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「間」絶妙 芸に色気

喜寿の会見後に記念撮影する桂春団治さん=大阪市中央区のワッハ上方で2008年1月24日、森田剛史撮影

厳選ネタ練り上げ

桂春団治さん経歴

 「寄席でやらせてもらえるのは本当にありがたい」「漫才や色物の間に出てしゃべるのが好きでんねん」−−。上方落語の神髄を求めて、ひたすら“しゃべくり”に磨きをかけてきた落語家の桂春団治さんが亡くなった。髪を七三に分け、いつもきれいなクシ目を通して、清潔な装いの中、色気のある落語を見せてきた春団治さん。その一生は落語と死闘を繰り広げた厳しい日々の連続だった。

 会社勤めを辞めた後、父・先代春団治の巡業の手伝いで地方を回り、九州で倒れた前座の代わりに穴埋めで出演したことが、落語家を目指すきっかけになったという。

 持ちネタは他の落語家に比べて多くはなかった。だが、どのネタも磨き込まれ練り上げられ、本人も「持ってるネタは(誰にも)負けない」と自負していた。周囲の落語家がテレビ、ラジオなどで活躍するのを尻目に、常にマイペースで芸を磨いてきた。そうして極められた芸は端正で洗練され、艶のある話しぶりは多くのファンをうならせた。

 「皿屋敷」のお菊や「親子茶屋」の若だんなが新町にくり込む場面など、あでやかさがひときわ目立つ演技ぶりで右に出る人はいないと評された。「代書」に出てくる代書屋のおやじが、要領を得ない客にあきれ果て、最後に「ええよろしい。あとは適当に書いときまっさ」というくだりの“間のよさ”は、絶妙といわれた。

 また“羽織脱ぐ手つきも舞の春団治”と川柳に詠まれるほど、高座で羽織の両袖を引き落とす様は鮮やか。舞踊の山村流、藤間流の名手で、芸に色気や仕草のやわらかさを出すのに役立っていた。

 初代同様、酒豪として知られた。型破りな生きざまが芝居や歌にもなった初代とは芸風や人柄は違うが、端正な顔立ちから私生活の面でも華やかだった。

 期待していた弟子の春蝶を病で亡くしたり、自身も幾度も病に倒れたりするなど苦労も重ねた。しかし、高座ではそうしたそぶりは見せず、磨き抜いた芸で観客を楽しませた。

米朝ら3人と後進育成

桂春団治さんの系図

 戦前から漫才人気に押され、衰退の道をたどっていた上方落語。後に四天王と言われた六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、五代目桂文枝(いずれも故人)、そして桂春団治さんが入門したのは、そんな上方落語のどん底期で、当時は落語家も10人程度しかいなかった。さらに彼らの入門から程なくして、五代目松鶴らベテランが相次いで死去。残された若い4人は力を合わせ、復興に奔走することになった。

 若手の頃は「さえずり会」を結成するなど勉強会を地道に開催し、落語人気復活への下地を作った。また、4人が力を注ぎ続けたのが後進の育成。それぞれの一門からは孫弟子やひ孫弟子も誕生し、現在、上方落語界では約270人が活動するまでになった。

 春団治さんは1994年に、自身の弟子で早世した二代目春蝶の長男、春菜(現三代目春蝶)さんを最後の弟子とするまで多くを育て、孫弟子も、昨年、蝶六さんが70年ぶりの名跡復活として花団治を襲名するなど活躍。また、自身が極めた芸について、一門の枠を超えて後進に伝えていくことにも尽力した。【山田夢留】

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