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核被害の悲惨さを訴え続ける被爆者の声に耳を傾け、平和と核廃絶を求める思いを伝えます。

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’14夏 ゆれる時代の中、平和訴え続ける(その1)

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原爆が投下された時は「防空壕に避難して無事だった」と話す大空眞弓さん=東京都千代田区で2014年7月18日、梅村直承撮影
原爆が投下された時は「防空壕に避難して無事だった」と話す大空眞弓さん=東京都千代田区で2014年7月18日、梅村直承撮影

 被爆者健康手帳を保持している数が、初めて20万人を割った。集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたが、共同通信の全国被爆者アンケートでは約54%が反対している。被爆69年の夏、高齢化した被爆者たちはいま、何を訴え、伝え残そうとしているのか。耳を傾けたい。

悲惨な記憶、心の底に--大空眞弓さん

 「割れたガラスがたくさん畳に突き刺さって、すさまじかった。『うちがこんなことに……』と怖かったです」

 原爆が投下されたとき、自宅は広島市の爆心地から西へ約10キロの場所にあった。現在の佐伯区に当たる。貿易商だった父親に連れられ、母親と姉を加えた家族4人で北京から広島に移り住んだばかりだった。5歳。記憶は断片的で、キノコ雲や光、音を見聞きしたかも定かではないが、自宅の様子は鮮明に覚えている。

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