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<戦時中の思想弾圧>カトリック信者、72年前突然の逮捕

信仰を理由に逮捕された体験を語る金沢美保子さん=新潟県上越市で

 表現や思想、信教の自由は憲法で保障されているが、かつて罪に問われる時代があった。新潟県上越市の金沢美保子さん(92)は第二次大戦末期にキリスト教の信仰を理由に刑法の不敬容疑で逮捕された。「世の中が一つにまとまり、反対するものはつぶされた時代だった」と振り返る。敗戦直後に即日裁判で執行猶予付きの有罪判決を受けたことを証言したが、判決文や裁判資料は残っていないという。【青島顕、写真も】

    「皇室の尊厳冒とく」

     1944年4月9日は雨の日曜日だった。20歳の金沢さんは母トキさんと一緒に家の近くのカトリック高田教会のミサに出掛ける準備をしていた。男たちから「すぐに出てこい」と名前を呼ばれた。家の周りに5、6人の男たちが待ち構えていた。トキさんと引き離され、取り囲まれて警察署に連れて行かれた。

     身に覚えはなかった。数日後に「お前はハレンチ罪ではない」と思想犯だと示唆された。留置場の房には悪臭が漂い、布団は汚れていた。

     金沢さん宅には軍人の家族が間借りしていたが、信仰のことを打ち明けていた。その相手が憲兵だったと後に知った。

     戦争末期で教会は徐々に信徒が減り、残った人々で「聖書研究会」を作っていた。そのうち7人が相次いで逮捕され、指導していたドイツ人のサウエルボルン神父も5月ごろ逮捕された。

     戦時下の全国の特別高等警察の活動を記録した「特高月報」という冊子がある。同年4月分に事件が掲載されている。「新潟県特高課にありては、日本天主公教会(カトリック教会の当時の呼称)司祭ドイツ人サヴエルボルンの指導下にある同教会伝道婦、信者等が、天主(キリスト)を絶対視するのあまり、神宮ことに皇室の尊厳を冒とくし奉るべき不敬言辞を弄(ろう)しおる事実を探知し、本月16日、7名を検挙取り調べ中」「不穏教理の研究宣布を目的として結成せる集団存在するやの嫌疑ある」などとある。7人の中に金沢さん母子の氏名も載っている。当時、刑法で定められていた不敬容疑がかけられていたとみられる。

     金沢さんらは警察署を転々と移されながら、取り調べを受け続けた。暑い夏を迎え、新潟県加茂市の加茂署で、めがねをかけた特高警察の刑事が担当になった。聖書を差し入れてくれ、金沢さんは「この人は信者になってくれるかもしれない」と心を許して、人生観や信念など求められるまま手記を書いた。

     できあがった調書は驚くべき内容だった。「『神でない』と天皇をおとしめて、世の中を乱した」。金沢さんは立場も忘れて思わず鉛筆を刑事に投げつけた。「私をよくもだましたね」。刑事は「当たり前ではないか」と冷笑していた。

     秋ごろ、新潟市の新潟刑務所に移された金沢さんは、起訴に先立って面談した予審判事から、天皇に対する不敬罪に問われたことを教えられた。「オオカミのような顔をした刑務所長に転向(して信仰を捨てることを)しないと死ぬことになるぞと言われた」

     翌45年春、体調を崩して保釈となり帰宅できたが、警察の監視下に置かれ、離れに住まわされ、家族と会話することはできなかったという。

    即日判決で有罪

     終戦後まもなくだったと記憶している。突然、裁判所に呼び出された。即日判決が言い渡され、執行猶予付きの有罪になった。「大急ぎで裁判をやり、形式的な判決だった」

     逮捕された人たちについて教会が戦後まとめた記録によると、神父と金沢さんら少なくとも4人が有罪判決を受けたとみられる。しかし正確な罪名や量刑は分かっていない。

     「ドイツ人のサウエルボルン神父は英国にいたことがあり、米国人と付き合いがあったために、スパイ容疑をかけられていた」との記載もある。逮捕された女性信者の中島邦(くに)さんはスパイだとのうわさを流され、戦後も地域から冷たく扱われたという。後に修道女となって、ブラジルに移住し亡くなった。

     不敬罪や治安維持法は戦後廃止されたが、名誉回復がなされた形跡は見当たらない。金沢さんによると、証拠となりうる判決文さえ見た記憶がないという。「私の手元にも当時の記録が全くない。とてもひどいことです」と話した。

     金沢さんはいま、思う。「世の中が一つになって戦争に向かうとき、反対する人間はつぶされる。あのころは人を治める人たちが惑わされていたのだろう」

    記録なく名誉回復困難

     敗戦とともに慌ただしく判決が言い渡され、裁判記録が残らない。これは金沢さんたちの事件だけではない。同じ時期の言論弾圧事件として有名な横浜事件でも同じことが起き、名誉回復のための再審を阻む要因となってきた。

     横浜事件の弁護人だった海野普吉弁護士(後に日本弁護士連合会会長、故人)は、雑誌「総合ジャーナリズム研究」(1966年11月号)に手記を寄せている。それによると、連合国軍が本土に上陸した45年8月28日、横浜地裁の裁判長から「即日言い渡しをするから私にまかせてください。けっして悪いようには計らわないから」と言われた。翌29日から形式的な公判が始まったという。

     海野弁護士の手記にはさらにこうある。「8月28日、裁判所に寄ってみると、その裏庭で山のような書類を燃やしているのを目撃した。そのなかには膨大(ぼうだい)な量に達する横浜事件関係の書類があるはずであった。(中略)法曹界の一人としてまことに遺憾千万であり、憤慨にたえない」

     治安維持法は45年10月に廃止されたが、有罪の事実は残った。元被告たちは再審請求を起こしたが、1次、2次は退けられた。裁判記録が残されていないことが名誉回復を阻んだ。2005年に3次請求で再審が開始されたが、有罪・無罪を判断しない免訴判決が確定した。

     今も解決していない。元被告2人の遺族が「裁判記録の焼却によって再審請求が遅れた」として国に損害賠償を求めた訴訟を起こした。今年6月、東京地裁は請求を棄却したが「当時の裁判所職員による何らかの関与で記録が廃棄されたと認められる」と認定した。

     元中央公論社員の木村亨さん(98年死去)の妻まきさん(67)は原告の一人だ。「国に裁判記録の保存義務があるのに焼却されたのは、無責任極まりなく犯罪だと思う」と話した。東京高裁に控訴した。


     ■ことば

    横浜事件

     1942年、雑誌「改造」に掲載された論文が共産主義の宣伝だとして、神奈川県警特高課などが治安維持法違反容疑で出版社社員らを逮捕した事件の総称。45年までに約60人が逮捕され、拷問による取り調べで4人が獄死した。横浜地裁は45年9月までに、約30人に執行猶予付きの有罪判決を出した。

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