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第二次大戦後に旧ソ連に抑留されて死亡したがその経緯が分からなかった愛媛県大洲市出身の元陸軍大佐が、戦犯とされて有罪判決を受けた後、1947年5月に61歳で病死した記録がロシアに残っていることが確認された。孫の男性が今月、現地を訪問して記録の提供を受けた。シベリア抑留の際に戦犯とされた日本軍幹部や公務員らは一般の抑留者と別扱いされており、死亡記録が日本側に伝えられるのは珍しい。【青島顕】
記録が確認されたのは大洲市出身の築山敬太郎さん。中国・大連で終戦を迎えた後、ソ連に抑留され、47年にロシア北極圏コミ共和国ボルクタで死亡したことが、帰還した元日本兵の伝言で知らされていたが、これまでにロシア政府から日本政府に提供された抑留者の記録に名前はなかった。
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