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参列の95歳「レイテ島で戦友に報告します」

比島戦没者の碑に供花された天皇、皇后両陛下と話す元日本兵の松本実さん(左)=フィリピン・ラグナ州カリラヤで2016年1月29日午後0時26分、丸山博撮影

慰霊で26回訪問、元日本兵の松本さん

 【カリラヤ(フィリピン)高島博之】フィリピンを公式訪問している天皇、皇后両陛下は29日、「比島戦没者の碑」を訪れ、太平洋戦争で亡くなった日本人を追悼された。参列者の一人、元陸軍第1師団副官の松本実さん(95)=東京都新宿区=は「心を込めて慰霊してくださったことを、亡くなった戦友に報告したい」と話す。約1万3000人でフィリピンに派遣された第1師団は、米軍との戦闘で壊滅し、終戦時に生き残ったのはわずか400人だった。

     第1師団は1944年11月、米軍が進出したフィリピン・レイテ島に派遣された。島西部のオルモックから上陸。北部のカリガラへ進み、米軍を攻撃せよとの命令を受けた。その途中のリモン峠で米軍と衝突し、激戦となった。空爆と砲撃で圧倒され、約50日間の戦闘で1万人近くが亡くなった。

     松本さんは砲弾の破片を右足に受け、骨が露出するほどの重傷を負った。松葉づえをつきながら、転進先のカンギポットに向かい、ぬかるみの広がるジャングルを歩いた。野戦病院の前では、負傷した将校から「手榴(しゅりゅう)弾をください」と声をかけられた。手榴弾を手渡し、立ち去った。自殺のためだとわかったが、「どうすることもできなかった」と振り返る。

     第1師団はさらに転進命令を受け、セブ島に向かう。海を渡るのに用意できたのは、小型船4隻だった。船はレイテ島とセブ島を往復して日本兵を運んだが、米軍機の攻撃を受け、多くの兵がレイテ島に取り残された。セブ島に渡れたのは約700人、終戦時に生き残ったのは約400人だったという。

     松本さんが、戦友の慰霊のためにフィリピンを訪れるのは26度目になる。「だれにもみとられずに亡くなった戦友を思うと胸が痛む。元気なうちはずっと慰霊を続けたい」

     29日、戦没者の碑で慰霊を終えた天皇、皇后両陛下は、多くの参列者と言葉を交わされた。松本さんは両陛下に、「明日からレイテ島とセブ島の慰霊碑を訪れます。きょうのことを報告します」と伝えた。天皇陛下からは「遺族のためにも尽くしていただき、ごくろうさまです」とねぎらいの言葉をかけられた。皇后さまは「ずいぶん遠いです。気をつけてくださいね」と話したという。

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