしなければ分からない感覚を体に覚えさせて帰らないといけないのです。漫画のシーンで使わせていただいたこともあります。私が住んでいる「高原の町」と「海の町」の発想は違いますね。作業中に、ふっと出てくる海の町独特のユーモアもあります。一緒に泥にまみれないとわからないことがあるのです。

     私には漫画家として、ちょっと見聞きしたことを類いまれな想像力で補うという力はありません。ならば、それを逆手に取って、行ってみよう、やってみようを基本にしています。ボランティアに行っても、福島に住んでいても、浜通りの方は何も知らないなと体感しています。行くたびに「立ち入り制限が解除になっても問題は山積している。震災から変化が少ししかない」と思いながら作業しています。同じ県に住んでいても知らないことが多い以上、福島の代表者面であったり、代弁者面したりするなんてことは絶対にできません。

    「これ以上、寿命でもない人が無駄に死なないなら後は何でもいい」

     −−2巻の冒頭では原木シイタケ農家である主人公・研一の父が原発事故でシイタケ栽培を断念せざるを得なくなり、思い詰める様子が描かれています。

     ◆それぞれのお宅の事情については詳しく申し上げられませんが、あの時期に精神的にいろんなものを抱えて、亡くなった方もいます。見せ方は考えましたが、「みんながくじけずに頑張っている」だけでは状況は伝わらないと思いました。「こんなことを描いて、当事者はどう思うか」という感想も頂きましたが、特に2巻は私自身が経験したか、直接見聞きした話を中心に、シイタケ農家に取材もしています。原木シイタケ自体、家庭で幼少期から酪農以上に身近な存在でもありました。私の家は畑の裏に熊が出てくるような場所にありますし、父は西郷の林の恵みで生計を立ててきました。震災後は汚染された山中で仕事が行き詰まり、東電との損害賠償交渉に参加していました。

     漫画の取材で東電と原木シイタケ農家の賠償交渉にも行きましたが、事故後、まだ初期だったので東電の担当者に対し、農家が怒りをぶちまけるという構図で、かなり緊迫していたことを鮮明に覚えています。

     そんな状況の中、父が震災後、ぽつりと漏らしたのが「こんな状況でも俺が自殺しないのは死ぬ度胸が無いからだ」という言葉でした。

    取材ノートを広げる端野さん=福島県白河市で、石戸諭撮影

     相当、追い詰められた中での言葉だったと今は思います。父だけでなく、交渉が進んでいない方はたくさんいます。まず自分ができることとして、身近な人から何とかしないといけないと思いは強くなりました。いくらこれまで単行本を出したことがない駆け出しの新人でも、漫画というチャンネルを与えられている以上、何とか伝えないといけない。特に2巻で出てくる一つ、一つのエピソードは他人の遠い話を描いているのではなく、自分の記憶から取り出してきています。

     今回は何とか漫画表現に落とし込みましたが、普通に描けばやはり怒りや恨みが強く出てしまい、物語とのバランスが取れなくなってしまいます。実際、担当(編集者)からそう指摘されて何度も描き直しました。私はまだ怒りや恨みという気持ちについて、まだ自分は整理ができていないのだなと思うことが多々あります。

     「ふざけんな」とか「あいつが悪い」という話は延々と描けますし、ある意味楽に描けます。しかし、それをやってしまうと、物語としては読まれないですし、取り返しがつかない表現をしてしまうと思います。

     −−研一は理系で成績も学校でトップクラス。研究者を志し、科学的に正しいかどうかを軸に、自分が置かれた状況を把握しようとしています

     ◆クラスには理科が大好きで、人の心の機微に多少疎いっていう子がいましたよね。こうだと思い込むと一気に突き進む。勉強はできるけど、欠点も多く、実は頭よく立ち回ることができないという子です。本人は必死に考えているけど、本当に周囲が見えていない。

     科学の目で物事を捉えるのは大事なのですが、他人の機微に関係なく、正しい主張をすればOKだと思い、実際にどう伝わるかはあまり気にしていない。正しさ一本で押し通そうとします。実は研一は自分の心の機微にも疎い。だから、自分でも気づいていない原発や震災による心のダメージがふとした瞬間に出てきてしまうというキャラクターなのです。自分の悲しさとか寂しさに気づくのも少し遅い子です。だから、少し空回りして見えてしまう。

     −−研一は科学的知識を知ってはいますが、どう伝えるかまでは考えていない。科学の伝え方は震災後も大きな課題として残っています。

     ◆そうですね。こうした問題の側面を体現している性格とも言えます。科学的な問題はある程度は共通認識になりました。しかし、私が実際に体験したことでもありますが、震災を機に、抱えていた家族関係や不安感、本人の性格などの理由も重なり、孤立しがちな人たちが一定の割合でいます。その中には生活に関する全ての不安を「放射性物質」の問題であったり、「原発」の問題として語ろうとする人もいます。よくよく話を聞いていると、科学的な知識を一方的に語られてバカにされたと思ったり、疎外されたような気持ちになっているということが分かります。そもそも科学じゃなくて自分が抱えている感情を何とかしてほしい、と思っている人もいる。こうした人たちは周囲から置いてきぼりになりがちです。どう対応していくかという問題が次のステップにはあるだろうと思っています。

     研一も同級生や周囲の不安に対して、科学のど直球を投げ込むことでしか対応していない。彼は置いてきぼりになった人にどう届けるかは考えていません。研一が科学的に正しいと評価する人もいますが、人の気持ちを理解することに関しては明らかにずれています。このずれがこの子がこの子たる部分なのです。科学的な正しさを理解しただけでは現場で苦しむ人にアプローチできない。研一はどこにでも首を突っ込む暴走気味の性格ですが、それで多少はマシな状態でいます。少なくとも当事者として現場を知ろうとしていますからね。

     知識はまず一歩ですが、聞いてすぐ納得する人と、わからない人もいますよね。今回の問題は複雑で人によっては恐怖を感じる話題だったりします。そこをどう伝わる言葉にしていくか。安定した日常に戻れるようになってほしいです。避難するのも福島に住むのも個々人の判断です。まずは安定を取り戻すのにどうしたらいいかを考えないといけない。

     −−「置いてきぼり」の象徴的なキャラクターが研一の幼なじみ、基(はじめ)ではないでしょうか。冷静に見える研一に対し「原発に怒っていないの?」と怒りをぶつけ、「誰かを罵(ののし)って解決するなら24時間365日そうする」という研一に「(何も解決しなくても東電を)罵って殴ってやりたい」という思いを抱きます。

     ◆基は自分の気持ちの機微に非常に敏感な子です。震災後の混乱で訪問看護を呼んでもらえず、看病していた祖母を自宅で亡くします。それも自分の目の前で。その時何もできなかった後悔を抱えている子なのです。基のように繊細な部分で悩んでいる人は多いと感じています。基も実は原発や補償の問題を正面から語りたいというわけではないと思います。祖母の死というとんでもない理不尽な経験を消化しきれていないから、分かりやすい言葉を選んで研一にぶつける。でも、研一はあんな調子なので、科学の知識と研一なりの正論をぶつける。これではお互いの気持ちはすれ違うままです。

     基は研一にぶつけますが、今はインターネット上で言葉をぶつけることでしか発散できない人もいます。時々、私もぶつけられるので「なんで?」と思うこともありますが、話を聞いているといろんな背景があります。落ち着いた時に日常に戻れる人もいますが、戻れない人もまだ残っているのです。精神的なダメージを受けている人をどう対応するかは課題として残っていると実感することが多いです。

     −−研一の妹は自主避難先から戻ったとき「逃げてたくせに」と先輩に言われ、傷ついています。

     ◆この話の中で実際、県内で起きていた嫌なことをどう描くかはものすごく考えます。きれい事ですまない話はいっぱいありますし、見聞きしました。事実だからといって、一歩出し方を間違えると実際にモデルになっていないにしても、似たような経験をされた方は落ち込みます。回復できない精神的なダメージを与えるかもしれない。だから深く、考えないといけない。安易には出せません。

     私はこれ以上、福島で無駄に人が命を落とすようなことがなければいいと思っています。寿命でも何でもないのに人が死ぬことがなければ、それでいい。後は何でも構わないのとすら思います。科学的な問題は証拠が出そろい始めています。問題は孤立していたり、疎外感を感じていたりする人にどう届けるかです。たまにテレビやネットなどで変な情報が流れて、それを検証しきれず独りで悩んでいる人が残っているのも現実問題としてあります。この人たちを知識が無いと笑って終わらせずに、もっとどう届けるかを考えないといけないのです。

    「感情の問題は中心に行けば行くほど、単純化できないと気づく」

     −−個人の経験、取材だけでなく、広く情報を収集していると感じました。

     ◆シイタケ農家の話を描くにしても、福島だけでなく他県の人も巻き込んでしまう可能性があります。視野を広く取らないと、どんな表現やせりふで巻き込んでしまうか分からないので、気をつけるようにはしました。経験の絶対化は非常に怖いことだと思っています。

     避難された方の中には自分の経験を基にして、福島県が安全だというだけで傷つくという方もいます。その気持ちも分からないことはないのです。そう話すのは、本当にしんどい人たちなんですよ。地元に帰れない、賠償で人間関係もずたずた。避難先でもなじめず、自宅も避難生活でぼろぼろ。個人の経験を絶対化したくもなります。私はまだ余裕がある立場なので、そういう気持ちもあるよね、という受け止める幅を持っておかないと。

     そんな状況に置かれたら多少、周囲に攻撃的にもなりますよね。まともに反論することがかえって傷つけることになります。ちょっと押したらひっくり返る人もいますよ。ここで、ケンカをしてもしょうがないですよ。面白がって疎外感を突っついても仕方ないでしょう。時間で解決するしかないという話でもあると思っています。

     あと、自分の限度も知らないといけません。取材して、調べたからといって自分の言説で何でもかんでもできると思って、しゃべりはじめると流れ弾で他の人を傷つけることもあります。本当に注意しないといけない。

     −−端野さんご自身の立ち位置はどこに置いているのでしょうか

     ◆いくら住んでいます、当事者だといっても、そもそも福島県自体が広大です。さらに同じような被災をしたといっても、AさんとBさんで立場が違えば感情も違う。それをひっくるめて、代表的な福島県人などいないということを常に注意していました。私は漫画を描かせていただき、原稿料としてお金を頂くのが仕事です。福島をネタにすることを良くないと思う人も当然います。

     大事なのは「分別」です。例えばここから南相馬市に行ったとしたら、私はもう「よそ者」ですよね。いろいろな経験から「よそ者」への警戒心が震災後、強まった人もいます。そこの分別をしないといけません。

     私は自分がどこの地べたに立っているかは常に意識しています。なんだかんだ言っても、(出身地の)西郷の人間で、大きくいえば林業の家の子供という立場でものを考えています。そこを見失ってしまうと人には届かないのではないかと。

     同じ福島県民でも津波の被害に遭ったり強制避難になったりした人たちとの間で自分の立場をわきまえることは大事だと思います。分別せずに踏み込むと信頼を失うことにつながります。

     いろんな人を話していても、自分とは感覚が違ったり、仕事に応じて困っていることが違ったり、気にしている点が違ったりします。人が傷つけられて怒っているのに、自分が別の方向から傷つけるような発言や表現をしたら、それはもう終わりだなと思いながら描いています。

     −−相当な覚悟があった。

     ◆はい。なるべく謙虚にあちこちいって話を聞かせていただき、自分ができる範囲で勉強を全部しないと、私は福島に関する表現はできないのです。感情の問題は中心に行けば行くほど単純化できないと気づきます。あまりにも複雑です。

     そこは竜田先生のお話にもあるように下から、下から見ていって描かないと多様な県土があって、それぞれの場所で問題があって、何とかしようという人がいたりします。それを見ないといけない。

     得た情報の取捨選択、出し方はメディアに関わる人のセンスが問われる場面だと思っています。原発の賛否だったり、放射性物質の見方にしても、立場は一緒でも言っていることが微妙に違ったりします。そういう問題は誰か1人に寄り添うのではなく、ちょっと俯瞰(ふかん)してみることを心がけています。問題は賛否という二極ではないのではないでしょうか。そこに個人の抱える複雑な問題が集約されて言葉にされて出ていると感じることがあります。利害であったり、補償であったり、不安感であったり、生活であったり。感情の問題もあります。それを一個ずつ切り分けて、整理していくというのが震災後の人にものをお伝えする仕事では大事になっていると考えています。

     震災後の福島を描くということは、視野の広さとその人の経験、人間社会を捉え方があらわになると思います。描くことは、自分の器の大きさをさらすこと。そのくらい覚悟を決めないと、反論や指摘が来た時に、そこで何も言えずに終わってしまいます。問題のスケールも大きいので、いっちょかみ(大阪弁で何にでも口をはさむ人)では何かを語るには無理だと思って描いてきました。

     −−今後の展開が気になります。

     ◆福島を舞台にした以上、知り合いが読んでいることがあります。せっかく単行本にするなら、何十年たっても妥当性がある漫画にしようと決めていました。まずは2巻までで自分がこの間、調べたこと、経験したことは出しました。

     今は次に向けて取材をしたり、勉強をやり直したりしている期間ですね。描きたい話はありますが、分からないことも多いのです。シイタケ農家の話もあと3年くらい知見を積み重ねたら、描かないといけないと思うネタはたまっています。できれば成長した研一の姿を描きたいのですが……。

    端野洋子さんの自画像

     たぶん、研一はこの調子なら大学でものすごく勉強して、勢いで他の放射性物質による災害があった地域までキノコを調べに突っ走ると思います。こいつを調べに行かせてあげられるかどうかは私次第です。何とか、今後の可能性や方向を少しでも伝えられる作品に仕上げたいと思います。

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