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見つめ続ける大震災:東日本大震災から6年、被災地の今

見つめ続ける大震災

東日本大震災から6年、被災地の今

 甚大な被害を出し、風景を一変させた東日本大震災。その発生から11日で6年を迎える。毎日新聞は震災直後から、岩手、宮城、福島3県の沿岸部の上空から、そして陸上で、その変化を記録し続けてきた。

     時の経過とともに変貌を遂げた被災地の景色。どの被災地の、どの地点が、どのように変わったのか?

     時を刻んだ無数の写真。それらをつなぎ合わせ、「被災地の6年」を振り返る。

    岩手県陸前高田市

    「奇跡の一本松」震災遺構として整備へ

     東日本大震災による大津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市内の中心部。震災から6年がたち、一面でかさ上げ工事が進んでいる。

     一方、沿岸部では津波に耐え、市のシンボルとなった「奇跡の一本松」が今も立っている。地震による地盤沈下の影響で、海水につかり根腐れして枯れたものの、市は被災者の希望になるとして受け継ぐことを決断。世界中から寄付を募り、2012年9月に伐採した後、防腐加工して13年6月に復元した。

     復元後、周囲にはバス高速輸送システム(BRT)の駅や土産物屋も完成。市のシンボルとなり、夜間はライトアップされるなど観光の中心となっている。周辺は今後、他の震災遺構と併せて整備が進められ、20年度をめどに国営の追悼・祈念施設が完成する予定だ。

    (写真上)かさ上げ工事が進む陸前高田市。かつて高田松原の景勝を誇った海岸沿いには防潮堤が建設されている。中央が「奇跡の一本松」=岩手県陸前高田市で2017年2月16日、本社機「希望」から徳野仁子撮影

    (写真下)津波に流された高田松原の中で唯一残った「奇跡の一本松」=岩手県陸前高田市で2011年4月29日、本社ヘリから石井諭撮影


    宮城県名取市閖上地区

    がれきの海から更地、そして復興へ

     津波による濁流で、見渡す限りの光景があっという間に濁流にさらわれた名取市閖上地区。押し寄せる津波と引き波がぶつかり合い、一体はがれきで埋まった。それから6年、一度は更地になった地区ではかさ上げ工事が進み、宅地の造成も始まっている。

    (写真上)復旧工事が進む宮城県名取市閖上地区=2017年3月3日、本社ヘリから猪飼健史撮影

    (写真下)津波は倒壊家屋を巻き込み、流されながら白煙を上げて燃える民家も見えた=2011年3月11日午後4時8分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影


    福島第1原発

    増え続ける汚染水タンク、続く「終わり見えぬ闘い」

     震災と津波によって大事故を引き起こした東京電力福島第1原子力発電所(福島県大熊町、双葉町)。発生から6年近くたつが、事故収束と廃炉に向けた「終わりの見えない闘い」はまだまだ長く続く。時の流れとともに、上空から見える姿も大きく変わってきた。

    (写真上)震災、事故発生から6年を迎える福島第1原発。汚染水を貯蔵するための、色や形状もさまざまなタンクが次々と建ち、構内のかなりの面積を占めている。奥に並ぶ(左から)1~4号機の外観も、作業の進み具合によってさまざまだ=2017年3月3日、本社ヘリから後藤由耶撮影

    (写真下)震災発生翌日、上空から見た福島第1原発。並んでいる原子炉建屋は、1号機(中央右)を除くほとんどが、カバーをきれいな状態で残していた。その後、水素爆発などで次々と姿を変えることになる=2011年3月12日午後3時55分、本社機から貝塚太一撮影


    岩手県山田町

    焦土からの復興、漁業再建へ

     山田町中心部は津波後の火災で焼き尽くされた。風光明媚(めいび)なリアス式海岸で有名な三陸海岸のほぼ中央部に位置し、養殖を中心とした漁業が盛んな町だったが、漁港や養殖施設、水産加工施設なども大きな被害を受けた。

     震災から6年。漁港に面した施設の再建も進み、復興に向けた歩みが始まっている。

    (写真上)火災で焼けた岩手県山田町の中心部ではかさ上げ工事が行われていた=2017年3月9日、佐々木順一撮影

    (写真下)大津波とその後の火災で岩手県山田町は壊滅的な被害を受けた。町の中心部は火災で焼け焦げた臭いが漂い、辺り一面黒いがれきの山に覆われていた=2011年3月16日午後0時1分、森田剛史撮影


    宮城県南三陸町

    「遺構」保存、分かれる賛否、変貌する風景

     震度6弱を記録した宮城県南三陸町。津波は町内の三つの川を逆流して内陸部深くまで到達し、庁舎や民家をのみ込んで町は壊滅的な被害を受けた。

     6年がたち、町ではかさ上げ工事のための車両が絶えず行き交う。町職員ら43人が犠牲になった防災対策庁舎周辺の風景も大きく変貌。庁舎を震災遺構として保存するかどうかは町民の賛否が分かれており、町は時間をかけて議論する方針だ。

     仮設商店街として昨年末まで営業していた「南三陸さんさん商店街」が今月、沿岸部の造成地へ移転し、常設の商業施設としてオープン。津波で壊滅的な被害を受けた町の市街地を再生する中核施設として期待されている。

    (写真上)かさ上げ工事などの復興工事が進む南三陸町=宮城県南三陸町で2017年3月8日、佐々木順一撮影

    (写真下)津波によって壊滅的な被害を受けた南三陸町=宮城県南三陸町で2011年3月13日、三浦博之撮影


    福島県南相馬市

    消えた破壊の跡、広がる静寂

     津波で大きな被害を受けた、福島県南相馬市原町区上渋佐の海岸近くの農地。発生直後には原形をとどめないまでに破壊されたさまざまな物が転がり、無秩序な光景となった。片付け作業や復旧工事が進んだ今では、対照的に静かで整然とした風景が広がる。

    (写真上)発生から6年。道路の表面もきれいに保たれ、2012年には奥にうずたかく積まれていた土砂の山も、工事の進捗(ちょく)で、姿を消した=2017年3月9日、宮武祐希撮影

    (写真中)発生から1年近くが経過すると、一帯は見違えるほど片付けられていた。震災後に地面を覆っていた、土砂や流木などはすっかり姿を消し、草も刈られた。海側(奥)では大規模工事も始まり、大きな土砂の山の周りで多数の重機がさかんに稼働していた=2012年2月15日、武市公孝撮影

    (写真下)発生から一夜明けた朝、津波の引いた地面に朝日がまぶしく反射する一帯には、ひっくり返った車や大量の流木などが見渡す限り散乱していた。1日にして変わり果てた景色を、地元の人々が心配そうに見回っていた=2011年3月12日午前7時50分、武市公孝撮影