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大田弘子・元経済財政担当相「政治がメッセージ作れず、遠のいた構造改革」

大田弘子・政策研究大学院大教授=東京都港区で2015年7月9日、内藤絵美撮影

 民間から内閣府に入り、小泉政権で「構造改革のエンジン」といわれた経済財政諮問会議の運営に携わった大田弘子・政策研究大学院大学教授。第1次安倍内閣、福田内閣では経済財政担当相として入閣した。「格差が拡大したのは構造改革のせいではありません」と話す大田氏に聞いた。【聞き手・尾村洋介/デジタル報道センター】

−−格差が小泉政権で広がったとの指摘がありますね。

大田さん 雇用格差の拡大を小泉構造改革のせいだと言う人がいますが、データをきちんと見れば1997年から急速に非正規が増えていることが分かります。グローバル化する中で97年のアジア経済危機以降、製造業が国内にそれまでのような多くの雇用を抱えていくことができなくなり、雇用構造の変化、産業構造の変化を受け止めきれなかったんです。

 小泉内閣がやったことは、政府による再分配で経済を支えるのをやめることだった。世界経済の構造が変わったら国内の経済構造を変えない限り成長はできない。労働市場の改革が必要だし、高齢化の進展に伴い税と社会保障の改革も必要だったんです。日本ではバブル後の景気悪化を公共事業などで支えてきたのですが、それで支えられるはずがないんです。グローバル化で製造業の海外移転が進むなか、地域経済をどうするかを考えなければならなかった。そこで公共事業を減らし、再分配を減らした。そのことへの批判はすごく強くて、新しい経済構造はどうあるべきかを議論しなきゃいけないのに、「元に戻せばうまくいく」という反論が出てくるわけですね。自民党の中ですらそういう意見が非常に強かった。「元に戻せば」っていうのは再分配の復活です。再分配はみんなうれしいし、政治家は再分配が多くなればなるほど役割を発揮できるわけですから。

−−バブル崩壊が日本の長期停滞の主因のようにいわれますが。

大田さん バブルがはじけただけではありません。90年前後に世界経済も日本経済も大きな転換点を迎えました。ベルリンの壁が崩れて冷戦構造が終わり、ソ連が崩壊し、東西ドイツが統一され、同じころEU(欧州連合)が生まれた。アジアではインドが経済危機に直面して経済体制を開放し、中国は(改革・開放政策の加速を指示した)92年のトウ小平氏の「南巡講話」を機に開放政策が本格化する。ブリックス(BRICs)と言われる新興国のうち経済的に大きいIとCができるわけです。90年代後半からアメリカはIT革命で生産性を上げ、再び世界経済をリードし始めます。90年代にはグローバル経済が劇的に変わっていきます。日本国内では高齢化が急速に進みました。

 しかし、日本は89年に株価が最高値を付けてバブルのピークにあり、91年にバブルが崩壊した後、不良債権処理に10年もかかりました。そのために、世界の変化を受け止めきれなかったんですよ。

−−小泉政権当時、構造改革の必要性についてどのような認識でしたか?

大田さん やっぱり供給サイドの改革こそ重要で、需要をつけても意味がないと思っていました。90年代は政府が財政を投じて需要を作りました。しかし、世界経済の仕組みが変わったら、それに合わせて国内も仕組みを新たな形に変えていかない限り成長はできない。まして日本の場合は高齢化が急速に進むのですから。だから、構造改革が必要だったんですよ。私は「改革なくして成長なし」というのは今でも正しいと思っていますよ。

 小泉改革では金融機関の不良債権処理をきちんと終えて、かろうじて世界景気が回復するのに間に合った。2002年からアメリカの旺盛な消費が世界経済を引っ張り、アジアも急速に成長する息の長い景気回復期に入るわけですが、ぎりぎり間に合って、小泉改革の間に長い停滞をやっと脱するわけですよね。

−−5年5カ月の小泉政権が終わり、出向先の内閣府から一時大学に戻っていた大田さんは第1次安倍内閣に民間出身の経済財政担当相として初入閣します。

大田さん 安倍内閣では、経済が安定し危機が去ったということもあって、政治の世界で大きな揺り戻しがありました。私は小泉改革を続けるべきだと思い内閣に入っているんですけど、公共事業を減らし、再分配を減らした小泉政権の手法への批判はすごくて。諮問会議を事務方としても担当してきた私が国会で答弁するとすごいヤジで、強い風圧を感じました。

−−非正規雇用や格差の問題への対応が安倍政権の喫緊の課題になっていました。「再チャレンジ」という言葉もよく使われました。

大田さん 97年から非正規雇用が増えていたと言いましたが、そのために雇用・労働格差、賃金の格差が拡大していました。その処方箋としては、労働市場の改革と併せてグローバル化の中で新たに成長する道を探さなきゃいけないわけですね。製造業が海外に移っていく中で、地域経済が低迷していっていましたし、国内に残るサービス産業の生産性を上げることが重要課題でした。雇用で言うと、戦後の日本型雇用のもとでは、景気の調整はパートタイマーでやってきました。パートタイマーの多くは専業主婦だったので、時間的な柔軟さのほうが重要で、待遇が悪いことは軽視されてきました。それを本当に変えなければならない。同一賃金同一労働とまでは言いませんが、均衡処遇をもうちょっとやらなきゃいけなかった。

 また、サービス産業が増えるっていうことは、働き方が多様化すると言うことでもあります。それに合った働き方を作るために、サービス産業の生産性向上と職業訓練のための「ジョブカード」(職業訓練の機会に恵まれなかったフリーターらを対象にした支援)創設、それと最低賃金引き上げの三つを「底上げ戦略」としてセットでやりました。成長と分配を両立するためには労働市場を変えて、働き方も変えなきゃいけない。サービス産業を強くする。私は供給側の改革が不可欠だと思いました。

−−しかし、安倍政権は閣僚の不祥事も相次いで、改革は失速していきます。

大田さん やったこと自体は間違っていなかったと思うんです。これは本当に私の力不足としかいいようがないのですが、世界経済が変わったら日本経済の構造を変えなきゃいけない、それ以外に道はないのだということを、もっとわかりやすい言葉で繰り返し言わなきゃいけない。でも、それができなかった。私は「政治はメッセージだ」と思うんですが、あのときね、やっぱりメッセージを作ることができなかった。

 私は、所得倍増計画のようなものを考えて、「生産性倍増計画」を打ち出したかったんですが、倍増は無理なのでせいぜい“生産性伸び率5割増し”。目標としては正しくても、メッセージにはならない。もし今だったら上手にできるかというと……。やっぱり自信はない。とっても難しいんですよ。あのとき、不祥事もあったし年金の記録漏れ問題などもありましたが、説得力をもてなかったのは、私の力不足です。

−−福田政権に移りましたが、大田さんは経済財政担当相を続投となりました。しかし、目標としていた構造改革は遠のきました。

大田さん できなかったですね。力不足を棚に上げるつもりはまったくありませんが、第1次安倍内閣は1年で終わってしまった。福田内閣でも改革を継続する努力はしたつもりですが、なかなか形になりませんでした。その後、08年にリーマン・ショックが起こり、やがて、怒とうのごとく民主党政権になっていきました。

−−大田さんには底上げとか、ワーキングプアの対策も課題として与えられました。

大田さん 国会では「諮問会議の民間議員を呼べ」の大合唱だったんですよ。秋葉原の歩行者天国で起きた連続殺傷事件があったときでさえ、「あの事件は(格差を拡大した)諮問会議のせいだ」と国会でいわれたことがありました。諮問会議の下につくった労働ワーキンググループではよい改革案をまとめてくれたんですが、いい案が出ても実行に移す余裕がなかった。私は社会保障制度改革もやろうと張り切っていたんですが、福田康夫首相は「諮問会議で社会保障制度改革をやると余計に批判が強くなる」と心配しておられました。結果的に社会保障国民会議がつくられて、そちらで議論が行われた。

−−日本の雇用システムが崩れてきて、次のところに移らなきゃいけないというのが大田さんの考えでした。しかし、パッケージとして移らせることが実際にはできなかったし、規制緩和する部分だけは進んで、落ちて苦しむ人たちを支える仕組みは十分にできなかったと思うのですが。

大田さん 落ちて苦しむ人が出たのは、小泉改革以後ではなくアジア危機からです。経済危機で職を失ったその人たちをどう次の職場に移すかを考え、結果的に転職してよかったというふうにしないといけないわけです。一度非正規になっても転職して正規になれる、転職自体は怖くないというふうにしたかったわけです。これはどの国でも、政権を挙げてやらなければならないくらい大変なことなんです。言っていたことは間違ってなかったと思っています。規制改革だけでなく職業訓練の増加、女性の雇用拡大など全体的なプランでやりたかったのですが、あの時は諮問会議自体がたたかれていて、なかなかできる状態ではなかった。

−−働き方も含め、供給側を改革して生産性を高めていこうという課題は、10年たっても十分達成できてはいませんね。

大田さん 潜在成長率を上げるためには、特にサービス産業の生産性を上げ、少なくなった労働力を生かすために成長分野に移動できる労働市場にする。転職による不利益を最小限にして成長分野に移動できるようにすることが必要です。かつての日本型雇用は、中に入った人は守られますが、外の人にはすごく冷たい。新卒時に正規社員になれない若者、子育てのために一度辞めた女性は、中には戻れない。定年退職した高齢者も技術があっても活用されない。こうした人たちをもっと大切に使っていく。中にいる人だけが守られるんじゃなくて、男女の壁、正規・非正規の壁、年齢の壁を低くしないと、人材は生かされません。

 供給側の改革がいよいよ必要になってきますから、今の安倍晋三首相が主張するアベノミクスの成長戦略「第三の矢」も難しい局面に来ています。今度の成長戦略にも、問題は需要不足から供給制約になったと書いてあるんですが、供給に働きかけるということは、第一に、阻害要因の除去に取り組まねばならないので反対が強い。第二に、実現するまで時間がかかります。しかし、難しいだけに、長期政権だからこそやらなきゃいけないことだと思います。

−−しかし、日本では、外部労働市場が機能していないので、長期雇用が崩れるなら新しく社会保障などで支える部分が必要になります。

大田さん 今、安倍政権は、「失業なき労働移動」と言っています。「失業なき」という枕ことばがつくにせよ、政権が「労働移動」という言葉を使うのは、大きな変化です。規制改革会議でも、失業なき労働移動のための仕組みをつくろうとしているんですが、マスコミにはたたかれる。なかなか、転職して不利にならない社会、成長分野に移れる社会というのはできないんですよ。

−−できるという現実感がないのではないでしょうか。

大田さん でもね、現状では、声を出せない労働者は泣き寝入りせざるを得ません。私は今、雇用は国民問題だと思います。単に労と使じゃなくて、その枠から漏れている人が雇用に関して問題を抱えてしまっている。多くの非正規の人がいますし、これから働きたいと思っているお母さんたち、これから社会に出る若者がいます。雇用国民会議とか、そういう場で正面から議論するときだと思います。

−−構造改革が、また旗印になるには何が必要ですか?

大田さん 危機感の共有です。日本人は危機感さえ共有できれば、ものすごい柔軟性と強さを発揮します。戦後も、オイルショックの後もそうでした。大震災の後も世界から驚嘆された。だけどグローバル化という変化は目に見えないし、高齢化もじわじわ進む。だからこそ、危機の状況を示し、将来への時間軸を持てるようにすることが必要です。ある時点に立って先を見て、そこから今に立ち返るということをしないとなかなか危機は認識できない。10年後の姿をしっかり描いて何をするかということが大事なんです。

■おおた・ひろこ 政策研究大学院大学教授。一橋大卒業。埼玉大助教授などを経て2001年、政策研究大学院大教授。02年に任期付き任用制度で内閣府入りし、参事官、大臣官房審議官、政策統括官。05年大学に復帰。06年から安倍、福田内閣で経済財政担当相を務めた。08年に大学に復帰。規制改革会議議長代理や政府税制調査会委員も務めている。

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