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連載小説 ストロベリーライフ

/56 何を為すために自分は生まれたのか。 作・荻原浩 画、佃二葉

=画、佃二葉

 『富士望月いちご』の販売は「収穫できしだい順次出荷」とあらかじめ断り、到着日はこちらに任せてもらうシステムだ。朝採りした苺(いちご)をただちにパッケージに詰めて出荷する。送料は別。

     完熟苺が一般に出まわらない理由のひとつは、輸送が難しい点にある。宅配用のパッケージづくりは苺をつくるのと同様、試行錯誤の繰り返しだった。製作を依頼した学生時代の友人のプロダクトデザイナーには、ずいぶん無理を言った。

     採用したのは桃の輸送方法を苺用に改良したやり方だ。苺ひとつひとつにフルーツキャップと呼ばれる発泡スチロールのネットをかけ、卵パックの下半分のような紙製の中敷きにひと粒ずつ収める。さらに紙パッキンやクッションシートなどの緩衝材で全体を覆う。苺と富士山を筆絵のタッチで描いたパッケージデザインはもちろん恵介(けいすけ)作。

     価格を高く設定したのは、農家が投じる労力と専門技術に正当な評価が欲しいためだが、けっしてぼったくりじゃない。実際にひと粒ひと粒にコストがかかっているのだ。

     苺狩りにどのくらいの集客が見込めるのかは、まったく不明だが、週末に収穫のピークがくるように育てたとしても平日には完熟苺が余ってしまうに違いなかった。だから、ネットとは違う販売ルートも開拓している。飲食店への売り込みだ。

     最初に話を持ちかけたのは、農協通りのイタリアンの店。収穫が始まったら試食をしてもらう約束になっている。バイトをしていた誠子(せいこ)ネエの口ききだ。「まかしときな。あそこの店長、あたしに惚(ほ)れてるみたいだし」誠子ネエなら、ありうる。

     駅近くの洋菓子店は、オーナーが剛子(たかこ)ネエの中学時代の同級生。「話しといただよ。あそこの店長、昔、私に惚れてたから」こっちは勘違いだろう。

     ケーキやデザート用の苺は大粒すぎては使い勝手が悪く、多少酸味があるほうが味が引き立つそうで、こちらには大玉以外の苺を提供する予定だ。

     もちろん、すべてが皮算用であることはわかっている。なにしろ現物が存在しないまま大見得だけ切っているわけだから。

     恵介は第一ハウスの南の隅へ向かう。知らず知らず早足になっていた。そこには、今年の一番果が実っている。

     今シーズンの苺の味見をするのは初めてだった。一刻も早く確かめたいのを、大玉が完熟するまでは、と我慢していたのだ。

     最初に出蕾(しゅつらい)する頂果房の苺はえてして不格好なものだが、この実も鶏のトサカのような形をしている。茎がぴんと伸びるほど重そうに垂れていた。緑のへたの真下まで赤く、へたが上に反りかえっているのが完熟の証。

     祈りをこめて手折った。苺とは思えないほどずしりと重い。持ってきた計量器に載せてみた。

     52グラム。

     まず、平均的な味をみるために横齧(かじ)りする。完熟苺を知るまでの恵介は、苺は酸っぱい果実だと思っていた。でも、本当の味はそうじゃない。最初に酸味を感じるようではだめなのだ。甘さのあとにほのかな酸味が追いかけてくるのが良い苺だ。

     うん。

     続いて、甘味の強い先端だけを小さく齧り、果肉をソムリエのように舌先でころがした。

     べたついた甘さではなく、口の中で淡雪のようにとけていく甘味(あまみ)。今年一年の苦労をとろかしてしまう甘さだった。

     糖度計も用意してきたのだが、計るまでもなかった。

     これだ。これが完熟苺の味だ。めざしてきた苺だ。

     へただけになった苺を握り締めたまま、恵介はひとり、ハウスの中で吠(ほ)えた。

    「うおおおおおおおっ」

     重要な試合に勝利したスポーツ選手のように。

     いままでの人生で、自分の為(な)した仕事に対して声をあげるほど喜び、興奮したことがあったろうか。

     やっとわかった。

     三十六年かけて。

     俺は、生まれながらの、親譲りの、農夫だったんだ。

     冬の朝は訪れが遅い。暗いうちから外へ出た恵介はまだ闇に包まれた北の空ばかり眺めている。富士山が顔を出してくれるかどうかと気を揉(も)んで。

     クリスマスを翌週に控えた土曜日。今日は、望月イチゴ狩り農園の開園日だ。

     第二ハウスの左手には、赤い六角屋根の小さなログハウスが建っている。富士望月いちごを販売する売店だ。なぜか進子(しんこ)ネエのガラス工芸品も一緒に並べることになった。このミニログハウスをこしらえ内装を手がけたのは進子ネエと友人の木工家だから文句は言えない。

     右手にはデコレーションを施したクリスマスツリー。もみの木は富士山麓に住む親戚の山から伐り出したもので高さは三メートル以上。ハウスの手前や駐車場に置いた空気人形のサンタクロースや金属細工のトナカイはレンタル。デザイナーの性(さが)で、開園を盛り上げるための演出には必要以上に力が入った。

     ハウスの入り口にクリスマスリースを取りつけているうちに、夜が明けてきた。今日の富士山はご機嫌ななめだった。雲に隠れて裾野しか姿を現していない。ここ何日もずっと鮮やかな全身像を見せていたのに。思い通りにいかないのが人生だ。

     今日の開園に合わせて、十日前から予約受付を開始した。入園料は大人1800円、小学生未満1000円。小さなイチゴ狩り農園だ。苺の数にかぎりがあるから、定員を設けることにしたのだが、それを八十人にすべきか、念のために五、六十人にとどめるか、最後まで悩んだ。

     悩むまでもなかった。予約客の数は、八組二十七人。『予約のない方は入園できません』などという一文をつけ加えなかったのが不幸中の幸い。当日客に期待するしかなかった。

     二週間前に予約受付を始めたネット販売のほうも、予約に収穫が追いつかない状況を期待していたのだが、現状ではその逆だ。収穫に予約が追いつかない!

     思い通りにいかないのが人生だ。

     せっかくつくった作物を無駄にはしたくない。売れ残った苺は母親がジャムにしている。売店には瓶詰めの手づくりジャムが山積みになっていた。

     唯一の救いは、飲食店ルートが好調なことだ。イタリアンレストランでは先週から、富士望月いちごのムースやチョココーティングがメニューに加わった。市内の飲食店に片っ端から飛び込みセールスをしようかと、最近の恵介は考えている。

    「おっはー」

     時代遅れの流行語が背中に飛んできた。

     進子ネエだ。この数か月、母親とともに第二ハウスの苺の世話をしてくれた、いまでは望月農園の欠かせないスタッフ。珍しくおろした髪を片側の肩口で束ね、ジーパンではなくスカートを履いている。

     車を運転してきたのは、木工家の渡真利(とまり)さん。進子ネエとは対照的なまるっとした体型も、髭(ひげ)だらけの顔も、山から降りてきた熊のような印象の人だ。

     二人はジムニーの荷台から売場に並べる工芸品を手渡しで運び出している。二人にしかわからない会話で笑い合いながら。

     いくら鈍感な恵介でも、二人でログハウスを建てはじめた時から、ただの友人ではないことには勘づいていた。進子ネエ曰(いわ)く「大切なパートナー」だそうだ。といって、一緒に暮らしているわけではないらしい。

     自分と美月(みづき)もああいうふうにいかないものだろうか。今日、恵介が待っているのは、お客さんだけじゃない。開園日に来てくれ。電話でそう伝えた、美月と銀河(ぎんが)のことも待っている。


    ※「ストロベリーライフ」は毎日新聞(日曜版)で2015年1月~16年2月まで掲載されました。単行本が毎日新聞出版から刊行されたことを記念して、ニュースサイトで毎週日曜日に掲載しています。単行本でお読みになりたい方は、こちら(http://amzn.to/2dnQfuu)からお買い求めください。

    荻原浩

    さいたま市出身。成城大卒。1997年「オロロ畑でつかまえて」で小説すばる新人賞を受賞してデビュー。「海の見える理髪店」で第155回直木賞受賞。東京都在住。

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