メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

公開 当時の混乱伝える証言 生々しく

福島第1原発の免震重要棟で行われた本店(東京都)や原子力安全・保安院とのテレビ会議の様子。発言者は吉田昌郎所長。撮影は2011年5月30日(東京電力提供)

 ■「減圧」「注水」綱渡り 現場知らずの命令

     世界を震撼(しんかん)させた東京電力福島第1原発事故について、政府の事故調査・検証委員会が関係者に実施した聴取結果書が公開された。特に注目されたのが、現場指揮官の吉田昌郎所長の「吉田調書」。暴走する原子炉とどう向き合い、200キロ以上離れた東京の東電本店、首相官邸と時に対峙(たいじ)しながら何を思ったのか。生々しい数々の証言は、事故から3年半がたった今も、緊迫感を伝えている。(肩書、組織はすべて当時)

     ■3月11日

     ◆水位、確認甘く反省

    震災発生

     −−全交流電源喪失の報告を受けた。

     「まいってしまった。大変なことになったと。シビアアクシデント(過酷事故)になる可能性が高い。非常用ディーゼル発電機を生かせられないかと考えた。それがなくなったらどうしようと。非常用復水器(IC)とかあれば、数時間は冷却できるけれど、次はどうすると頭の中をぐるぐると回っていた」

     −−非常用ディーゼル発電機が使えないことになった。

     「絶望した。どうやって冷却するかは、検討しろと話したが、自分で考えても、答えがない。マニュアルでは、ディーゼル駆動の消火ポンプを動かすが、非常に難しいと思った。いずれにしても、水を突っ込むしかない。2号機のメタクラ(電源盤)を流用して、動かせるポンプはないかを検討しろと」

     −−注水に必要な電源をどこに求めたか。

     「交流電源は電源車を持ってくるしかない。本店にお願いしたが、いらいらするほど来なかった。監視機器を生かす直流電源も本店に要求した。徐々に届き始めたとの感覚はあるが、復旧の現場は待てど暮らせど来ないという感覚」「本店は手当たり次第、集めたものを送ってくる。使えるか使えないか、仕分けしないといけない。そこに現場の人間が取られてしまう。非常にロスだ。ちょうど合うものを持ってきて、というのが私たちの強い要望だった」

     −−午後6時18分時点で、ICの弁を開閉しているようだが、情報は上がってきたか。

     「聞いていない」

     −−ICが動いていない可能性があるという情報は。

     「入っていない。ICについて言えば、当直がシステムが生きているというふうにずっと思っていた」

     −−炉心損傷を懸念しても良さそうだが。

    津波の濁流に洗われ、2〜3メートル浸水する福島第2原発1号機南側=2011年3月11日(東京電力提供)

     「基本的に把握していなかった。私の反省点だが、発電班長から情報は出てこなかった。ICは大丈夫かということを、何回も確認すべきだった。思い込みがあって、水位がある程度確保されているから大丈夫かなと思っていた。SOSが来ていれば人を手配するが、全部見てるから、いちいち指示することはなかなか難しい。こちらから聞かなかったことに、私は今、猛烈に反省している」

     −−11日夜の認識は、ICが動いていたと。

     「(ある程度の水位があることを見て)ほっとしたけど、やはりおかしいぞと。格納容器の圧力が上がり、水位は全然変わらなくて、その後、炉圧が下がるというところと絡めれば、水位は信用できないなと。おかしいというのはもう一つ、午後9時51分の線量。非常に高いと聞き、おかしいと。冷却できていれば、(放射性物質が)漏れることはまずないから線量は上がらない。炉の状況が分からないが、燃料損傷に至っている可能性はあるなと」

     ■12日

     ◆爆発「想定してない」

    菅直人首相がヘリコプターで福島第1原発に到着

     −−総理は何をお話しされたんですか。

     「かなり厳しい口調で『どういう状況になっているんだ』と聞かれたので、電源がほとんど死んで、制御が利かない状況ですと。後は『ベントどうなった』というから、一生懸命やっていますけど、現場は大変と話しました。記憶はそれぐらい」

     ベント 

     −−午前1時30分に1、2号機のベント実施を総理らに申し入れて了解を得ている。

     「(原子)炉水位が下がっている可能性だって否定できない。そうなってくると、ベントが必要だろうと併せて指示をした」

     −−午前6時50分に経済産業相が法令に基づくベントの実施命令を出した。

     「こちらでは頭にきて、できないと言っているのに何を言っているんだと、極端なことを言うと、そういう状態ですよ。命令出してできるんだったらやってみろと、そういう精神状態」

     −−そのころ、総理が向かっている。その辺がベント操作を遅らせた?

    通電し内部の様子が明らかになった1、2号機中央制御室=3月23日、原子力安全・保安院提供

     「全くない」「格納容器の圧力を下げたくてしようがないわけですよ。だけど、できないというぎりぎりの状態。総理が飛んでいようが、何をしようが、炉の安全を考えれば、早くしたい。現場としてはそうです」「どれをやってもうまくいかないという情報しか入ってこない。ベントと言えば、すぐできると思っている人は、我々の苦労が全然わかっていない。腹立たしいところではあるが、私より現場でやっていた人間の苦労の方がものすごく大変。100(ミリシーベルト)に近い被ばくをした人間もいます」「最後は手動でやるしかないと。被ばくさえすれば、できるかと腹をくくってやったんだけれども、結局ベント弁は近づけなかったという状態で、手動もあきらめているんですね」

     −−ベントは午後2時30分に放射性物質の放出を判断したと。

     「ベントは排気筒の上についている線量計で線量が上がればわかるんですけれども、監視できない。できるのは、ドライウェル(格納容器)圧力が下がっているかどうかくらい。ちょうどテレビカメラが1号機を捉えていて、これが午後2時半ごろ、ぽっと白い煙みたいなのが出るんです。ドライウェル圧力が下がってきたのと同じような時刻で、ベントした可能性が高いと」

    ベント成功と判断して約1時間後の午後3時36分。1号機で水素爆発が発生

     −−爆発はどう把握されましたか。

     「全然想定していなかった。操作すれば注水が完了できる状況になっていた。その時に下から突き上げるような、非常に短時間、どんという振動があり、また地震という認識でおりました。そうしているうちに、現場から帰った人間から、1号機の原子炉建屋の一番上が柱だけになっているという情報が入り、何だそれは、と。けがした人間も帰ってきて、爆発したみたいと聞きました。その時点で、原因が分からない状況でした。その日のうちに、水素による爆発だろうと見えてきた」

    1号機を冷却するための海水注入が始まる。吉田氏は官邸にいた東電幹部の注水中止指示を無視した

     −−午後2時54分に海水注入を実施するよう発電所長指示と(記録が)ある。

     「その前から準備していた。どちらかというと、準備指示ではなく、実施指示に近いものを、私はしていたような記憶があります。ただ、爆発でできなくなった」

     −−海水を入れると、機器が全部使えなくなる。何とか真水でやり切らないといけないんじゃないかとか。

     「全くなかった。燃料が損傷している段階で、この炉はもうだめだと。なだめることが最優先課題で、再使用なんて一切考えていないですね」

     −−海水による原子炉への注水開始が午後8時20分と(記録が)あり、東電の公表によれば午後7時4分にはもう海水を注入していた。なぜずれが生じている?

     「正直に言いますけれども、(午後7時4分に)注水した直後ですかね、官邸にいる武黒(一郎・東電フェロー)から私に電話がありまして。電話で聞いた内容だけをはっきり言いますと、官邸では、まだ海水注入は了解していないと。だから海水注入は中止しろという指示でした」「ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでした。どれくらいの期間中止するのか指示もない中止なんて聞けませんから。中止命令はするけども、絶対に中止してはだめだと(同僚に)指示をして、それで本店には中止したと報告したということです」

    福島第1原発事故初期の主な経過と吉田昌郎氏の関連証言

     ■13日

     ◆「機関銃で穴、考えた」

    3号機の冷却装置「高圧注水系(HPCI)」を手動停止した

     −−12日夜から13日未明、原子炉水位が見えなくなった。逃がし安全弁(SR弁)では減圧できず、HPCIを再起動しようとしたがだめだった。話は聞いていなかった?

     「全くないです」

     −−HPCIが止まったのが午前2時42分。注水が始まる午前9時25分まで6時間40分程度ある。

     「もうこの時は死ぬと思ったから、早く注水したいわけだが、条件が整わなかった」

     −−淡水注入は午後0時20分に終了し、午後1時12分には海水注入を開始した。

     「海水だろうが、淡水だろうが入れられるものは使えと指示していたので、海水か淡水かはこだわっていなかった。ただ、再臨界を防ぐためにホウ酸を突っ込んだ方がいいとあって、ホウ酸を溶かしやすい淡水注入をまずやった」

     −−海水注入は所長権限なのか。

     「普通の操作ならマニュアルに従ってとなるが、海水注入は本邦初公開、インターナショナル初公開。マニュアルもないので私の勘というか判断でやる話と考えていた」

     「水を注入することと、格納容器の圧力を下げることの二つをやめろと言うのは、私にとって全部雑音だ。本店から電話で『まだ官邸が海水注入を了解していない』という話があったので、私は『もう入れているんだから、このまま注水を継続する』と言ったら、『四の五の言わずにやめろ』と言われた。その時の電話だけはいまだに覚えている。やってられないなと」

     −−3号機に水が入ったのが13日午前9時20分ごろ。

     「水が入って、マイナスだった水位がプラスに回復した。うれしくてたまらなかった。けれども、これがまた(水位計の不具合で)うそをつかれていた。三つのプラントを判断した人なんて今までいませんよ。思い出したくない」

    福島第1原発の構造(沸騰水型軽水炉)

     −−1号機で爆発に至った。他の号機でも水素爆発を防ぐ手立ては検討したのか。

     「もちろんだ。原子炉建屋の圧力がある程度上がると外側に破れて圧力を逃がす構造のブローアウトパネルがある。2号機、3号機でも水素爆発が起こることは頭にあったので、本店と相談した。原子炉建屋に入れない状態ではパネルを開けない。作業によっては火花で発火することもありえるので、火花の出ないウオータージェットができないかと考えた。しかし、すぐに実行できる状況にない。2号機は現場に行った人間が、1号機の爆発の影響か、パネルが開いていることを確認した。3号機をどうするか。自衛隊のジェット機か何かが来て、機関銃か何かで穴を開けてくれないかくらいのことも考えた」

    使用済み核燃料プール問題

     −−使用済み核燃料プールに何らかの手立てを講じなければと思っていた?

     「最初から。燃料プールも冷却できないから、使用済み核燃料の崩壊熱で温度が上がって水が蒸発していくだろう、手を打たないといけないと思っていた。4号機はその時点で建屋に入ることが問題なかったはず。温度は見てきてくれと」

     −−当初からプールの状態を監視しないといけないとの認識はあったのか。

     「4号機は、1年間燃えた一番熱い燃料を入れている。温度の上がりしろから言うと、4号機が一番クリティカルになるから、4号機の燃料プールも非常に重要だと」

     ■14日

     ◆不明者…死を覚悟

    午前11時1分、3号機が水素爆発

     −−14日午前7時ごろ、(3号機が)異常な圧力になり、線量も異常に上昇している。

     「午前9時半か10時ぐらいに、爆発する可能性があるから、免震重要棟に全員退避をかけた。2号機の注水準備を放っておけないので、私もものすごく迷った。本店との電話で、いつまで退避させるんだという話があって、わからないけれど、爆発する可能性があるから現場に人間をやれないと私は言った。本店から、そろそろ現場にやってくれないかとあって、ちょっと圧力が落ち着いてきたから、現場に出したら、爆発した」「ゴーかけて、自衛隊が行って、準備したらすぐばーんという感じだったと聞いている。現場から四十何人行方不明という話が入ってきた。爆発直後、最初の報告で、私、そのとき死のうと思った。本当なら、そこで腹切ろうと思っていた。徐々に情報が入り、人命を落とした人はいない。がれきが吹っ飛んでくる中で、現場にいて、死人が出なかったというので胸をなで下ろした。仏様のおかげとしか思えない」

     −−爆発から、一旦現場から引き揚げる。どういう判断で(作業を)再開したのか。

    爆発で壁面に穴が空いた東京電力福島第1原発4号機(奥)=2011年3月15日撮影(東京電力提供)

     「現場を見に行った人間が続々帰ってきて、がれきの山です、消防車もどうもダメージを受けている、道ががれきでぐずぐずになっているという話があった。みんなぼうぜんとして、思考停止みたいになっていた。そこで、全員集めて、こんな状態になって、私の判断が悪かった、申し訳ないと話した。非常に大変な状態で、けが人も何人か出たが、現場に水を入れないといけない。現時点で注水が止まっているだろうし、2号機の注水の準備をしないといけない、放っておくともっとひどい状態になる。もう一度現場に行って、注水の準備に即応してくれと頭を下げて頼んだ。そうしたら、本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです。給水ラインの復旧に全力を挙げてくれ、やるぞと言うと、みんながおうっという感じで。ほとんどの人間は過剰に近い被ばくをして、やっとそれで間に合って、海水注入が午後4時半に再開できた」

    正午以降、2号機の 水位が下がり続け、午後6時22分、燃料が全部露出した可能性

     −−2号機に水を入れることについて、どう考えたのか。

     「ベントなどはどうだっていい。どうでもいいと言うのはおかしいが、ベントを急いでいるわけではない。ミッションは注水。ベントは、そのために圧力を逃がしておけば出やすいだろうと。時間は覚えていないが、官邸から電話があって、班目(まだらめ)(春樹・原子力安全委員長)さんが出て、早く開放しろと、減圧して注水しろと」

     −−いきなり電話してきたのか。

     「名乗らないんですよ、あのオヤジはね。何かばーっと言っているわけですよ。もうパニクっている。なんだこのおっさんは。四の五の言わずに減圧、注水しろと言って、清水(正孝社長)がテレビ会議を聞いていて、班目委員長の言う通りにしろとわめいていた。現場もわからないのに、よく言うな、こいつはと思いながらいた」

     −−何もできない状態だったのでは。

     「私だって早く水を入れたい。だけれども、手順がありますから、現場はできる限りのことをやろうと思うが、なかなかそれが通じない。ちゅうちょなどしていない。現場がちゅうちょしているなどと言っているやつは、たたきのめしてやろうかと思っている。早く圧力下げる、早く水入れる。これしか考えていないのに」

     −−最終的には減圧もやって、水を入れようとなったが、減圧に時間がかかった。

     「いろいろチャレンジしたが、最初、全然動かなくて、どんどん炉水位は下がるわ、弁は開かないわ、一番死に近かったのはここだった。やっと弁が開いた。ところが今度は、いつでも注水できるように前からスタンバイしていた消防車が油切れになった。油補給に行った。一秒一秒、胸が締め付けられるような感じで、本当に水が入るのかな、入らなかったらメルト(ダウン)する、ものすごく線量上がってくる。そうするとその後、1、3号機の注水に誰も行けなくなる。放射能が第2原発までいってしまい、作業できなくなる。どうなるんだと頭をよぎったが、最悪はそうなる可能性がある。本当に綱渡りのぎりぎりのところで、やっと水が入って、そこまで生きた心地がしなかった」

     ■15日

     ◆「撤退、言っていない」

    未明、2号機への注水がうまくいかない。作業員の安全を懸念し吉田氏が退避に向けた指示を出す

     「総務の人をひそかに部屋へ呼んで、何人いるか確認しろと。協力企業の方は車で来ていらっしゃるから……。うちは何人いるか確認しろ、特に運転・補修に関係ない人間の人数を調べておけと。使えるバスは何台あるか。何かあったらすぐに発進して退避できるように準備を整えろと」

     −−(4号機が水素爆発する)15日午前6時前にそうして。

     「2号機はだめと思ったんです。1、3号機は水を入れていたでしょう。(2号機は)水が入らないんですもの。溶けていくだけ、燃料が。燃料が溶けて1200度になりますと、圧力容器の壁、格納容器の壁もそのどろどろで抜きますから、(燃料が地下に向けて溶け落ちる)チャイナシンドロームになってしまう。放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメージは東日本壊滅ですよ」

     −−最低限の人間を残そうと考え、すぐに退避となっていない。

     「水がやっと入ったんですよ。入ったという兆候が出たんで、助かったと思ったタイミングがあるんです」

    午前6時14分、4号機が水素爆発

     −−午前6時から6時10分ごろ、2号機の圧力抑制室の圧力がゼロに。衝撃や音は。

     「この日の朝、菅総理が本店に来られるということで、テレビ会議を通じて本店とつないでいた。中央操作室から、ゼロになったという情報と、ぼんという音がしたという情報が入ってきた。ゼロということは格納容器が破壊された可能性がある。確認は不十分だったんですが、非常事態と判断し、運転と補修の主要な人間だけを残して一回退避しろという命令を出した」

     −−4号機は。

     「中央操作室に行った時に何か衝撃波があって、上を見たら4号機の壁がべろべろになっていると。だから、ぼんという音が4号機の音なのか、2号機の圧力抑制室か何かがブレークした音なのか、いまだに分かりません。4号機がブレークした音が、3、4号機の中央操作室に入ろうとした人間がものすごい圧力波を受けたと言っていますから、4号機の音だと思います。今から思えば」

     −−4号機で何が起きたと思ったか。

     「最初のぼんが何かよく分からなかったので、一番可能性があるのは使用済み核燃料プールで燃料が過熱しすぎてブレークしたのかなと。それにしても、解せないんですね。南北にどーんと穴が開いて、東西に穴が開いていない。かつ3、4階。どうしてそうなるのか。3号機から水素が行ったというのも、いまだに私は信用していないんです。でもそれ以外の原因がないと。エンジニアとして解せない。どこが一番やられているか現場に入れるようになって、見ないと分からない」

    4号機の水素爆発前の午前5時35分、菅首相が東電本店を訪問し、撤退などあり得ないと発言

     −−2、4号機で特異な事象が認められる前に本店に菅首相たちが来た。何をしに来たのか。

     「叱咤(しった)激励に来られたのか何か知りませんが、社長、会長以下、取締役が全員そろっているところが映っていました。そこに来られて、何か知らないですけれども、えらい怒ってらした。要するに、お前らは何をしているんだと。ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分が悪かったことだけ覚えています。そのうち、こんな大人数で話すために来たんじゃないとかで、場所変えろと何かわめいていらっしゃるうちに、この事象(4号機の水素爆発)になってしまった」

     −−テレビ会議の向こうでそれをやられているうちに起きた。

     「そうそう。ですから、こっちで退避しますよと言ってやったんです」「音がしたことと、(圧力が)ゼロ、この2点は大きいと思った。安全側に判断すれば、放射能が出てくる可能性が高いので、一回退避させようと、2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配したんです」

     −−15日午前10時か午前中にGMクラス(管理職)はほとんどが帰り始めた。

     「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。これがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は運転手に2Fに行けと指示をした。私は福島第1の近辺で所内にかかわらず、線量の低い所に一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまったと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、まずGMから帰ってきてとなった」

     −−所長の頭の中では、福島第1周辺の線量の低いところ、例えばバスの中で。

     「確かに考えてみれば、みんな全面マスクをしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」

     「退避騒ぎに対して言うと、何をばかなことを騒いでいるんだと。私は言いたいんですけれども、逃げてはいないではないか、逃げたんだったら言えと。逃げたと言ったとか言わないとか菅総理が言っているんですけれども、何だばか野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろなんてちっとも言っていないではないか」

     −−言葉遣いとして「撤退」という言葉は使ったか。

     「使いません。『撤退』なんて。菅が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、ばか、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」

     −−政治家の間でそういう話になっている。

     「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って。一言。誰が逃げたんだと所長は言っていると言っておいてください。事実として逃げたんだったら言えと」

     −−ある時期、菅さんは自分が東電が逃げたのを止めたんだ、みたいな。

     「あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。私も被告です、なんて偉そうなことを言っていたけれども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、ばか野郎と言いたい。議事録に書いておいて」

     ■過酷事故の対策

     ◆電源喪失「誰も思わず」

     −−過酷事故対策で、複数が同時に故障するという事態を想定していたか。

     「残念ながら、3月11日まで私も考えていなかった」

     −−なぜ考えなかったのか。

     「中越沖地震(2007年)で柏崎刈羽原発(新潟県)は同時にいったんです。えらい被害だったんですけれども、無事に安全に止まってくれた。今回のように冷却源が全部なくなるということにならなかった。設計用地震動を何倍も超えている地震で、ある意味実証されたんで、やはり日本の設計は正しかったという発想になってしまったところがある」

     −−外部電源が喪失した場合に、電源融通元もダメになる場合は想定していたか。

     「世界で原発は400とか500あります。いろんなトラブルを経験しているわけですけど、今回のような電源が全部枯れてしまうことが起こっていない。そこが思い込みだったかもわからないですが、自信を持っていたというか」

     −−消防車を水源として注水することは頭にあったか。

     「後づけで言う人が多いんでは。消防車だって何台も買っておけよと。中越沖地震で火災になったから消防車を買った。この消防車を注水に使おうというところはつながっていないですよ」

     −−通信設備としてPHSが重要だから、もう少し持つように検討しなかったか。

     「そこまで想定してPHSを使うことを誰も思っていない。今、保安院(原子力安全・保安院)が出している改善策では全然十分ではない。対策を徹底的にやるべきだ」

     −−訓練時もPHSが使えない状況を想定していないのはなぜ。

     「電源がどこか生きていると思っているんですよ、みんな。電源がなくなるとは誰も思っていない」

     ■地震・津波想定

     ◆保安院は基準決定せず

     −−用地は安全性を確保できる場所を選定する。

     「貞観(じょうがん)津波(869年)のお話をされる方に、特に言いたい。波源で考えたとき、うちは3メートルか4メートルぐらいしか来ないから、十分持つという判断を一回している。マグニチュード(M)9が来ると言った人は、今回の地震までいない。何で考慮しなかったというのは無礼千万と思っています。そんなことを言うなら、全国の原発は地形などに関係なく、15メートルの津波が来るということで設計し直せと同じ」

     −−土木学会の指針、基準は権威、客観性があるんですか。

     「声を大にして言いたい。原発だけではなくて、2万3000人死にましたね。M9が来て死んでいるわけです。こちらに言うんだったら、あの人たちが死なないような対策をなぜ、そのときに打たなかったんだ」

     −−原子力安全・保安院などが(想定津波を)もうちょっと上げた方がいいと示唆することはあるか。

     「保安院さんもある意味汚いところがあって、先生の意見をよく聞いてと。要するに、保安院として基準を決めるとかは絶対にしない。あの人たちは責任をとらないですから」

     −−1F(福島第1原発)に異動された。

     「やだな、と。プルサーマル(ウランとプルトニウムの混合燃料の使用)をやると言っているわけですよ。はっきり言って、面倒くさいなと。自治体、保安院に挟まって、極めて不毛な議論で技術屋が押しつぶされているというのがこの業界。案の定、面倒くさくて。それに、運転操作ミスがわかり、申し訳ございませんと県だとかに謝りに行って、ばかだ、アホだ、下郎だと言われる。くそ面倒くさいことをやって、ずっとプルサーマルに押しつぶされている。一日も早く辞めたいと。そんな状態で、申し訳ないけれども、津波だとか、その辺に考えが至る状態ではございませんでした」


     ■人物略歴

    吉田昌郎(よしだ・まさお)氏

     東京工業大大学院で原子核工学を専攻し、1979年に東京電力に入社。一貫して原子力の技術畑を歩き、2010年6月に福島第1原発所長に就任。13年7月9日に食道がんのため58歳で死去。


    非公開前提に聴取 政府、報道受け一転公開

     政府事故調は事故当時の政府首脳や関係省庁幹部、東電の幹部や福島第1原発所員ら772人から事情を聴いた。聴取は非公開が前提で、事故調委員や検事らの事務局員が実施した。

     吉田所長への聴取は、2011年7〜11月、計28時間あまり行われた。当初は畑村洋太郎委員長ら複数の委員も出席していたが、後半は事務局員のみで進められた。菅直人首相を「おっさん」などと呼ぶのは、11月の最後の聴取だ。

     今年5月、朝日新聞が吉田所長の聴取結果を入手したとして内容を報道。吉田氏は生前、調書が国会の事故調査委員会に提供される際、「内容がすべて事実として独り歩きしないか」と懸念を表明し、第三者への公表を望まない旨の上申書を政府に提出。政府も当初は公表しない方針だった。しかし、8月に入って産経新聞など他メディアが朝日新聞の報道内容を否定する内容を報じた。政府は「内容の一部が独り歩きしている」として公表に転じた。

    住民避難判断情報なく−−菅直人・元首相に聞く

    菅直人・元首相=2014年9月、内藤絵美撮影

     吉田昌郎所長は事故が東日本壊滅につながる可能性を指摘した。私の認識も全く同じだった。政府が当時作成したいわゆる「最悪のシナリオ」によると、最悪の場合は首都圏の5000万人が避難を強いられる可能性があった。吉田氏は現場責任者として、私は政府の責任者として、同じ危機感を持っていたということだ。

     当時の原子力安全・保安院は機能喪失し、東電本店からも事故に関する情報が上がってこなかったため、直接電話で現場に状況を問い合わせたり、現地を視察したりする必要があった。吉田氏の負担になったことはよく理解できる。だが、情報がない中で避難を決めるのは危ない。他の手段がないなら現場に聞くしかなかった。

     清水正孝社長が海江田万里経済産業相を経由して撤退の意向を示したのは確かだ。海江田氏がそう理解したのに、私がそれを無視できない。東電が撤退を考えてはいけないというわけではない。社長は職員の安全を考えるのが役目だ。しかし、私は東日本全部のことを考えないといけない。

     撤退は清水社長単独の判断ではないと思い、(2011年3月)15日に東電に乗り込んだ時、本店の他の幹部に向けて「撤退はあり得ない」と言った。それをテレビ会議で見た吉田氏が「そんなつもりはない」と。それはその通り。吉田氏は最後まで頑張るつもりだった。清水社長と見方が100%一致しているわけではない。彼の発言は私の発言と矛盾しないし、私への反論とも受け止めていない。

     吉田調書は、事故の原因解明が終わっていないことも示した。例えば、1号機の非常用復水器(IC)について、吉田氏はなぜ動いていると見誤ったのか。これらを究明するためにも、早く国会事故調の後継組織を作り、すべての未解明問題について検証すべきだ。

     原子力事故の特殊性についても強調しておきたい。今回の事故は「5000万人の避難」など人間がコントロールできる限界を超えていることを示した。戦争に負けるのと同じぐらいの被害をもたらす恐れがあることを肝に銘じるべきだ。【聞き手・尾中香尚里】

    関連記事

    毎日新聞のアカウント

    話題の記事

    アクセスランキング

    毎時01分更新

    1. もう二度と 相模原殺傷事件1年 娘の死、向き合えぬ 62歳父、がん延命拒否 「会って抱っこしたい」
    2. 相模原事件 「やまゆり園」止まったままの日常 内部公開
    3. 傷害容疑 「歩きスマホが悪い」と体当たり、女性が重傷
    4. 阪神電鉄 駅ホームから転落、特急にはねられて男性死亡
    5. 相模原事件 甘えん坊の娘、現実結びつかない 被害者の父

    編集部のオススメ記事

    のマークについて

    毎日新聞社は、東京2020大会のオフィシャルパートナーです

    [PR]