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基壇跡発見、由義寺の塔遺構とほぼ断定

由義寺の塔の基壇跡が確認された東弓削遺跡=大阪府八尾市で、本社ヘリから小関勉撮影

八尾市教委が発表

 大阪府八尾市の東弓削(ひがしゆげ)遺跡を発掘調査していた同市教委は9日、塔の土台部分にあたる基壇が見つかったと発表した。専門家は「続日本紀(しょくにほんぎ)」に記載がある由義(ゆげ)寺の塔の遺構とほぼ断定。これまで幻とされていた由義寺が実在し、巨大な塔を伴っていたことが確認された。

 由義寺は称徳天皇のそばで権力を握った僧、道鏡(不詳~772年)が建設に関わったとされる寺院。東弓削遺跡では昨年、奈良時代後半につくられた大量の瓦が見つかり、近くに建物の遺構があるとみて調査が続けられていた。

 基壇は1辺約20メートルの正方形。高さ約100メートルともいわれる東大寺七重東塔の基壇(1辺24メートル)よりは小さいが、大安寺七重塔の基壇(同20.4メートル)に匹敵する大きさ。平城京の東大寺や興福寺と同型の瓦が多く出土しており、国家寺院と判断できる。塔は七重塔である可能性が高いという。木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「基壇の大きさや、平城京の瓦、続日本紀の記述などを総合すると、由義寺の塔とみてまず間違いない」としている。

 基壇の造成には、粘質土と砂質土の層を交互に重ねて上から突き固める「版築(はんちく)」という工法が用いられ、高さ約70センチの層が確認された。実際には1.2~1.5メートルあったとみられる。柱を支えていた礎石とみられる巨石も見つかった。

 「続日本紀」には、770年に「由義寺の塔の建設に伴い、その労に従って諸司、雑工ら95人に位階が与えられる」と記されている。由義寺に関してはこれが唯一の記述で、その位置や大きさ、塔が完成したかも明らかになっていなかった。

 今回の調査では、基壇の周りから凝灰岩の切石の破片が多数出土。凝灰岩で基壇を装飾する作業は塔建築の最終工程とされ、塔が完成していたと判断できるという。滝浪貞子・京都女子大名誉教授(古代史)は「続日本紀の記述を裏付ける発見。考古学の見地から塔が完成している事実がわかり、幻の寺とされてきた由義寺の実態を解明する上で貴重な史料」としている。

 八尾市教委は遺構の保存に向け、国や大阪府と協議を開始した。現地説明会は11日午前11時~午後3時、八尾市東弓削153の1の東弓削遺跡調査事務所で。問い合わせは同市教委文化財課(072・924・8555)。【遠藤浩二】

 【ことば】由義寺

 奈良時代の僧・道鏡出自の弓削氏一族の氏寺「弓削寺」として、742年以前に建立されたとされる。称徳天皇の信頼を得た道鏡は法王となり、弓削氏一族がいた周辺には西京(にしのきょう)と位置づけられた「由義宮(ゆげのみや)」が置かれ、弓削寺も由義寺として整備された。

格の高い基壇だが、基壇だけでは断言できず

 箱崎和久・奈良文化財研究所遺構研究室長(建築史)の話 高さからみて格の高い基壇で、塔が完成していることは間違いない。ただ、基壇だけでは由義寺の塔とは断言できず、何重の塔かも確定できない。今後、木簡や墨書(ぼくしょ)土器など文字史料で確認できれば、由義寺の存在が確実になる。寺の性格がわかる金堂や回廊など、伽藍(がらん)配置の解明にも期待したい。

この大規模な基壇、由義寺以外に考えられない

 元奈良文化財研究所所長の田辺征夫・大阪府文化財センター理事長(考古学)の話 現地を見たが、塔の基壇の大きさに驚いた。天皇の勅願でできた大安寺と同規模であり、天皇が肩入れしない限り作ることはできない。この場所にある大規模な基壇は由義寺以外には考えられない。伽藍配置もかなり大きいと考えられる。行政は国の指定を受けることも視野にこの地域を調査する必要がある。

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