「私の藩邸から近い縁日では、有馬邸の水天宮が盛んで、その頃江戸一番という群集であった」。明治以降、俳人として有名になる松山藩(愛媛県)藩士、内藤鳴雪(1847〜1926年)は「鳴雪自叙伝」に水天宮のにぎわいをつづっている。
内藤が暮らしていた松山藩中屋敷は現在の港区三田、イタリア大使館を中心とする区画にあり、北隣に久留米藩(福岡県)有馬家の上屋敷があった。1819年以降、有馬家は久留米から屋敷内に勧請した水天宮を毎月5日、一般公開した。
有馬家屋敷は敷地面積8万2500平方メートル。江戸庶民にとって普段、うかがい知れぬ屋敷に入れる物珍…
この記事は有料記事です。
残り1185文字(全文1456文字)