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迫真ルポ 秀頼が裏切り者を城壁から突き落とす

大坂の陣の様子が書かれた文書(ハーグ国立文書館所蔵)
大阪城天守閣=中尾卓司撮影

駐日オランダ人の書簡 初確認

 徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂の陣(1614〜15年)について、駐日オランダ人が書き残した文書がオランダ・ハーグ国立文書館で確認された。国際日本文化研究センター(日文研)=京都市西京区=が21日、発表した。追い詰められた豊臣秀頼が寝返ろうとする大名を城壁から突き落としたなどと記されており、専門家は「大坂の陣の様子がうかがえる貴重な史料だ」と話している。

 オランダ東インド会社が日本での外交・貿易活動拠点としていた「平戸オランダ商館」の書簡で、一部は既に和訳されているが、09〜33年に書かれた約520点について日文研が現地の大学と共同で新たに調査していた。

 大坂の陣について書かれた文書は、豊臣家が滅亡した夏の陣の約1週間後、同社社員が長崎の平戸オランダ商館長あてに記していた。大坂城の落城直後、大坂などで大名の家臣や商人などから聞き取った情報を基にまとめたとみられる。「秀頼の数人の大名が、赦免が得られると考え、皇帝(徳川家康)側に寝返るために城に火を付けたが、彼らは逃げる前に秀頼によって、その場で(城壁から)落とされて死んだ。また、その火事を消すことは不可能であったため、戦う勇気を失っていた秀頼と他の大名たちは切腹し、それによって皇帝は(中略)城を奪還した。(中略)秀頼の家臣のうち兵士やその他の者約1万人が死んだ」などと書かれている。

 大阪城天守閣(大阪市)の跡部信・主任学芸員は「秀頼の家臣が裏切ったという記述は他の文献にもあるが、城壁から落としたという記述は見たことがない。外国人の目を通した客観的な記述という点でも意味がある」と評価する。調査にあたった日文研のフレデリック・クレインス准教授(日欧交流史)は「研究を進め、更に当時の日本の様子を明らかにしたい」と話している。【宮川佐知子】

大坂の陣

 徳川家康が豊臣家を滅ぼした戦。豊臣秀吉ゆかりの方広寺(京都市東山区)の鐘に刻まれた「国家安康」の文字が「家康」の名を分断しているなどとして、家康側は1614年11月、大坂城を包囲した(冬の陣)。しかし、豊臣側は真田信繁(幸村)らを中心に反撃し、いったんは和睦した。翌15年5月、家康が再び大坂城を攻めて落城させた(夏の陣)。秀頼と母淀殿は、この戦いで自決した。

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