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Promises 2020への約束:豊田まみ子×山田沙羅 新種目「期待を力に」

パラバドミントンの豊田まみ子(左)に、空手の蹴り技を実演する山田沙羅

Promises 2020への約束

豊田まみ子×山田沙羅 新種目「期待を力に」

 競技や世代の枠を超えた選手たちによる対談企画「Promises 2020への約束」。2020年東京五輪・パラリンピックで新しく採用されたパラバドミントンの豊田まみ子(24)=ヨネックス=と、空手の山田沙羅(22)=大正大=の2人が4年後の大舞台への夢、競技の魅力などを語り合った。【構成・田原和宏、写真・内藤絵美】

    とよだ・まみこ 1992年、福岡市生まれ。小学4年からバドミントンを始め、筑紫女学園大を経て、ヨネックス入り。バドミントンのクラスはSU5(上肢障害)。2013年世界選手権シングルスで初優勝し、15年は準優勝

     豊田 初めまして。パラバドミントン選手の豊田まみ子と言います。ヨネックスに所属しています。好きな食べ物は基本的に全部好きですが、カレーはよく食べます(笑い)。よろしくお願いします。

     山田 山田沙羅です。大正大学の仏教学部の4年生です。7歳から空手を始めて、15年続けています。趣味は岩盤浴。減量もあるのでよく使いますし、普段から結構行きます。食べ物はラーメンが好きです。よく食べ歩いています。

     ――どちらも東京大会で新たに採用される競技。採用されたことで競技人生はどう変わったか。

     豊田 2014年に東京パラリンピックからバドミントンが入ると決まりましたが、その前から入るかもしれないという話はずっとあった。私は絶対に入ると信じて練習してきたので、いざ入った時は大きな目標ができ、すごくうれしかった。大会に出たいなと思ったし、そのためにはもっともっと練習しなければいけないという思いが強くなった。

     山田 私は7歳から空手を始めた。日本一だったり、世界一だったり、大きな目標があったけど、小さな頃は空手が五輪競技になっていると勝手に思い込んでいた。だから五輪で優勝という目標は小さな頃から。今年8月に空手が追加種目で五輪に採用された。その後、採用が決まってから初めての世界選手権が10月、オーストリアで行われた。2年後の世界選手権や次の五輪につなげたいと思っていたので、注目されるなかでしっかり結果を残したいと思った。

     ――4年後を意識しながらリオデジャネイロ大会を見た。印象に残ったことは。

     山田 一番印象に残ったのは体操男子個人総合の内村航平選手の逆転優勝。ちょっと厳しいかなと見ていたが、内村選手があきらめずに最後まであの舞台で、自分の力を出し切った演技をしたのには本当に感動しました。私もその時、試合でポルトガルにいたので直接見られなかったが、帰ってきてから録画を見て、私もこういう舞台で戦いたいなと思いました。

    やまだ・さら 1994年、東京都生まれ。小学1年から空手を始め、高総体や全日本学生選手権など小中高、大学(大正大)と各年代で優勝した。今年の世界選手権では、女子組手55キロ級で銅メダルを獲得

     豊田 私はやっぱりバドミントンを中心に見ていました。特に女子ダブルスの高橋礼華選手、松友美佐紀選手の決勝戦はすごいなと思った。なかなか(2点取られたら終わりの16―19の)あの場面で、5点連続取るというのは、私だったら難しいので。あの時どういうことを考えながらプレーしているのか気になったし、もし自分がそういう場面に立ったらどういう気持ちで挑めばいいのか。いろいろと聞きたくなった。たくさん学ぶことができた。

     ――4年後の姿は想像できた?

     山田 そうですね。やっぱり想像できないことは実現できないと思っている。普段はイメージを大切にしている。東京でやるということもあり、たくさんの知り合いも応援にきてくれると思うので、勝っていろんな人に恩返ししたいなと思った。

     豊田 私はシングルスがメインなので、奥原希望選手の試合を見て私も4年後、もしかしたらこういう雰囲気の場所で戦うかもしれないと思った。テレビの前で見ていたが、自分がそこにいるかのような気持ちになって、すごく自分も緊張していましたね。こういう時、どういう気持ちでいればいいんだろうとか、この時のショットどうすればいいのだろうと考えながら見ていました。

     ――物心ついて初めて見た五輪やパラリンピックは。

     山田 どの大会が最初か覚えていませんが、空手が五輪競技ではなかったのでイメージしづらい部分はあった。本当に雲の上の存在というか、テレビで見たことしかなかったので。だから空手が今回、五輪に入ったこともあまり実感が湧かないです。

     豊田 どの五輪が最初に見たのか、私も覚えていなくて。小学校の時に卒業文集で、将来の夢を書くことがあった。将来の夢が全然決まっていなくて、バドミントンを仕事にできるのは五輪だと思った。その時はパラリンピックの存在も全然知らなかったので、これから先もバドミントンをしたいなという思いだけで「五輪に出たい」と書いた。中学、高校の頃にパラリンピックの存在を知り、パラリンピックもあるんだと思い、パラリンピックのなかにバドミントンが入ってないんだと思った。高校、大学の頃からは、パラリンピックの正式種目になってほしいという思いが強くなりました。五輪にはバドミントンが入っている。パラリンピックにも入っているものと思っていた。なぜだろうと思ったけど、競技人口だったり、まだ知られていなかったりするからなのかなと思ったので、もっといろんな人に知ってもらい、パラリンピック競技になってほしいなと思いました。

     山田 (同じ格闘技の)テコンドーは五輪にあるのは知っていて、何回か見たこともある。テコンドーを見ていても正直、私はルールが分からないので、何がポイントになって、どういう基準で勝ちになるか分からない。空手も上段の技や中段の技だったり、蹴り技だったり、見ている人はルールがわかりにくいのかなというのは競技をやる立場からも思うので。そういった意味で、もう少し分かりやすいルールに変わらないと難しいのかなと思っていた。

    パラバドミントンの豊田まみ子(右)と対談する空手の山田沙羅。対談は和やかな雰囲気で行われた

     ――空手を始めたきっかけは。

     山田 空手を始めたきっかけは家の近くに東京武道館があった。それで両親も武道をやらせたいという気持ちがあって、家の近くにも小学校を借りている道場があった。両親は私に空手と柔道のどっちをやりたいと聞いて、なぜか分からないが、空手がいいと答えたのがきっかけです。空手と言えば今までは(フルコンタクトの)極真空手がイメージされやすく、殴る、怖い、みたいに思われがちですが、私たちの空手は寸止め空手で、当たったとしても(力を)コントロールして相手に突きを当てなきゃいけない。心理戦。ただ、先に攻撃すればいいわけじゃない。そういう駆け引きが、組手をやっていておもしろい。

     豊田 痛そうですね(笑い)、ボコボコにされるんじゃないかなと。当てたらだめなんですか。

     山田 当てると反則になる。

     豊田 じゃあ、止めなきゃいけない。

     山田 はい、そうです。

     豊田 難しくないですか。絶対そのままスパーンといっちゃいそう。階級はいろいろあるのですか。

     山田 国際大会は階級で分かれていて、50キロ以下だったり、55キロ以下だったり。自分は55キロ以下ですが、軽い階級になると外国の選手もすごく素早かったり、蹴り技がすごくて変な態勢から蹴ってきたり。(得意技の)刻み突きというのは(構えた)前手で突くつきのこと。こうやって相手に届かせる突き技です。

     豊田 私は母もバドミントンをしていて、母の練習場所に私も小さい時からついて行った。母はその様子を見て、バドミントンを始めたらどうかなと考えた。私が小学4年生の時に地元の福岡にジュニアチームを設立して、私と妹が一緒に入ってお母さんがコーチ。そこから競技人生が始まった。

     山田 私も小学5年の時にバドミントンのクラブに入っていた。やっていたけどお遊び程度しか分からない(笑い)。

     豊田 バドミントンのイメージって体育の授業とか、遊びのイメージが強いと思うが、競技性が高いスポーツだということは今回のリオ五輪をきっかけに、いろいろな方に知ってもらえたかなと思う。何よりも(スマッシュのスピードが)速い。シャトルもあたるとすごく痛いんですよ。男子は初速が400キロ超えるぐらい速い。すごい迫力のあるスポーツというのは知ってほしいな。

     山田 ステップというか、足腰がすごく強くないと絶対にできないと思うけど、どういったトレーニングをするのですか。

     豊田 バドミントンは足も腰も結構使う。あと体幹も使うので走り込みとか、体力も使う。サッカーと同じぐらい運動強度も高いそうなので。バドミントン選手は太ももやお尻が大きい選手が多いですね。

     山田 ずっと動いてますよね。

     豊田 動いていますね。ずっと低い体勢でいないといけないので相当、足とか使いますね。

     山田 試合が長時間になることもありますよね。絶対疲れるだろうな。

     豊田 空手の試合時間はどれぐらいなんですか。

     山田 基本的に2分ですが、「やめ」がかかると時計が止まるので、長ければ5分近く戦っていることもありますが、ずっと攻撃しているわけでもない。自分の体力を知った上で試合を組み立てないと後半ばててしまう。

    パラバドミントンの豊田まみ子(右)

     ――豊田選手は働きながら競技を続けていますね。

     豊田 今は午前中に出社し、午後から自分の練習というスタイルが多いのですが、自分で自分の練習スケジュールを立てている。けれども選手のなかには普通に仕事をして、定時に仕事を終えて、夕方から練習する選手もいる。障害者スポーツの課題は、そういう練習環境を整えること。最近は東京大会に向けていろいろな企業の方が応援やバックアップをしてくださっている。アスリート雇用という制度があり、企業に所属しながら自分の練習に自由に時間をあてていいというものですが、そういう選手が結構増えている。練習できるということを自分の就職活動では一番大切にしていた。昨年は販売促進部。ラケットやウエアを持参して、大学やレディースの練習会に参加させてもらい、自分も打つのですが、その時にこういうラケットがありますよと試打してもらったり。仕事も練習もできて、すごくありがたいなと思いますね。

     ――山田選手は4年生。進路は。

     山田 空手が五輪に採用されたので、企業や大学から声が掛かっているのですが、どの道にいくか決めていません。まだ悩んでます。世界選手権で優勝した選手らは仕事が午前中だけで、午後は練習に充てるなど環境が整っていると思いますが、まだ空手はマイナー競技というか、あまり知られていない。空手もそういうふうにアスリート雇用が進めばいいなと思う。

     豊田 バドミントンもマイナー競技だけど、だんだん盛り上がってきた。新競技なのでこれから応援してもらったり、注目されたりすると思う。

     ――豊田選手は大学卒業後、福岡から東京に。環境を変えることへの不安は。

     豊田 やはり目標があったから東京に行こうと思えたのかな。就職活動の時はちょうどパラリンピック競技に入るか入らないかという時期。入ると信じて、就職活動ではいろいろな企業の方にそのことを伝えた。ヨネックスはバドミントンですごく有名なメーカー。社員として東京パラリンピックに出場したい。これは入社後に思ったことですが、会社に何かしら恩返しをしたいし、大会後も会社の仕事に携わりたいという思いもある。就職活動の時は東京パラリンピックに出場したい思いだけ。東京パラリンピックを盛り上げるためには、やっぱりいろいろな方に知ってもらわないといけない。福岡にいるとなかなか機会も少ないと思っていたので、思い切って東京でメディアの方や講演会などを通じて知ってもらいたいなという思いが一番にあったから。その思いだけで就職活動をしていました。

     ――山田選手は小中高、大学といずれも個人で日本一。挫折の経験は。

     山田 高校までは出来過ぎなくらい、思い通りに全ていった感じ。全ての年代で優勝するのが目標だったわけではなく、目の前の試合に勝ちたいという気持ちでやって良い結果が続いたと思う。大学では強い先輩がいたり、高校の時とポイントの取り方が変わったり。大学には大学のルールがあり、高校から大学の組手に切り替えるのがすごく難しかった。なかなか思うような結果が残せなかった。大学でも4連覇という大きな目標を持ってやってきんですが、1年から3年までは本当に勝てなくてつらい時期もあった。自分はやればできると信じて、自分を信用してくれる先輩や部員がいたから、あきらめないで頑張れた。4年生になってやっと優勝できた。一番上の学年になり、自分のことだけ頑張ってもだめだと感じた。主将だったので、周りのこともしっかり見ないといけない。自分だけ一生懸命頑張っても、チームが勝てるわけじゃない。周りのことも見るようになり、それまでは自分がばっちり勝ちたいとか、負けたくないとか思ってたんですけど。4年生になって恩返しをしたいという気持ちでやっている。気持ちの変化も大きかったのかなと思う。

    パラバドミントンの豊田まみ子(右)と空手の山田沙羅。2020年東京大会で新たに採用される競技で、ともに出場を目指す

     ――天才肌それとも努力家。

     山田 自分は不器用なタイプで、練習しないとまったくできない。才能は本当にないと思う。本当にこつこつやっていかないとできないタイプ。それでも3年間ずっと勝てなかったので、それじゃ足りないんだなと気づいた。人の倍やっても足りないならそれ以上にやらないといけないなと4年生になってから思いました。

     豊田 いや、もう同じです。才能なんてこれっぽっちもないです。私は小学4年から競技を始めたんですけど、周りの同級生とかはどんどん成績を残して離れていくのが分かる。焦ったりもするのですが、自分はそういうタイプじゃないと思っていた。地道に目の前のことをこつこつとやっていけば、いつかは良い成績を残すことができる、そういう人たちにも勝てると信じてやってきた。

     私は自分の障害をあまり意識せずに過ごしてきた。今は体のバランスが悪いとか、コートで体勢が崩れやすいとか言われるが、小中学校の時はそういうことも全然感じなかった。高校の時に手押し車とか両手を使うトレーニングができず、みんなと一緒のメニューができなくて悔しい思いをしたことはあったが、大変だという思いは感じなかった。私以外の同級生はみんな特待生で、バドミントンをするために集まっていた。そういう意味で、みんなのレベルについていくので精いっぱい。こんなにありがたい環境はなかった。お手本となるプレーヤーが近くにいるというのは。先輩や同級生のプレーを見て勉強していました。

     ――初対面ですが、お互いの印象を。

     豊田 すらっとしているなって。イメージなんですが、柔道など格闘技の選手って身長が小さい人が多い。私も結構、背が高いと言われるのですが、それよりも高いのでびっくりしました。

     山田 第一印象は卓球の石川佳純さんに似ているなと。似てませんか?

     豊田 最近髪切ったんですけど、髪切ってから言われるようになりました。

     山田 しっかりしたお姉さんという感じ。(みずほフィナンシャルグループの)CMも見ました。スポーツをしているので、スポーツ選手が出ているCMは結構見ていて、実際に会うと女の子らしいというか。

     豊田 恥ずかしい。でも初めてだったので最初は緊張しました。すごく楽しかったです。いろんな貴重な経験をさせてもらったので、すごく楽しみながら撮影することができました。

     山田 五輪などを目指す選手は食事の面とかすごく気を使っている印象ですが、メニューはどうしていますか。

     豊田 そうですね。私は管理栄養士さんについてもらっているので、毎日3食(の写真など)を送って、これが足りないというアドバイスを頂いている。今日足りなかったものは明日食べようというふうに。毎日、栄養士さんと連絡を取っています。まだまだ量が足りないとよく言われる。バランスの良い食事にはだいぶ慣れて取れるようになったのですが、もう少し量を増やしてと言われているので。スポーツ選手は結局、食べて体を作るので、食べないといけないなとすごく感じる。

     山田 私はすごく食べるんですよ(笑い)。気にしてはいるんですけど、管理栄養士がついているわけではないので。ナショナルチームの合宿の時に食事指導があって、その時にアドバイスをもらっているのですが、ご飯の量とかものすごくて、食べ過ぎとびっくりされるくらい。その分、動くようにしてます。もうちょっとしっかり管理しようと思います。どのぐらい食べる? 部内でもすごい大食いで、男子よりも食べるって(笑い)。麺類がすごく好きで。つけ麺とかすごく好きなんですよ。一番食べた時は900グラムくらい食べちゃって。周りにひかれるくらい(笑い)。

     豊田 練習やトレーニングではどんなことを意識している?

     山田 世界選手権など海外の選手とやると、すごく日本の選手の動きが見やすいというか分かりやすく感じる。大正大の空手部ではナショナルチームにいるのが自分だけ。ナショナルチームの練習や海外に行って感じたことを部員に伝えるようにして、知らない世界を知ってもらい、みんなでレベルアップできるようにしてます。

     豊田 映像は撮ってますか。

     山田 そうですね。試合のない選手が撮ってくれたり、自分も交代で撮ったりしているのですが、今は(動画投稿サイトの)ユーチューブですごい試合も見られるようになり、海外の選手の動きも研究しています。

     ――山田選手はこれまでパラリンピック競技にどういう印象を持っていましたか。

     山田 この間の世界選手権で初めてパラ空手を見させてもらったんですが、すごく思ったことは自分たちと変わらないなと。同じ目標に向かって、世界一を目指していることが試合を見てすごく伝わってきた。日本の選手にも目の不自由な選手がいて、視覚障害者の部で形に出場していた。実際、目をつむって形を打つだけでも難しいのに、それがジャンプしても全くずれることなく跳べることにすごく感動した。また会場もパラ競技とか関係なくすごく盛り上がった。そのことにもすごい感動というか、温かいなと思って。障害者というくくりではなく、自分たちと全然変わらない。同じメダルを持ってそう思った。今回も対談させていただいて普通のお姉さんだったので。

     豊田 私はこんなに分かりやすい障害なのに、周りからは障害を忘れちゃうと言われる。

     山田 全然分からなかった。違和感がまったくなくて。

     豊田 普通にバドミントンしている時も気づかなかったと言われたこともあって、それはおかしいでしょって思ったんですけど。結構気づかれにくいんですよね。

     山田 途中まで忘れてました。話す機会も今までなかったので貴重な経験でした。

     豊田 年々パラリンピックについて知ってもらえる機会が多くなったと思います。特にイベントだったり、メディアに取り上げてもらえたりするようになった。でもまだまだ足りないなと思うし、まずは見てもらうことが一番。私自身、普及活動でいろいろなところに行かせてもらい、講演会をさせてもらってるのですが、もっともっと積極的に行いたい。バドミントンが東京パラリンピックの正式競技に入ったこともまだ全然知られていない。そもそも競技自体があまり知られていない。障害別にクラスがあり、車いすのクラスなどはルールが少し違う。ヨネックスの社員ということもあるし、バドミントンをしている人にまずは知ってもらいたい。同じ競技でこういうスポーツもあるんですよと。

    パラバドミントンの豊田まみ子(右)と空手の山田沙羅

     ――4年後の自分の姿は。

     山田 今回の世界選手権はシニアになって初めての出場だったのですが、55キロ級は強豪選手が多くて優勝争いが激しい階級だった。優勝はできなかったけど3位になれたことは自信につながった。4年後は東京五輪ということで、私は生まれも育ちも東京。地元でたくさんの人に応援してもらいながら、お世話になった方々に恩返しの意味も込めて、金メダルを見せることができたらいいなと思う。

     豊田 福岡でお世話になった方々も東京パラリンピックを見に行くよと言ってくれる。本当にたくさんの応援の方が来てくれると思うので、みなさんの前で金メダルを取る瞬間をお見せしたい。それが一番の恩返し。皆さんへの感謝の気持ちを伝えることができればいいなと思います。