アフリカの音楽が大好きになったアニャンゴさん(35)はたった一人でケニア奥地の村に入り、音楽の修業をしました。情熱が認められ、男性だけに演奏が許される伝統楽器「ニャティティ」の初の女性奏者となり、国内外を飛び回っています。美しい歌声とともにサバンナの風や大地の祈りを感じさせるサウンドです。熱い思いを聞きました。【城島徹】
☆ずっと音楽が好きだったのですか。
★4歳からピアノを習い、中学でバンドを組みました。高校では自分で作詞作曲して歌うバンドでプロを目指し、大学時代にアメリカのニューヨークに向かいましたが、着陸の2時間前に同時多発テロ(2001年9月11日)が起きて日本に戻りました。再び目指した時はイラク戦争が始まり断念しました。
☆アフリカとの出合いは。
★大学を卒業し、日本でケニアの音楽を演奏するバンドのリズムにショックを受けました。ケニアを訪ねて本場の伝統音楽に触れ、「ニャティティという楽器を弾きたい」と思ったのです。日本でお金をためながら、現地で話すスワヒリ語を毎朝5時から勉強しました。
☆本格的修業はいつから?
★2005年春です。それまで「自分の好きなことをやりなさい」と言っていた父は、「絶対ダメだ」と大反対。一人娘で心配だったのですね。今は応援してくれますが、当時は家出のようにケニアに向かいました。
☆ニャティティはどんな楽器で、誰に習いましたか。
★ケニア・ルオ族の男性の伝統的な弦楽器で、右足指の鉄の輪と足首の鉄の鈴でリズムを刻み、両手で8本の弦をはじきながら歌います。その音楽と密接な文化や暮らしを知りたいと、首都ナイロビからバスで10時間、徒歩で3時間かかる村に住む最高の師匠に「教えてください」と頼みました。「外国人はダメ」と断られ、食い下がって4日目に「この村に暮らし、私たちの文化を知ってから」と言われ、土と牛のふんで作った壁の家に住み込みました。電気も水道もなく、水くみやたきぎ拾いを続けて2か月たち、師匠が「さあ弾いてみなさい」と初めて教えてくれました。
☆女性には演奏が許されていない楽器でしたね。
★師匠も村の人も私への接し方が変わってきました。滞在して8か月がたち、師匠から「アニャンゴ」(午前中に生まれた女の子)の名をもらい、数百人の前で演奏すると、村の人は大喜び。立ち上がって踊ってくれました。師匠は「これから先は遊びじゃない。私の代わりに世界中に行って奏でてきなさい」と。これが卒業試験で、2005年11月26日のことでした。
☆今年の夏はケニアでも演奏しましたね。今後の予定は?
★近くベスト盤CDがアフリカ数か国で同時発売予定です。秋から日本ツアーをするので聴きに来てくださいね。
プロフィル◇
本名・向山恵理子。東京都出身。青山学院大卒。国内のほかアフリカ、ヨーロッパなどで演奏活動。日本ケニア文化親善大使。著書に「翼はニャティティ舞台は地球」(学芸みらい社)など。ホームページ(http://anyango.com/)