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マチネの終わりに

平野啓一郎×岸見一郎 「いま、愛について考えることの意味」

作家の平野啓一郎さん(右)と哲学者の岸見一郎さん=東京都渋谷区で2016年4月7日、森田剛史撮影

 ベストセラー「幸せになる勇気−−自己啓発の源流『アドラー』の教え2」(ダイヤモンド社、1620円)の著者・岸見一郎さんと、長編小説「マチネの終わりに」(毎日新聞出版、1836円)を上梓(じょうし)したばかりの作家・平野啓一郎さん。哲学と小説。方法は違えど、どちらの本も愛を正面から問うている。いま、愛について考える意味は何なのか?【構成・毎日新聞出版/柳悠美】

    ハッピーエンドの「その後」を描く

    岸見 恋愛小説は若い人が読むというイメージがありましたが、主人公のクラシックギタリストが38歳、ヒロインが40歳なので新鮮でした。どうしてこの年代にしたのですか。

    平野 自分が40歳になったからというのもあります。若い頃は、職業や家族がアイデンティティーを占める割合としてまだ小さく、恋愛の比重が大きくなりがちです。一方、40前後になると仕事、結婚、出産、子育てなどが複雑に絡んできて、気持ちはあってもまっすぐ進めないこともある。そういう大人の恋愛を書きたいと思いました。

    岸見 妻子がいても恋をすることもあるかもしれない。いま実際に自分がそういう状況でないとしても、誰にでも起こり得る物語として面白く読みました。

    平野 ありがとうございます。

    岸見 アドラーは、人生のタスクとして仕事・交友・愛がバランスよくあるべきだとしています。そのなかでも愛は最も重要なテーマ。私の講演会でも一番多いのが恋愛についての質問です。誰にも無視できないテーマですが、私たちが愛についてわかっているかといえば、決してそうとは言えません。

    平野 僕は恋愛を、恋と愛に一旦分けて考えるんです。恋は、相手を求める感情が激しく高ぶっている状態で、愛は、結ばれた関係の継続性のほうが問題になるのではないでしょうか。

    岸見 そうですね。ハッピーエンドで終わるラブストーリーはたくさんありますが、この小説は、結ばれた後どうなっていくかに重きがおかれている。アドラーが注目するのもそこで、つまりハッピーエンドの「その後」なんです。そして、それは情熱だけではうまくいきません。

    愛は「決断」なのか?

    岸見 アドラーは、愛することは能力であり、「決断」だと言っています。相手を好きな理由が、別れた後は嫌いになった理由になったりすることがあるでしょう。たとえば、優しさが優柔不断に、頼りがいが支配的に感じられる……これらはすべて本人が好きになるかならないかを決断した後で持ち出される理由でしかありません。

    平野 好きになる時は、無自覚に決断しているということですか? 

    岸見 はい。アドラーは意識、無意識を区別しません。あとから振り返れば決断したのだとわかる。もしくは、はたからみたら決断しているように見えるということです。

    平野 愛は決断だというのを突き詰めると、誰でも愛することができるということになります。たしかに、祖父母世代ではそういう恋愛がありました。僕の祖父母も当日までほとんど顔も知らないまま結婚しています。でも、その後、いろいろあったようですが、愛し合うようになり、祖父が亡くなった時も祖母はしばらく立てなくなるくらいショックを受けていました。

    岸見 誰でも愛せるといっても、そこに自由意志がないと言っているのではありません。愛されることは選べませんが、愛することは選べます。自分にいくら気持ちがあるからといって、相手に同じことを求めることはできません。相手の反応とは関係なく、自分の決断で関係を築いていこうとすることが重要だということです。

    平野 それでもやっぱり、この人は好きになるけど、あの人は好きにならないというのはあるのではないでしょうか。

    岸見 出会いの偶然を「運命」と思いたい時はありますよね。それに、妻や彼女に対して「誰でもよかった」なんて言ったら怒られてしまう(笑い)。そこにはある種の「ゆらぎ」みたいなものはあるでしょう。アドラーも精神論だけで愛せると言っているわけではありませんし、結婚については「性」の問題は切り離せないとも言っています。

    平野 愛することで満足を得られればいいですが、相手から愛されないと、継続性という面ではやっぱり難しいような気もします。

    岸見 「愛しているから愛されるべきだ」と思っている人は多いです。でも、愛と尊敬は強制できないものなのです。

    平野 それはその通りだと思います。僕は、「分人」(※)という概念を使って、自己愛のほうから恋愛を考えてきました。すると、この人といる時の自分が好きだからこの人が好き、というふうになります。これはたしかに自己愛的ですが、もし、相手から「あなたといる時は、自分が好きになれる」と告白されたら、そんなにいやな感じはしないんじゃないかとも思ったんです。この人にとって自分は必要なんだと納得できる。「こんなに愛している」と伝え合わなくても、関係が継続できるのではないでしょうか。

    ※「分人」・・・状況や相手によって異なる自分になるという平野さんが提唱する概念。

    岸見 そこに尾ひれがつかなければいいですよね。でも、現実はそれでは済まないでしょう。もし、相手に妻子があったとして、会っているとき楽しかったらそれでいいかというと、そうはならず、次いつ会える? 会いたい時、なぜ会えないの?となってしまいます。

    平野 そうですね。分人の構成比率とか会う頻度についての考えが近い人のほうが一緒にいて楽です。そもそも、そこが合わない人に対して、愛するという決断ができるのか。それとも、決断後どこかで調整されていくものなのでしょうか。

    岸見 相手がいてくれて初めて自分が好きになれるということになると、それは依存になります。相手の存在なしには自分を肯定できないということになってしまいませんか。

    平野 相手の分人の比率構成は尊重すべきで、過度な依存は相手をむしろ遠ざけてしまう。でも、他者性を一回経由して自己肯定に至るほうが、どうして他者が必要なのかということの根拠づけにもなると考えています。

    岸見 なるほど。あなたがいるから私は存在できる。もはや一人だった時の自分を考えられない。二人が一緒に生きる、つまり主語が「わたしたち」になるわけですね。そうであれば、依存ではないですね。「不可分なわたしたちの幸せ」を築き上げることが愛だとするアドラーの考えにも通じます。

    哲学者の岸見一郎さん=東京都渋谷区で2016年4月7日、森田剛史撮影

    未来は常に過去を変えている

    平野 数年前から恋愛とは何かを考えてきましたが、付き合っているときの喜びは、しゃべっていて楽しいとか、ささいなことではないかと気づきました。

    岸見 愛があるからいいコミュニケーションができるわけではなくて、通じ合ったと感じる時に好きになる。何を話しているかは関係なく、一緒に穏やかに過ごしているだけで満たされる状態です。

    平野 小説の中で、主人公たちが愛し合う理由はほとんど書いていません。実際彼らが会ったのは数回ですし、とにかく二人でしゃべっていて楽しいということだけが描かれています。それでも、多くの読者は、やっぱり「この二人が結ばれるべきだ」と感じたようで、連載中からたくさんの感想をいただきました。

    岸見 セックスの話がないのも印象的でした。自由意志の恋愛において人がそこに気持ちをコントロールされることがない、ということですから。

    平野 俗に「プラトニックな恋愛」というときれいごとのように聞こえるかもしれませんが、結婚したいと思う時、性的に結ばれたいという欲求はそこまで大きくないんじゃないかなと思いました。それから、読者の反応でもうひとつ印象的だった感想があって、それは不正な手立てで結ばれた恋愛は許せないというものでした。

    岸見 たいへんなことをしてしまう、あの人物のことですね。

    平野 はい。でも、もし自分の存在を肯定するなら、さかのぼってご先祖様の恋愛経歴を全部見ていくと、必ずしも常に正しい恋愛の結果で自分がいるわけではないでしょう。いま生きている人たちすべての命を肯定するという発想に立つなら、正しい恋愛でないといけないと果たしてどこまで言えるのか。

    岸見 きっかけや原因より、結果的にいまこんなに良い関係になっていることを重視すべきでしょう。これまで決断の話をしてきたように「これからどうするか」ということは自分たちで決められるのですから。過去と未来の関係については重要な示唆がありましたね。作中の「未来は常に過去を変えている」という一文はアドラーもまさにそのように考えているので興味深かったです。

    平野 そこも読者の反響が大きかったところです。僕もひと頃、アドラーを読んでいました。デビュー当時、「小説は終わった」という論調が強かったのですが、そう言っている人たちは、そう言いたいがために無理やり過去に原因を見いだしているように見えました。過去がこうだったから、いまの自分がこうなんだと考え始めると、因果関係の牢獄(ろうごく)から抜け出せなくなります。それに反発したくて、近代文学を勉強し直したりもしましたが、そんな時にアドラーの著書を読んで視野がひらけたところがありました。

    作家の平野啓一郎さん=東京都渋谷区で2016年4月7日、森田剛史撮影

    運命の人は一人? それとも複数いる?

    平野 アドラーは「不可分なるわたしたちの幸せ」を追求することが愛だとしていますが、それはつまり、私と他者の境目がなくなったほうがいいのか。それとも、あくまで他者だからこそ魅力を感じるのでしょうか。

    岸見 完全な個人がくっつくというより、相手に自分の欠けているところを埋めてもらう、自分も相手の足りない部分も埋めていくというイメージです。その根源的なところが愛だと思います。

    平野 そうすると、ぴたりと合うパズルの型みたいなのがあって、この人でなくてこの人がいいという話に戻っていきますね。「運命の人はいるのか、いないのか」というのもよく議論されますが、僕は、運命の人は一人ではなくて、複数の可能性はあると思っていて、やっぱりそこに、一握りの不合理というか、神秘が残り続けるのではないでしょうか。

    岸見 もっといい人がいるかもしれないと思って、目の前の恋愛をさけようとしなければいいですが……。

    平野 はい、人生を俯瞰(ふかん)して一人を選ぶことはできませんから。人間は偶然性のなかに生きていますが、それを必然であるかのように思うために愛があるのではないかとこの小説で書きました。

    岸見 こんなふうに恋愛をとらえていけるのかと新しい発見がありました。

    平野 テクノロジーが進歩してきて、社会が人間の自由をリスクとして計算し始めています。たとえば、もし自動車の自動運転が当たり前の時代になり、それでも自分で運転したいといって事故でも起こしたら、たいへんなバッシングに合うのではないかと想像します。また、アマゾンなどでも、事前にメールで商品をリコメンドされ、いかにもボタンを押したくなるような画面の中で、買い物をしています。一体自分の自由意志というのはどこまであるのか、ということをすごく考えさせられます。

    岸見 自由意志の最後のとりでが愛です。愛する自由も、愛さない自由もある。そこに人間の尊厳が見られます。

    平野 そうですね。愛だけは人間的なものとして残ってほしいという願いを込めて書きました。だからこそ、読者がそこに共感してくれたのがすごくうれしかったです。

    岸見 一般的な恋愛小説に期待されるような結末ではないかもしれませんが、救いを感じました。いま、この時代だからこそ、愛は重要なテーマだと思います。

    岸見一郎

     哲学者。1956年京都生まれ、京都在住。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、89年からアドラー心理学を研究。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。主な著書に、ミリオンセラーとなった「嫌われる勇気」「アドラー心理学入門」、訳書に、アドラーの「人生の意味の心理学」「個人心理学講義」などがある。

    平野啓一郎

     1975年愛知県蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した「日蝕」により第120回芥川賞を受賞。著書は小説、「葬送」「滴り落ちる時計たちの波紋」「決壊」(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)「ドーン」(ドゥマゴ文学賞受賞)「かたちだけの愛」「空白を満たしなさい」「透明な迷宮」、エッセイ・対談集に「私とは何か 『個人』から『分人』へ」「『生命力』の行方〜変わりゆく世界と分人主義」等がある。2014年、フランス芸術文化勲章シュバリエを受章。

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