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<なぜトキやコウノトリは滅びたのか>三浦慎悟・早大教授に聞く(中)

環境庁が残った5羽の捕獲作戦を開始する前年、そろって姿を現し優美に舞うトキ=新潟県両津市(現佐渡市)柿野浦で1979年12月4日、岡崎一仁撮影

 トキとコウノトリはいずれも文化財保護法(文部科学省・文化庁所管)の特別天然記念物で、種の保存法(環境省所管)の希少野生動植物種でもある。コウノトリの野生復帰は兵庫県豊岡市を拠点に文化庁や同県が主体となって進められ、トキは環境省が新潟県佐渡市などを拠点に取り組んでいる。新潟大学でトキ初放鳥の道筋作りに携わった早稲田大学人間科学学術院人間環境学科の三浦慎悟教授は前回、「トキやコウノトリがかつて生息した地として、日本は失われたものの修復を果たすべき責任を負っている」と説明してくれた。そこで、三浦教授に聞く二つ目の質問は<なぜトキやコウノトリは滅びたのか>。【まとめ・青木浩芳】

兵庫県豊岡市付近に残存するコウノトリ=1961年4月撮影

 野生復帰させるためにはまず、なぜ滅びたかを突き止めなければならない。

 大型野生鳥獣と人間は長い間、あつれきとせめぎ合いを繰り返してきた。狩りと猟の時代、私たちの祖先はシカやイノシシ、サルなどを捕り、肉も毛皮も骨も利用してきた。農耕が始まると、動物を家畜化して食料としてのみならず労働力としても利用するようになる。一方で、野生のシカやイノシシなどは田畑を荒らす害獣として人々を脅かした。領主や大名の巻き狩りは、軍事的な示威行動であるとともに有害鳥獣駆除でもあった。毛皮や肉が利益をもたらすクマやシカなどは藩が管理、庶民が撃ったら厳罰に処された。

 無制限に狩猟していたわけでもないようだ。クマ狩りの「マタギ」は、地域ごとに頭数が割り当てられ、「残雪期の春グマ」「オスのみ」「子連れ以外」など狩猟対象も細かく定められて、「取り尽くさないための」地域ルールが編み出されていった。めでたいことが起こる前兆、「瑞鳥」としてコウノトリや鶴を大切にする地域もあった。トキも享保・元文諸国産物帳(1735年)には「トキ色の羽を我が藩産物」としるされ、国内に1万羽以上いたともいわれている。ところが、幕末の開国とともに、大型鳥獣をめぐる環境は一変する。

 ヨーロッパでも中世以降、狩猟は政治的システムの中に位置づけられてきた。ノロジカなどの猟は領主が国王を接待するための有効な手段で、「森の管理」とは密漁を取り締まり、適正数の狩猟獣を維持管理することだった。しかし寒冷地ヨーロッパでは毛皮の商品価値が高まり、17世紀以降、英、仏、スペイン、オランダが競って北米東海岸に進出。ビーバーやシカ、キツネ、カワウソなどの毛皮を、最初は先住民との交易で手に入れていたが、やがてはハンターを雇って乱獲を重ねるようになった。肉や卵が食料となる鳥も狩猟の標的とされ、北米では19世紀から20世紀初頭にかけてオオウミガラス、カササギガモ、カロライナインコ、ヒースヘン、リョコウバトなどが絶滅。哺乳類でもバイソンやプロングホーンが絶滅の危機に追いやられ、家畜を狙うオオカミも有害鳥獣として駆除され尽くした。北米西海岸からは、ラッコの毛皮を狙って帝政ロシアが進出していた。

 大型鳥類の羽毛も商品価値が高まった。19世紀後半、欧米では女性用羽根飾り帽子が爆発的に流行し、ロンドンやパリの婦人たちはビーバーハットやサギの一本羽帽を争って買い求めた。1886年、米の鳥類学者フランク・チャップマンはニューヨーク・マンハッタンで帽子姿の婦人700人とすれ違い、トキ、コウノトリ、極楽鳥、ハミングバードなど40種類もの鳥の羽が確認できたという。

 幕末日本は開国により、過熱する大型鳥獣の国際取引のまっただ中に放り出される。開国当初の輸出品が生糸や茶、陶磁器などに限られるなか、シカやイタチ、ウサギ、ラッコの毛皮や、アホウドリ、トキ、コウノトリなどの羽毛は高値で取引された。密猟に対するお上の厳罰もなくなったうえ、火縄銃から村田銃へ道具の進化も加わり、大乱獲が行われるようになる。政府は1892(明治25)年に狩猟規則を制定。基本理念は「狩猟産業の育成」「有害鳥獣駆除」で、「鳥獣保護」よりも殖産興業という思想は今も底流でつながっている。このとき、トキは数が多いからという理由で保護鳥指定が見送られ、コウノトリは保護鳥となった。

 トキの羽は欧米で引っ張りだこだった。トキの生息数は大正時代初頭に激減しており、林野庁「鳥獣行政の歩み」(1962年)には「トキの翅羽(しう)は羽箒(はねぼうき)や毛鉤(けばり)の材料として重要な輸出品である」「海外への婦人帽の羽飾りの需要が増え、密漁や乱獲が目に余る」と記述されている。

 また、アホウドリは欧米で羽根布団の原料として重宝された。主要な生息地であった鳥島では、八丈島出身の実業家、玉置半右衛門が労働者を雇い、1902年の鳥島噴火で島から脱出するまで15年間で500万羽以上を撲殺したという。横浜から欧米に向け、ウィンケル商会が50万羽輸出したという記録も残っている。

電柱上に巣作り。人がいても平気なコウノトリ=1959年5月12日撮影

 日本の広い範囲に生息していたトキやコウノトリは、明治以降の大乱獲で小さな地域ごとの集団に分断化された。一時絶滅したと考えられていたトキは、特別天然記念物に指定された1952(昭和27)年に佐渡と能登で24羽を確認。コウノトリも兵庫県但馬と福井に残るのみとなり、特別天然記念物となった56(同31)年には20羽まで減少した。

 絶滅へとどめを刺したのは、戦後の農薬・化学肥料大量使用や、水田の大規模・水平化、乾田化を進めるほ場整備だった。食糧増産のかけ声のもと、トキやコウノトリの餌になる水生生物は農薬で姿を消し、水田は冬に水を抜かれて貴重な冬の餌場も失った。さらに、河川もコンクリート三面張りが進み、水生生物をはぐくむ力をそがれていく。ようやく捕食した餌生物の体内には有機水銀などが残留しており、トキやコウノトリの体をむしばんでいった。コウノトリは71(同46)年、豊岡で野生最後の1羽が保護されたが死んでしまった。トキは81(同56)年、佐渡で5羽すべてを捕獲、野生絶滅の時を迎えた。

 これ以降、長い苦難と試行錯誤を経てそれぞれ人工ふ化、繁殖に成功。コウノトリは2005(平成17)年に豊岡で、トキは08(同20)年に佐渡で、それぞれ最後を迎えた地から野生復帰という新しい一歩を踏み出した。(つづく)

三浦慎悟(みうら・しんご)

 早稲田大学人間科学学術院人間環境学科教授。理学博士(京都大学)。1948年生まれ。東京農工大学大学院農学研究科修士課程修了。兵庫医科大学医学部、森林総合研究所、新潟大学農学部を経て現職。前日本哺乳類学会会長。著書に「日本の哺乳類」(共著、東海大学出版会)、「哺乳類の生物学④ 社会」(東京大学出版会)、「ワイルドライフ・マネジメント入門」(岩波書店)など。動物行動学、野生動物保全管理学を専門とし、フィールドワークで明らかになる野生動物の生態や行動を、保全と管理に役立てることをライフワークとしている。

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