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熊本地震 3カ月 「橙書店」被災と復興の物語 文学の拠点、守りたい

橙書店を訪れ、店主の田尻久子さん(右)と話す伊藤比呂美さん=熊本市中央区で、和田大典撮影
地震で書棚から本が飛び出した=橙書店提供

 熊本地震の発生から3カ月がたった。熊本の被災地ではいまだ4870人が避難生活を送る。一方で仮設住宅の建設などが進み、生活再建に向け、手探りながらも新たな一歩を踏み出した人々も少なくない。この3カ月、街中の商店街にも人通りや活気が徐々に戻ってきている。店主が気に入った本だけ書棚に並べ、朗読会も開催する名物書店、熊本市中央区新市街の橙(だいだい)書店も被災した。店を一人で切り盛りする田尻久子さん(47)は、文芸誌「アルテリ」の編集も担当。この小さな店の復旧を、熊本市在住の石牟礼道子さん(89)、渡辺京二さん(85)らが築いてきた熊本の文学的伝統の厚みが支える。米国在住の詩人、伊藤比呂美さん(60)や北海道在住の作家、池澤夏樹さん(70)らも駆け付けた。「橙書店に集まる文学を救いたい」との願いを込め、石牟礼さんらが新作を発表する文芸誌が近く発刊される。【米本浩二】

     「ああ、もうこれで死ぬのかなと思った。瞬間何十秒か。死ぬ。本気で思った。家からあわてて外に出て、立つと怖いからしゃがむんですけど、地鳴りみたいなものがずっとしていて、このまま地面が裂けるのかと……」

     6月下旬、久しぶりに伊藤さんが帰国した。親しい伊藤さんと会って、抑えていた感情が噴き出したのか、田尻さんが被災時の様子を語り始めた。

     「本震の時、生きています、というメールが熊本の人たちから来た。それで一応安心したのですが、前震とトーンが違う。デスペレイト(絶望的)というか、言葉の連なりに希望がなかった」と伊藤さんが振り返る。

     繁華街の一角にある玉屋通り。うっかりしていると通り過ぎる小さな店舗だ。雑貨店・カフェを併設した橙書店は66平方メートル。書店スペースだけなら約20平方メートル。店主が気に入った本のみ置く「セレクト・ショップ」である。海外文学を中心に小説、詩集、写真集など。健康本やビジネス書は1冊もない。

     前震の時、田尻さんは店にいた。「カウンターのお客さんとしゃべっていたら揺れ始めて、私の後ろから食器などが、がーっと落ちてきた。あわてて飛び出しました」と振り返る。天井が破損し、玄関の戸が開閉不能になった。以前からの雨漏りは一層ひどくなった。田尻さんは飼い猫と一緒に友人宅に3日間避難し、4日間眠れなかった。

     片付けを手伝ったのは常連客である。「ここがなくなると行くところがなくなる」と言うのだ。激励するメールや手紙がたくさん来た。「一番びっくりしたのは店に来たこともない県外の人からメールが来たこと。熊本の大学に入った息子が被災した。息子と同じくらい橙書店が心配です、と書いてありました」

    作家や常連客、集う

     伊藤さんは東京生まれ。1984年、29歳の時、夫の勤務先の熊本市に来た。すぐに石牟礼さんと知り合った。石牟礼さんは「あなた、わたしに似てますね」と言った。テレビ出演した石牟礼さんを伊藤さんの母親が娘と間違えたくらい2人は似ている。以来、年の離れた友人として交流を重ねる。米カリフォルニア州在住の伊藤さんは熊本に来るたび石牟礼さんを訪ねる。

     伊藤さんの石牟礼さんへの尊敬の気持ちの表れが年1回開催の石牟礼大学だ。伊藤さんが隊長を務める熊本文学隊主催の一大イベントである。予算のない熊本文学隊は伊藤隊長の人脈が頼りだ。サポート役は田尻さん。参加申し込みの受け付けや問い合わせへの回答などを橙書店が引き受けている。

     熊本文学隊には会則や会員名簿がなく「なんかやろうって言うと、ぱっと集まるんですよ」(伊藤隊長)という水の動きにも似た伸縮自在の機動力が身上だ。

     水俣病闘争(68〜73年)を主導した石牟礼道子さんと渡辺京二さんの「水俣病を告発する会」も会則や会員名簿がなかった。参加すれば会員なのだ。告発する会にも喫茶「カリガリ」という拠点があった。政治色のない、自由で自在な告発する会の運動は一般の人たちの支持を集め、雪だるまのように膨らんだ石牟礼さんたちのパワーが、効率重視、利益至上の「近代」の暴走にストップをかけることになった。

     熊本文学隊と告発する会の両方に石牟礼さんと渡辺さんが関わっているのは偶然ではあるまい。自由で創造的な石牟礼・渡辺イズムは現在も生きているのだ。それを如実に示すのが伊藤さんの活動であり、その伊藤さんを支えているのが橙書店なのだ。

    「バッグに水入れたまま」

     5月中旬には池澤夏樹さんが橙書店を訪れた。池澤さんが一人で編集する「世界文学全集」に石牟礼さんの「苦海浄土(くがいじょうど)」3部作が日本人作家の作品としては唯一収録された。同じく池澤さん編集の「日本文学全集」も1巻を石牟礼作品にあてている。池澤さんは石牟礼さんに会うため熊本に足しげく来るようになり、石牟礼大学で橙書店との縁もできた。

     池澤さんが橙書店を訪問した日は、震度3以上の余震がたびたび起こり、「次に来る地震が本震ではないか」とまことしやかに語られていた時期である。「お店のお客さん、平気そうにしていても、バッグに缶詰や水を入れっぱなし。枕元に靴を置いて寝る。懐中電灯をぶらさげたまま寝るとか……。心の底からリラックスできない。いつになったら心の底からもう大丈夫と思えるのでしょう」と田尻さんが訴える。

     池澤さんも東日本大震災の余震を仙台市で経験している。腕組みした池澤さん。「このあと、たぶん日本中どこもが、多かれ少なかれ、地震が起きる確率にひたって生きてゆく。ここは終わったから、もう大丈夫ということはない」と言うのだ。悲観的にみえて最も実際的な励ましの言葉ではないか。

     田尻さんがため息をつく。「(地震の終息まで)我慢はあと1カ月、と言われて、1カ月たつと、あと1カ月、と言われる。南海トラフも怖い。もう無理ですよね。だから、安心するというより、慣れるんでしょう」

     老朽化に追い打ちをかける地震の衝撃で改修工事には限界があった。今秋、橙書店は近所の別の建物に引っ越す予定だ。伊藤さんらが持ち寄った橙書店への支援金数十万円は田尻さんの意向もあって、熊本文学隊の口座にプールされている。イベントなどの際、有効に使われる見通しだ。

    「看板猫」元気戻る

     橙書店は、熊本を紹介した行定勲監督の映画「うつくしいひと」にも登場する。欧州の伝統的な田舎の骨董(こっとう)屋のようなたたずまいは映像作品にうってつけなのだ。昨年6月には作家の村上春樹さんが朗読会を開いた。口の堅い常連客30人に声をかけた極秘の会である。村上さんは自作の「ヤクルト・スワローズ詩集」を朗読した。

     のちに村上さんは雑誌「CREA」に発表した旅行記に、<久しぶりの朗読の場所にこの小さなインディペンデント書店を選んだのは主に、有名な看板猫である「しらたま」くんに会いたかったからだ>と書いている。

     しらたまを見た村上さんは、<話に違わず実に愛くるしい猫で、僕も思わずめろめろになってしまった>と書く。

     ところが地震のショックでしらたまは客の前に出なくなった。田尻さんは店の中に隠れているしらたまを捜す。やっと見つけて抱きしめる。揺れがくる。さっと腕の中から抜け出す。しらたまが落ち着いて客の前に出るようになったのは6月中旬。しらたまの雄姿に客から歓声が起きる。写真を撮ろうと追いかける人。地震のトラウマを克服したしらたまを復興の象徴ととらえる人は多いのだ。

     伊藤さんに話を聞いて、一番印象に残ったのは次の言葉だ。

     「橙書店に集ってくるいくつもの流れの文学を救いたい、という気持ちがあります。集まってきた文学の流れは、どの流れも、すべて、みっちんにつながっている」と言うのだ。みっちんとは石牟礼道子さんのこと。石牟礼さんの自伝的小説「椿の海の記」の幼い主人公の名前がみっちんだ。熊本をめぐるさまざまな文学活動の源流は石牟礼さんだというのである。

     その石牟礼さんも熊本地震で被災した。私が訪ねていった際、石牟礼さんは座布団を頭にかぶった。「地震で顔がひっしゃげ(つぶれ)て、だれだか分からなくなると困るから、こうやって座布団をかぶっておりました」と言うのだ。苦境にあってもユーモアを忘れない。

     その石牟礼さんは田尻さんらが編集する文芸誌「アルテリ」のメイン執筆者の一人である。今夏に刊行される「アルテリ」第2号に石牟礼さんは高千穂の山中をさまよった20歳の未発表手記を発表する。それで十分なはずだが、最近、「みなさんが地震を書くのなら、私も書きたい」と意欲をもらした。「書いてもらえるならうれしい」と田尻さんらはワクワクしている。

    「石牟礼文学」を次世代へ 「大学」今年は11月

     石牟礼大学は熊本文学隊主催の文学イベント。石牟礼道子さんの文学についてトークや意見交換をして、石牟礼さんの文学への理解を深め、石牟礼文学を次世代へ継承するのを目的とする。

     2014年7月20日の1回目は伊藤さん、渡辺京二さん、日本文学研究者のジェフリー・アングルスさんらが参加。特筆すべきは渡辺さんの長時間の熱弁。「台風が来る。小さい山があって、全山、木が揺れている。私と石牟礼さんが見たとする。私がその風景をみて感じ取るものと、彼女がその風景をみて感じ取るものとは全く違うだろう。存在の奧にあるもの、表面にあらわれているものの奧に隠れているもの、そういったものを感知するセンサーがついている」

     15年11月15日の2回目のメインゲストは作家の池澤夏樹さん。池澤さんが個人編集した「世界文学全集」に日本人の作品として唯一「苦海浄土」3部作を入れた理由を「簡単に言えば、“読みなさい”ということ。まるっきり新しい戦後の文学全集を作ろうと思ったら、石牟礼道子は必須だった」と述べた。

     石牟礼大学3回目は今年11月に開催の予定。伊藤さん、作家の高橋源一郎さん、町田康さんらが参加する。

    新しい書き手、育てる アルテリ

     今年2月、熊本市で創刊された文芸誌。作家の石牟礼道子さん、評論家の渡辺京二さん、詩人の伊藤比呂美さん、作家の坂口恭平さんら、熊本ゆかりの文学者が新作を発表。既成雑誌とは一線を画した素朴なレイアウトや、大家や新人が共存する思い切った執筆陣が注目を集め、発行1カ月で重版となった。

     誕生のきっかけとなったのは、「暗河」「道標」などリトル・マガジンと共に半世紀歩んできた渡辺さんの「新しい書き手を育てるためにも、熊本から雑誌を出そう」という呼びかけだ。その声に呼応して、橙書店の田尻久子さんらが編集スタッフを編成。石牟礼さんらが原稿を寄せた。「アルテリ」とはロシア語で「職人の自主的な共同組織」という意味だ。

     石牟礼さんは「くすの芽」と題し、「丘の上のくすの赤きがかなしといふ女ホロホロ春をなけなけ」など未発表の短歌3首を含む4首を発表。伊藤さんは、「巻耳」など中国の古典の詩経の日本語訳を発表。坂口さんのエッセー「鬱どきのスケッチ」や作家・疫学者の三砂ちづるさんの小説「天女伝説」など。渡辺さんは上田秋成「死首のゑがほ」の口語訳と解説を発表した。

     編集後記に「これまで数々の雑誌を手掛けてきた渡辺京二さんにとって、もしかすると最後の雑誌になるかもしれない。その思いを末永く受け継ぎ、文学の衰退に少しでも抗(あらが)っていきたい」とある。

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