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島のエアライン

/58=黒木亮 古屋智子・画

 ◆あらすじ

     熊本県と地元市町、民間企業の出資による第三セクター・天草エアラインが設立。平成十二年三月に開業したが、資金繰りや同機体トラブルなど課題は尽きない。平成二十六年六月、吉村孝司が三代目社長に就任し、ノルディック・エイビエーションから新機材ATR42導入の準備が進められていた。

     天草エアラインのオフィスで、専務の齋木育夫が、パソコンのキーボードを叩(たた)いていた。

     社長の吉村より一歳上の齋木は、日本航空で、ボーイング767、747-400、MD-11(マクドネル・ダグラス社製大型旅客機)などの調達に携わり、米国シアトル駐在経験もある航空機調達の専門家だ。ATR導入のために奥島に引っ張られ、前年度から専務を務めていた。

    〈We would also like to have credit memo for the repair of faults identified during the inspection before the delivery. I believe this is a common practice in the industry.(それから機体受領検査で見つかった不具合の修理費用をカバーするクレジットメモを頂きたいと思います。これは業界の慣行だと思いますので。〉

     前年七月に調印された契約書は、購入に関する基本合意書で、この夏に予定されているデリバリー(飛行機の引渡し)に向け、さらに詰めなくてはならない点がある。これらには、製造地のトゥールーズ(仏)から日本まで飛行機を持って来るフェリーフライト(回送)の費用、航空保険料、当初購入する予備用部品の買戻し条項、天草空港着陸用の特別装備、装備品の型式証明の確認など、数多くの項目が含まれ、齋木はそれらの決着に向け、連日電話やEメールでATR、ノルディック・エイビエーションの二社と交渉を続けていた。

    「さて、次は通関の件か……」

     齋木は、ATRの担当者にEメールを送信すると、手元のメモを見て、机上の電話の受話器を取り上げた。

    「ああ、どうも。天草エアラインの齋木です。こないだちょっと相談させてもらった通関のことなんだけど……」

     電話の相手は、別の地域航空会社で働いている知人だった。この夏にATR42の引渡しを受ける際に通関手続きをしなくてはならないので、その段取りについて時々相談をしていた。

    「熊本空港の税関の所長に電話で訊(き)いたら、熊本でもどこでも、日本の税関なら通関手続きはできるそうなんだよ。うん……」

     齋木が、最初に東京の通関業者に訊くと、熊本空港は大型機の通関をやったことが一度もないから、鹿児島空港でやってくれといわれた。しかし、納得がいかなかったので、知り合いに熊本県を管轄する長崎税関の熊本空港出張所長を紹介してもらって、電話で問い合わせた。

    「ただ、慣れていない業者だとなかなか上手(うま)くいかないらしいんで、どうしようかなと思ってるんだけど……」

     齋木は受話器を耳にあて、相手の言葉を待つ。

    「……ああ、なるほどね。ふんふん……どこかよさそうなところ、知ってる?」

     知人は、東京で業者を頼むと四十万円くらいかかるが、いくつか見積もりをとって、相手の対応で良し悪しを判断して、かつ手続きの一部を自分でやれば安くできるはずだといった。

    「それと、通関しない物の処理はどうしたらいいのかな? おたくではどうしてるの?」

     トゥールーズから熊本に飛行機を持ってくるフェリーフライトの際、かなりの時間、海上を飛ぶ。そのため、遠い場所から洋上管制を受けるための無線機などを積むが、それらは日本では通関しない。また洋上で遭難したときの浮袋やゴムボートなども積むが、それらも天草エアラインが購入するものではないので、通関しない。

    「……ああ、なるほど、台湾あたりでね。分かった」

     知人は、台湾はゴミの処理費用も日本より安いので、熊本到着前の最後の寄港地にして、そこで食べ物のパッケージなどのゴミも含め、全部積み降ろしたらいいとアドバイスした。

    「あと、フェリー(フライト)の費用なんだけど……」

     齋木は手元のメモを見ながら友人に質問を続ける。メモにはたくさんの細かい書き込みがされていた。小さな航空会社なので、前例のないこともすべて一人で処理しなくてはならず、あちらこちらの航空会社にいる知人に訊きながら、一つ一つ手続きを進めていた。

         3

    =古屋智子・画

     スペインと国境を接するフランスのオートガロンヌ県の県庁所在地、トゥールーズ(Toulouse)は、街をガロンヌ川が貫流し、大西洋と地中海を結ぶ交通の要衝である。アウグストゥス帝政時代の一世紀末にできた旧市街は石畳の道が多く、ガロンヌ川から採れる粘土を用いた赤レンガで家々が造られているため、「バラ色の街」と呼ばれている。

     この街が航空機産業の一大中心地になったのは、第一次大戦中の一九一七年に軍用機の製造工場が作られたことがきっかけだ。翌年には、航空会社アエロポスタルが設立され、『星の王子様』を書いたサン=テグジュペリもパイロットとして勤務した。一九四九年には、欧州最大の航空会社、国立民間航空学院が開校した。

     一九七〇年には、欧州最大の航空機メーカー、エアバス・グループの本社が置かれた。市内中心部から西北西に五キロメートルほど離れたトゥールーズ・ブラニャック空港の周辺には、同社の本社、工場、研究所などが、一大コンプレックスを築いている。

     天草エアラインが買うATR42-600を製造するATR社(エアバス・グループとイタリアのアレーニア・アエロナウティカ社の共同企業体)の訓練センターは、空港南東側のピエール・ナド通り一番地に建っている。赤い崩し字のATRの看板が、あちらこちらに設置され、人目を引く。すぐそばにはナド(Nadot)駅があり、黒とシルバーのモダンな電車が空港と市内を結んでいる。

     二月中旬――

    「......During normal conditions, each engine is supplied with fuels from its associated wing tank.(……通常の状況下では、翼に付いたタンクからそれぞれのエンジンに燃料が送られます)」

     ATRの訓練センターの一室で、フランス人の指導教官が、スクリーンに映し出されたプロペラ・エンジンとタンクの図をレーザーポインターで示しながら英語で説明をしていた。

    「In the feeder compartment of each fuel tank, one electrical fuel pump and one jet pump is installed.(各燃料タンクの燃料供給室には電気駆動の燃料ポンプとジェット式の燃料ポンプが組み込まれています)」

     指導教官の前には、パソコンが備え付けられた机が並び、六人の日本人が真剣な面持ちで教官の話に耳を傾けていた。

     天草エアラインの整備士が一人と、日本エアコミューター(略称JAC)の五人の整備士だった。JACは、二年後にATR42-600を八機導入する予定である。

    「You can monitor the fuel consumption for each engine. There are fuel flow and fuel used indicators located in the center instrumental panel in the cockpit.(それぞれのエンジンの燃料消費量をモニターすることができます。操縦室の中央機器パネルに燃料の流れと消費量を示す計器があります)」

     スクリーンに、白い数字と針の付いた黒い八角形の計器が示される。

     六人の日本人は、スクリーンの図を見ながら、教官の話を聞く。

     ATRの訓練センターでの訓練は二ヶ月半で、日本の国家資格である一等航空整備士(整備対象機種にATR42を追加する限定変更)の資格を取得するためのものだ。訓練は座学のほか、実際の機体・機器やシミュレーターを使った実技が行われる。

     その後、資格を取得したJACの整備士二人が教官となって、引き渡しを受けたATR42を実際に整備しながら、熊本空港の格納庫で三ヶ月間、さらに天草エアラインの別の整備士たちのために、天草空港で三ヶ月間の訓練が行われる予定である。

     またATR42の内容を盛り込んで、整備規程や業務規程の改定、整備要目や許容基準の新規策定を行い、国土交通省航空局の承認を得なくてはならない。

    「……では、今日の授業はこれまでとします。明日までに、テキストの第五章の二をよく読んでおいて下さい」

     フランス人教官がいうと、六人の日本人たちの顔にほっとした雰囲気が浮かぶ。英語での授業は上手く聞き取れないこともあり、緊張を強いられる。

     テキストブックやノートパソコンを脇に抱え、廊下に出ると、隣の教室から授業を終えたコロンビアの航空会社の整備士たちが出てきた。

     天草エアラインの業績は、前年に続いて堅調に推移した。

     平成二十六年度は、乗客数七万七千五十六人(前年は七万六千三百八十七人)、搭乗率五八・四パーセント(同五八・七パーセント)、就航率九六・一パーセント(同九八・〇パーセント)だった。経常赤字は一億五千八百九十二万円(同二億九千六百五十二万円)、純利益は百二十一万円(同千二百八十八万円)だった。

     四月からは全便で日本航空とのコードシェアが始まった。天草エアラインのダイヤが日本航空の時刻表に載り、座席の一部を日本航空が販売するため、販路が拡大する。

     社員が一丸となって頑張っている地域航空会社として注目も集まり、テレビなどのメディアによく取り上げられるようになった。

     一方、外国為替相場ではますます円安が進み、前年十二月上旬についに一ドル百二十円を突破した。年が明けてからも円が上昇する気配はなく、ATR42の購入代金支払いに暗雲を投げかけていた。ただ天草市の二十七年度の一般会計の当初予算は、歳入が五百二十八億円(うち市税七十二億円、地方交付税二百五十億円、国庫支出金五十七億円、県支出金三十六億円)あり、為替変動による支払い増加分の吸収は可能な規模である。

    =古屋智子・画

     八月十日すぎ――

     フランスのトゥールーズでは、南仏らしく強い日差しがバラ色の街に降り注ぎ、青い水をたたえたガロンヌ川の土手では、人々が水着姿や上半身裸で日光浴を楽しんでいた。

     トゥールーズ・ブラニャック空港のそばにあるATR社の会議室で、天草エアライン専務の齋木育夫が、先方の担当者二人と話し合いをしていた。機体の引き渡しは二、三日後だが、交渉は土壇場までもつれ込んだ。

    「......we would like to keep the certification issue of RNAV in the list of open items.(RNAV(アールナヴ)の証明書の件は、未解決リストの中に入れてほしいんですが)」

     銀縁眼鏡をかけた小柄な齋木がいった。

     RNAV(regional navigation=広域航法)は、VOR(ボル)/DME(デメ)(超短波誘導施設)のような地上の施設に頼らず、GPS(全地球測位システム)などを使い、自らの位置を把握して飛ぶ航法だ。しかし、ATR42に搭載するRNAVのシステムが、日本の基準に合致しているかどうかが明らかにされていないため、飛行機の受領はしても、未解決項目のリストに入れておくよう齋木は求めた。

    「Mr. Saiki, that’s a little bit difficult for us.(ミスター齋木、それはちょっと勘弁してほしいんですけどねえ)」

     フランス人の担当者が顔をしかめた。

    「でもこれは重要なポイントなので、このままでは機体を受領できないですよ」

    「ミスター齋木、我々はあなたがたの要求を最大限受け入れてきたじゃないですか」

     齋木はこれまでの交渉で、FSR(フィールド・サービス・レプレゼンタティブ)の無償派遣やクレジットメモの追加など、ATR社から様々な譲歩を引き出した。

    「このRNAVの件を、正式な形で未解決リストの中に入れると、我々のミスということになってしまうので……」

     別のフランス人が悩ましげにいった。

    「しかし、このままじゃあ、日本のCAB(国土交通省航空局)に申請を出しても、リジェクト(却下)されてしまいますよ」

    「じゃあ、うちのマネージャーが別途レターを出しますよ。それでどうですか?」

    「マネージャーのレターですか……うーん、それならいいかなあ?」

     そばのトゥールーズ・ブラニャック空港のATR社の格納庫では、整備部副部長の江口英孝、同課長の山本裕和、日本エアコミューター(JAC)の萩原整備士の三人が、受領する機体の点検を行っていた。二週間にわたる点検も、間もなく終わりである。

     同じ頃――

     フランスより時間が七時間先の天草は夕方の時刻だった。

     天草エアライン整備部課長代理の稲澤大輔は、この日、早出だったので、夕方の早い時刻に、本渡の茂木根海水浴場を見下ろすマンションに帰宅した。

     天草エアラインでは、間もなく行われるATR42の受領に向け、全社が一丸となって準備中だ。整備部では江口ら二人がトゥールーズに行っているため、稲澤はここのところほぼ毎日早出をし、遅番の整備士たちと交替したあとは、ATR42受領のための書類作りをすることが多い。

     午後五時頃、小学生の娘とキッチンで夕食のカレーライスの準備をしていると、テーブルの上に置いてあった携帯電話が鳴った。

    「はい、稲澤です」

     濡れた手をタオルで拭き、携帯電話を耳にあてた。

    「稲澤さん、CAB(航空局)の検査官が、例の『限定変更申請書』が至急ほしいっていってきました」

     電話をかけてきたのは、整備部の年下の同僚だった。限定変更申請書は、整備関係の業務規程にATR42-600を追加するための書類だ。

    「検査官が『申し訳ございません。急遽(きゅうきょ)必要になりました。このままではATRを受領して頂くことができません』っていい出したんですよ」

     ATR42の受領に必要な体制や書類が完備しているかを確認するため、大阪航空局の検査官が天草エアラインにやって来ていた。

    「げっ、ほんと!? 参っちゃうなあ!」

     稲澤は呻(うめ)くようにいった。

    「すいませんけど、至急会社に来て、申請書を作って頂けませんか?」

     限定変更申請書の作成は稲澤の担当だ。

    (はー、また呼び出しか……)

     整備部ナンバーツーの江口と、ナンバースリーの山本が出張中なので、ここのところ、ナンバーフォーの稲澤が対処しなくてはならない出来事が多い。しょっちゅう呼び出されたり、自宅から整備の委託先に連絡したりしていた。

    「分かった、すぐ行くわ」

     作りかけの料理を手早くタッパーに入れ、冷蔵庫にしまった。

    (つづく)

     ※島のエアラインはサンデー毎日で2016年10月16日号から掲載された連載小説です。2018年夏に毎日新聞出版から単行本が刊行予定です。

    黒木亮

    1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学大学院修士(中東研究科)。英国在住。 都市銀行、証券会社、総合商社勤務を経て作家になる。2000年、『トップ・レフト』でデビュー。主な作品に『巨大投資銀行』『排出権商人』『鉄のあけぼの』『赤い三日月』『法服の王国』『ザ・原発所長』。ほかに箱根駅伝出場の経験をつづった『冬の喝采』、エッセー集『リスクは金なり』『世界をこの目で』がある。最新刊は『国家とハイエナ』。

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