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2島譲渡「軍事面を考慮」

セルゲイ・フルシチョフ氏=真野森作撮影

 1956年に日ソ共同宣言が調印されてから19日で60年となる。第二次大戦で敵対した両国の国交回復は日本の国連加盟に道を開き、抑留者の最終帰還を実現したが、北方領土問題は現在も解決していない。当時のソ連指導者、ニキータ・フルシチョフ共産党第1書記の次男で歴史家のセルゲイ・フルシチョフ氏(81)=米国在住=が毎日新聞のインタビューに応じ、ソ連側が東西冷戦下の安全保障の観点から対日交渉に臨み、宣言に明記された「歯舞、色丹の2島引き渡し」も軍事面を考慮した判断だったと指摘した。【クランストン(米ロードアイランド州)で真野森作】

     フルシチョフは53年3月の独裁者スターリンの死後、徐々に権力を掌握し「平和共存外交」を打ち出した。セルゲイ氏は父と共に回顧録をまとめ、業績や思考を熟知する。「米ソ間の核戦争を避けようと平和共存路線を進め、西ドイツ、日本など旧敵との交渉にも取り組んだ。対米従属を弱められる可能性があると考えていた」と語った。

     日ソ交渉は55年6月に始まった。ソ連側は「領土問題は解決済み」と主張していたが、8月に突如「歯舞、色丹2島の引き渡しは可能」と提案。最終的に当時の鳩山一郎首相が調印した共同宣言にも「平和条約締結後に2島を日本へ引き渡す」と規定された。

     2島に関するソ連首脳部の決定について、セルゲイ氏は「クリル諸島(北方四島を含む千島列島)は大戦の結果としてソ連領となり、オホーツク海への出入りを管理する国防上の観点から重要だった。だが、歯舞と色丹はこの(防衛)ラインに位置していないため、ソ連側は日本に贈与する用意があった」と語る。譲歩の裏に冷徹な安保上の判断があったとの指摘だ。

     ロシアにとってオホーツク海は核戦略拠点の一つで、国後、択捉両島の間に位置する「国後水道」など太平洋とオホーツク海を結ぶ通路は現在も軍事戦略上の要衝だ。日ソ共同宣言を重視するプーチン露大統領は、対日交渉で安保上の観点にも重きを置いていることは確実とみられる。

     【略歴】セルゲイ・フルシチョフ氏 1935年、モスクワ生まれ。元ロケット・ミサイル開発技術者。ソ連共産党第1書記だった父ニキータ・フルシチョフが64年に最高指導者の地位を解任された後、その回顧録執筆を助けた。91年、米国への長期派遣中にソ連が崩壊し、移住。米露の二重国籍を持ち、地元大学などでロシア現代史を教えている。

     【ことば】日ソ共同宣言

     第二次大戦後、日本が米国など48カ国と結んだ1951年のサンフランシスコ講和条約にソ連は参加せず、戦争状態が継続。日ソ間で56年10月に調印された共同宣言で戦争状態が終結した。宣言は、国交回復▽平和条約交渉継続と条約締結後の歯舞、色丹2島の引き渡し▽抑留日本人全ての送還▽漁業協定の発効−−などで合意。国後、択捉の両島が交渉継続の対象となるか否かで日ソの解釈は異なった。

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