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あさま山荘事件の巻

それは1972年2月19日に始まった 連合赤軍とは

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火達磨くん、今日のランチはベンチでカップ麺。 文太さんはカップ麺を見ると「あさま山荘事件」を思い出すそうです。 1972年2月19~28日、「連合赤軍」のメンバー5人が長野県軽井沢町の「あさま山荘」で、管理人の妻を人質に立てこもった事件です。 「連合赤軍」とはどんな組織だったのでしょうか。 その昔、「国際共産主義」というものがありました。 ソ連から世界に共産主義革命を輸出する運動のことです。 しかし、ソ連共産党はやがて自国の国造りを優先し、各国の共産党もそれに従いました。
そんな中、「共産党が革命をしないなら自分たちで起こそう」と考える「共産主義者同盟(共産同、ドイツ語でブント)というグループができました。 「共産同赤軍派」もその一つ。 世界同時武力革命を起こそうと主張していた、いわば原理主義組織です。 「連合赤軍」と「赤軍派」はどう違うのでしょうか? 赤軍派は1969年に結成されました。 翌1970年3月、塩見孝也議長は逮捕。 その直後、田宮高麿(故人)ら9人がハイジャック事件を起こし北朝鮮に亡命します。 「よど号」ハイジャック事件です。 国内に残ったメンバーは派出所などを襲ったり、山岳アジトで武闘訓練を行ったりするうちに 逮捕者が増えたため、別の過激派と合流しました。 「連合赤軍」は「赤軍派」が分かれた小グループの一つと、京浜安保共闘などが合流してできた組織です。 「赤軍派」から分派したグループの中には、重信房子受刑者らが所属した「日本赤軍」もありました。 赤軍派は「M(マフィア)作戦」と称して金融機関を襲い、活動資金が豊富でした。 一方、京浜安保共闘は毛沢東主義の武闘派。 銃砲店などから武器を強奪していました。 連合赤軍のリーダーは主に2人。 ・森恒夫(赤軍派)…逮捕・起訴後に自殺 ・永田洋子(京浜安保共闘)…死刑確定後に獄中で死亡 二つの組織は合流後、主導権争いが起き、ささいなことでいがみ合っていたようです。
71年以降、メンバー約30人は関東近辺の山岳アジトに潜伏。 72年2月、群馬県内各地で「異臭を放つ若者の集団がいる」という目撃情報が相次ぎました。 群馬県警は山狩りで永田と森の幹部2人を逮捕。 残りのメンバーは逮捕者を出しながら移動を続け、最終的に5人が「あさま山荘」にたどり着きました。 長野県警に加え警視庁や警察庁が現場入りし、山荘を包囲。 5人はライフルなどを発砲し、抵抗しました。 10日目、警察は重さ1.7トンの鉄球で壁を壊し突入。 人質を救出し5人を逮捕しましたが、警官2人と市民1人が犠牲になりました。 NHKはこの様子を計10時間18分にわたり中継。 民放各社も含めた合計視聴率は約90%に達しました。
待機中の機動隊員が食べる様子もテレビで映され、カップ麺が有名になったというわけです。 より衝撃的だったのは、逮捕後の取り調べで、「総括」と称し仲間14人を殺害したことが判明したことです。 「自己批判」を強制し、その戒めにリンチを実行。 あまりのむごさに、一般の人の心は「左翼」から離れてしまいました。 理想社会を目指したはずの若者が、組織内の自由や人権平等を踏みにじっていたのです。 高度成長を経て左翼運動が孤立化したという背景もあります。 さすが元刑事の文太さん。 「現場で指揮した人の説得力は違うッスね」と火達磨くんは感心しきりですが…。 あれ、文太さん、おいくつでしたっけ?

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