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命がけ難工事報われ…トンネル作業員、万感

当時使われたトンネル掘削機の前に立つ角谷敏雄さん。現在もボランティアガイドとして難工事を語り伝えている=北海道福島町の青函トンネル記念館で、手塚耕一郎撮影

 北海道新幹線が通る青函トンネルは、24年の工期をかけて1988年3月に開業した北海道知内町と青森県今別町を結ぶ日本最長53.85キロのトンネルだ。「『海の底に新幹線を通す』を合言葉にした、命を削るような工事だった。やっと思いが遂げられた」。トンネル作業員の一人、角谷敏雄さん(81)は26日朝、知内側のトンネル出入り口付近で、青森から北海道へ駆け抜ける一番列車を確認し、「感動した」と語った。

 角谷さんは北海道福島町出身で同町在住。漁師だったが、65年からトンネル工事に関わった。担当は調査と技術開発のための「先進導坑」掘削。北海道側から最先端の作業を担った。

 工事は手探り状態で難航を極めた。スイス製の大型掘削機は軟弱な地盤で掘り進めていた坑道に沈んだ。掘り進めるたびに出水し、ずぶぬれになった。100メートルも掘れなかった年もあり、「砂を手でかき出すような工事だった」と証言する。

 トンネル工事では計34人が死亡。角谷さんも仲間3人を失った。真面目さを評価してくれた上司はトンネル内で作業中に土砂崩れに巻き込まれ、同郷の友人は作業車にひかれ、いずれも工事の序盤で亡くなった。慕われていた部下は80年、掘削機械に巻き込まれてしまった。「部下の妻と生まれたばかりの子どもが、病院で遺体に泣きすがる姿に何も言えなかった」。それでも、「掘り進めるしかない」と作業に集中した。

 そして83年1月27日、先進導坑貫通の日。班長を務めていた「角谷班」が北海道側の最後の発破を任された。当時の中曽根康弘首相が官邸で電話回線を通じスイッチを押し、爆音とともに岩の壁が崩れると、歓声がわき起こった。「あの瞬間は今でも忘れられない」。胸ポケットには事故死した仲間の写真を入れていた。

 その後、角谷さんは各地のトンネル工事で活躍し、98年に引退した。現在は福島町の青函トンネル記念館で工事の苦労を語りつぐボランティアガイドを務める。

 「悲しみの上に完成した、新幹線のために造った青函トンネルだった。その開業から28年、ようやく新幹線が実現した。もう思い残すことはない」。角谷さんは当時を振り返ってきつく目を閉じた。【遠藤修平】

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