毎日新聞
武家の家督(かとく)を継いだまじめな兄が弟に聞いた。「お前はこれから先、何になるつもりか」。弟は答えた。「まず日本一の大金持ちになって、思うざま金を使うてみようと思います」。忠孝一筋の兄は苦い顔をした▲弟は福沢諭吉(ふくざわゆきち)である。その兄は40両の借金を残して早世したが、諭吉は漢学者だった父の残した蔵書類をはじめ家財一切をきれいさっぱり処分して借金を返済した。これにより諭吉は文字通り「独立自尊」を手に入れることができた▲だがさすがの諭吉も、自らの顔が大金持ちに思うさまに使われる世がくることは想像できなかったろう。もちろん送金や決済は多くが電子化された今日である。なのに諭吉の肖像のある「現金」がものをいう世界は依然、健在らしい▲「1万円札5枚で5万9000円」。聞けば驚くが、諭吉のお札の写真入りでこんな売買が持ちかけられていたという。不用品売買のスマホのアプリやネットのオークションサイトに現金が出品され、売買されていたという話である▲すぐに現金の欲しい買い手がクレジットカードで決済し、利用枠を現金化していたらしい。運営元は「マネーロンダリング(資金洗浄)のおそれがある」と現金の出品を禁止し、監視を強めるという。何ともあやしい“現金取引”だ▲先日は福岡市で運搬中の3億8400万円が強奪され、同じ日にたまたま7億円を運んでいた男らが空港で取り押さえられた。どうやら世人の想像以上に思うさまに使われているらしい諭吉の顔である。