- ポスト
- みんなのポストを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷
被爆者健康手帳を保持している数が、初めて20万人を割った。集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたが、共同通信の全国被爆者アンケートでは約54%が反対している。被爆69年の夏、高齢化した被爆者たちはいま、何を訴え、伝え残そうとしているのか。耳を傾けたい。
悲惨な記憶、心の底に--大空眞弓さん
「割れたガラスがたくさん畳に突き刺さって、すさまじかった。『うちがこんなことに……』と怖かったです」
原爆が投下されたとき、自宅は広島市の爆心地から西へ約10キロの場所にあった。現在の佐伯区に当たる。貿易商だった父親に連れられ、母親と姉を加えた家族4人で北京から広島に移り住んだばかりだった。5歳。記憶は断片的で、キノコ雲や光、音を見聞きしたかも定かではないが、自宅の様子は鮮明に覚えている。
この記事は有料記事です。
残り4527文字(全文4869文字)