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大リーグ:イチロー3000安打達成 史上30人目

大リーグ

イチロー3000安打達成 史上30人目

 【デンバー(米コロラド州)田中義郎】米大リーグ、マーリンズのイチロー外野手(42)=本名・鈴木一朗=が7日(日本時間8日)、当地で行われたロッキーズ戦で大リーグ史上30人目の通算3000安打を達成した。

     イチローは記録達成まで残り1本で迎えたこの試合に6番・中堅で先発出場。七回1死走者なしで迎えた第4打席で、右翼フェンス直撃の三塁打を放って大台に到達した。大リーグ16年目で通算2452試合目での達成となった。

     大リーグ通算安打の最多記録はピート・ローズ(1963〜86年に大リーグ在籍)が持つ4256安打。現役選手では、今月12日限りでの引退を7日に表明したアレックス・ロドリゲス(ヤンキース)に次ぎ、2番目となる。

     イチローは愛知県出身。愛知・愛工大名電高からドラフト4位で92年にプロ野球・オリックス入り。日本での9年間で1278安打を重ねた。2001年にポスティングシステム(入札制度)によりマリナーズに移籍。12年途中からヤンキース、昨年からマーリンズに所属。最近は控えの外野手として、代打での出場が中心となっていた。01年から10年連続200安打以上、04年には大リーグ年間最多の262安打を記録した。今年6月15日にはローズの大リーグ通算4256安打を日米通算で抜いた。

    野球で磨いた人間力

     その瞬間、敵地のクアーズ・フィールドが熱気に包まれた。七回1死。42歳のベテランがいつものように表情一つ変えずに打席に入り、相手の左腕投手が投じた変化球を思い切り引っ張った。大リーグ16年目でたどり着いた3000本目の安打は右翼フェンスを直撃。イチローは余裕をもって三塁に達した。

     イチローは試合後、「今の僕にとって、3000という数字よりも、僕が何かをすることで僕以外の人たちが喜んでくれることが、何より大事」と語った。言葉通り、自身、数字にこだわってきたわけではない。自らに課した最大のテーマは「野球を通じて人間力を磨く」。しかし「大リーグ通算3000安打はモチベーションになる」と語ったこともある。

     イチローがメジャーの世界に飛び込んだのは27歳。決して早くはないデビューだったが、1年目の2001年から年間200安打以上を10年続け、野手で大リーグ最年長となりながら通算9567打席目で偉大な記録を達成した。

     パワフルな打撃が主流の大リーグにあって、イチローの打撃は一つのスタイルとして確立した。大リーグ通算3184安打を放ったカル・リプケンさん(55)は、1996年に開催された日米野球で来日した時に当時23歳だったイチローの存在を知り、01年にはオリオールズの三塁手としてマリナーズのイチローと対戦。当時の印象を思い起こし「彼はしっかり球を捉え、驚くべきスピードで一塁に達する。若い選手にとって生きた教材だ」と称賛する。身長180センチ、体重79キロ(大リーグ公表による)のイチローの成功は、大柄ではない選手が進むべき道を照らした。イチローが達成した記録は、数字以上の意味を米球界にもたらしている。【田中義郎】

    偉業、恩師の仰木さんに感謝

     大きな当たりの三塁打を放ち、塁上に立ったイチローは、敵地の4万人を超えるファンから総立ちで祝福を受け、ダッグアウトから飛び出したチームメートにもみくちゃにされた。大リーグ最多の通算762本塁打の記録を持つバリー・ボンズ打撃コーチとも握手を交わしたイチローの表情は、込み上げてくるものを必死にこらえているようにも見えた。

     チームは若く、力のある外野陣がそろい、イチローは「第4の外野手」の立場。代打で起用されることが多い。大リーグの歴史で過去29人しか到達していない記録が近づいてきてからは、どの試合でもイチローが打席に立つと球場のファンは総立ちになり、拍手と歓声を送りつつ安打を求めた。しかし代打は「4回に1度成功すればいい」とも言われる難しい役割。天才打者のイチローにとっても安打を放つのは簡単ではなかった。7月28日のカージナルス戦で二塁打を打ってから、記録までの残り2本で、実に9試合、17打席も要した。

     イチローは試合後に明かした。「この2週間、随分、犬みたいに年をとったんじゃないかと思うんですけど……。人に会いたくない時間もたくさんあった。僕はこれまで自分の感情をなるべく殺してプレーしてきたつもりなんですけど、なかなかそれもうまくいかず、という苦しい時間でしたね」

     その苦しさを乗り越え、偉業を成し遂げたとき、脳裏に浮かんだのはオリックス時代の恩師、仰木彬さん(故人)と過ごした時間だった。すでに日本のプロ野球で数々の記録を残した後の2000年秋、神戸市内でイチローは当時の仰木監督に会っていた。メジャーに挑戦したいという熱い思いを伝えようと考えたからだった。イチローは酒の力を借り、仰木監督を説得した。「仰木さんの決断がなければ何も始まらなかったと思う」。イチローはこの日、改めて感謝の言葉を口にした。

     オリックスで9年、メジャーで16年目の計25年もの間、プロの第一線で活躍し続けてきたイチロー。「50歳で現役」という目標を公言するベテランは、野球が好きな理由に「うまくいかないことが多いから」と挙げ、また次の日もメジャーの舞台で闘い続ける。