イスラム教シーア派国家のイランは、イスラム教スンニ派のサウジアラビアとの対立や、核開発による経済制裁の解除など、大きなニュースが続いています。今から2500年前には、ペルシャ帝国として一時代を築いた歴史があります。どのような国なのでしょうか。【文・浅川淑子/え・渡辺正義】
ポイント
<1>ペルシャ帝国として繁栄、16世紀にイスラム教が国教に
<2>イスラム教の指導者が国のトップに
<3>約1800年前から日本と交流
<4>世界遺産や工芸品もたくさん
2000年以上続いたペルシャ帝国
イランは古代「ペルシャ」とよばれ、紀元前6世紀のアケメネス朝や3世紀のササン朝などで、周辺一帯を領土にした一大帝国として繁栄しました。7世紀にアラビア半島でイスラム教ができるとペルシャにも広がり、16世紀にイスラム教シーア派が国教となりました。
20世紀に入ると、近代化政策として、女性の全身をおおうチャドルの禁止などの脱イスラム化が進みましたが、国の強硬な姿勢で国民が反発。1979年に宗教指導者のホメイニ師が「イラン・イスラム共和国」を建国し、イスラム教シ−ア派の教えを国政に反映する現在の体制になりました。スンニ派で王制のサウジアラビアとはこのときから対立が強まりました。
最高指導者が国を統一する共和制
イラン・イスラム共和国では、イスラム教シ−ア派の最高指導者がトップに立ち、軍や法廷を指揮しています。最高指導者は任期がない終身制で、国民の投票で選ばれたイスラム教関係者による「専門家会議」で任命されます。
一方、行政権のある大統領や国会議員290人は、国民投票で選ばれます。1院制の国会で決まった内容は「護憲評議会」の12人が、イスラム法や憲法に違反していないかを判断します。12人のうち6人は最高指導者が任命するイスラム法学者で、残る6人は国会が任命する一般法学者です。護憲評議会は選挙候補者も審査するなど、強い影響力があります。
シルクロードで日本とつながる
イランと日本との交流は、3世紀のササン朝時代に始まりました。奈良県の正倉院にあるガラス製の「白瑠璃碗」や、日本の伝統柄で知られる「唐草模様」は、シルクロードを通じてペルシャから伝わったとされています。
20世紀に入り、日本はイランから石油を輸入したり、自動車や電気製品を輸出したりと、盛んに貿易を行ってきました。しかし、2002年にイランでの核開発が明らかになると、国際連合(国連)は経済的な罰を与えることを決め、日本はイランとの輸出入などを制限しました。今月22日にこの制限は解除。再び貿易が活発になることが予想されます。
ペルシャ帝国時代からの豊かな文化
3000年以上の歴史があるイランには、ペルシャ帝国からの遺跡が数多くあります。都がおかれたペルセポリスやイスファハンなどには、モスク、ペルシャ式庭園など、ユネスコ世界遺産に登録された施設が19か所あります。
ペルシャ帝国は、華やかな工芸品ものこしました。日本にも輸出されているペルシャ絨毯は、暑い夏、寒い冬と四季のあるイランの家で、室内の温度調節に欠かせません。植物を原料に、国花のバラなどの動植物をモチーフにした絨毯からは、イランの豊かな自然を知ることができます。
◆日本で感じるイラン文化
東京都港区のイラン料理店「アラジン」では、ドライライムで酸味を加えたカレーや、ラム肉の「シシカバブ」など、本場の味を気軽に楽しめます。店主のアスガー・ケメスタリィさんは「ローズウオーターやスパイス、ドライフルーツなどで香りよくするのが特徴」と話します。
東京都中央区でペルシャ絨毯の店を営むバシーリ・メーディさんは、「3000年以上前から手作りされているペルシャ絨毯のように、長い歴史がある日本のことを、イラン人はみんな大好きです」と話しました。