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島のエアライン

/60=黒木亮 古屋智子・画

 ◆あらすじ

     熊本県と地元市町、民間企業の出資による第三セクター・天草エアラインが設立。平成十二年三月に開業したが、資金繰りや同機体トラブルなど課題は尽きない。平成二十六年六月、吉村孝司が三代目社長に就任し、ノルディック・エイビエーションから新機材ATR42導入の準備が進められていた。

     八月十六日に、フランスのトゥールーズを出発した天草エアラインの新みぞか号(ATR42-600)は、キプロス、バーレーン、オマーン、モルジブ、スリランカ、バンコクを経由し、五日目の現地時間午後四時四分に台北の桃園(とうえん)国際空港に到着した。

     到着すると、天草エアラインのことが地元で話題になっていたらしく、見学の人々がたくさん機体の周囲に集まって来た。熊本県が台湾との交流を促進し、くまモンの認知度も高いことも影響しているようだった。

     その晩の一行の宿は、各国航空会社のクルーがよく泊まる空港のそばの比較的大きなホテルだった。ホテル内の中華レストランで、ATR社のパイロットと整備士も交え、全員で夕食をとり、その後、クルー専用ラウンジでビールなどを飲みながらくつろいだ。台風の影響も最小限で日本に到着できることに皆安堵(あんど)し、ATR社のフランス人たちは日本訪問に期待や興味を持っていて、五人の日本人に色々訊いた。

     翌朝、桃園空港で新みぞか号に向かうマイクロバスに乗ると、空港関係者らしい五十歳前後の小柄な男性が乗り込んで来た。

    「Welcome to Taipei! Your “Mizoka” plane is very charming! You must be tired after a long journey. We have been monitoring you from Toulouse and your Facebook, too. We wish you a safe flight to Japan!(台北へようこそ! みぞか号はとてもチャーミングな飛行機だね。長旅お疲れ様。あなたがたのフライトをトゥールーズからずっとモニターして、フェイスブックも見ていたよ。日本まで安全な飛行をお祈りします)」

     管理職と思(おぼ)しい理知的な顔つきの男性は、てきぱきと挨拶(あいさつ)をし、たくさんの月餅と、新みぞか号がトゥールーズから飛んで来た飛行ルートのプリントアウトを満面の笑みで差し出して、天草エアラインの一行を感激させた。

     午前八時五十一分、新みぞか号は、日本に向け、台北・桃園空港を離陸した。

    =古屋智子・画

     同日(八月二十一日)昼十二時半頃――

     台風の影響で雲の多い空を飛んで来た新みぞか号は、熊本県上空に差しかかった。

    「おっ、天草五橋が見えるぞ」

     客室にすわっていた天草エアラインの社員の一人が、進行方向左手の窓を見ていった。

    「えっ、ほんとですか!?」

     別の社員が席から立ち上がり、窓に近寄る。

     雲の切れ目から、海に浮かぶ緑の島々と、その間にかかる天草五橋が遠くに見えた。

    「ようやく帰って来たなあ」

    「そうですねえ」

     一万キロメートル以上にも及ぶフェリーフライトもようやく終わりだ。

     間もなく機は熊本空港に向けて降下を開始した。

     空港三階の展望デッキでは、日本に初めて就航するATR機を一目見ようと、三十度を超える気温の中、全国から航空ファンや報道関係者が詰めかけ、空港の駐車場には、福岡や大阪など、全国各地のナンバーの車が並んでいた。

     間もなく新みぞか号が阿蘇を背に、東の方角の薄曇りの空に姿を現した。

    「おーっ、来たばい!」

    「ついに来たつかー!」

     展望デッキの人々が、秒速五メートルを超える風の中で歓声を上げた。

     テレビ局の撮影クルーは、集音マイク付きの黒い大きなカメラを向け、父親に肩車された幼い子どもたちが飛行機に向かって両手を振る。

     新みぞか号は、風上に向かって東北東の方角から二十五番滑走路に向けてアプローチする。

     風にあおられ、機体を左右にゆらゆらさせながら、シャーッというプロペラの回転音とともに、鳥のように滑走路に舞い降りて来た。しかし、車輪は出ていない。

    「うわーっ、速か、速か!」

    「羽(はね)ゆすっとる!」

     機は、滑走路のほぼ端から端まで、羽を左右にゆすりながら低空で飛ぶ。まるで海の中でイルカが楽しげに泳いでいるような姿である。

    「ローパスばい!」

     見物の人々の間から歓声が上がる。

     ローパスは意図的にやる低空飛行で、フランス人パイロットのファン・サービスだった。

     新みぞか号は、滑走路の端まで来ると、再び空へ向かってぐんぐんと上昇した。

     尾部の白色灯をピカッ、ピカッとストロボのように点滅させながら大きな弧を描いて旋回し、詰めかけた人々は、その自由奔放な姿を堪能する。

     機は東の空に戻って小さくなったあと、再び阿蘇を背に滑走路にアプローチし、人々の前に鮮やかな青色の雄姿を見せた。

    「今度は着陸するごたるね」

     展望デッキから車輪を出しているのが見えた。

     機は、前輪に取り付けられた強烈な白色灯を点滅させながら、舞い降りるように滑走路に近づき、今度は二つの後輪、続いて前輪を接地させ、無事に着陸した。

    「着いた、着いた!」

    「子どものイルカもおるねえ」

     人々の間から歓声や拍手が湧く。

     新みぞか号は、ブオォーン、ブオォーン、というプロペラの回転音に包まれて自走し、八番スポット(駐機場)で停止した。

     操縦席のすぐ後ろにある貨物室の扉が開けられ、荷物を積み降ろしたあと、防災ヘリ事務所そばの駐機場まで移動した。

         4

     秋――

     天草エアライン社長の吉村孝司が自分のデスクでパソコンに向かって仕事をしていると、乗員部長を務める機長の山本幹彦がやって来た。

     五十代半ばの山本は、日本エアコミューター(JAC)や北海道エアシステム(HAC)でプロペラ機を操縦して来た男である。

    「え、辞めるっていってきたんですか!? うーん……」

     山本から話を聞いた吉村がうなった。

    「どうやら他社から声がかかっているようです」

     長身で白髪も少ない山本が残念そうにいった。

     副操縦士の一人が他社に転職したいので、会社を辞めたいといってきたという。

    「ATRが就航するっていうときに、参っちゃうなあ」

     浅黒い顔の吉村がぼやいた。

    「こういうご時世ですからねえ」

     山本も悩ましげにいった。

     航空業界では、パイロット不足が深刻で、引き抜き合戦が熾烈になっていた。

     一番の理由は、平成二十四年に始まった本格的LCC(格安航空会社)時代の到来で、パイロットの需要が急増したことだ。ピーチ・アビエーション(全日空系、平成二十四年就航)、バニラ・エア(同)、ジェットスター・ジャパン(カンタス航空系)、春秋航空(中国系)、エアアジア・ジャパン(マレーシア系)など、国内系四社、海外系十四社が就航し、戦国時代のような様相を呈していた。

     五年前に経営破たんし、パイロットの採用や訓練を見送った日本航空が、三年前に東証に再上場し、昨年、パイロット研修生採用と訓練を再開したことも状況に拍車をかけていた。

     パイロット不足によって、昨年、ピーチ・アビエーションとバニラ・エアで、二千二百三十四便の欠航が出る事態も起きた。

     こうした状況は日本に限らず、ルフトハンザ系のLCCジャーマンウイングスは、パイロット不足のために「重度の鬱」と診断されていた副操縦士の管理を行わず、去る三月二十四日、同副操縦士が飛行中のエアバスA320型機のコクピットから機長を締め出し、南仏のアルプス山中の岩肌に激突し、百四十九人の乗客・乗員を道連れにするという衝撃的な事故が起きた。エア・インディアでも、パイロット不足による欠航や着陸ミスだけでなく、睡眠不足の正副パイロットが自動操縦装置による飛行中に揃(そろ)って仮眠をとり、その間、客室乗務員が操縦席にすわっていたという前代未聞の事件も起きた。

     パイロット不足に対処するため、日本では国土交通省が平成十六年に六十四歳に引き上げたパイロットの年齢制限を去る四月末から六十七歳に引き上げ、日本航空は大学のパイロット養成コースの学生を対象に、各年度三十人を限度に四年間で五百万円を給付する奨学金制度を設けた。しかし、国内外ともに航空需要が増大する中、一朝一夕に解決できる問題ではなかった。

     吉村はすぐ山本とともに、件(くだん)の副操縦士と面談をした。

    「……辞めたいっていうことなんだけど、何とか考え直してもらう余地はないのかい?」

     日本航空で長年営業マンだった吉村は、努めて穏やかに訊いた。

    「いや、それはちょっと……もう決めて、先方にも行くと伝えましたから」

     中年の副操縦士は、躊躇(ためら)いがちにいった。

    「あなたは、あと一年もすれば機長昇格訓練の時期が来るじゃない。今、副操縦士で行くより、機長の経験と実績を積んで行ったほうが、結局、得になるんじゃないかなあ」

    「はあ、しかし、こういうチャンスはなかなかありませんし……」

     吉村と山本は、何とか慰留しようと努力するが、副操縦士の意思は固そうだった。

    「うちはご存知の通り、飛行機が一機しかない小さな会社で、乗員さんにも余分な人員はいないのはご存知だよね?」

     吉村が訊いた。

    「はい、それはよく承知しています」

    「しかも、今、ATRを入れるっていう大変な時期で、乗員さんが一人でも欠けると、就航スケジュールに大きく響いてくるんだよ」

     副操縦士はうなずく。

    「あなたに今辞められると、JACさんにも協力してもらって立てた計画が狂ってしまうんだ。だから辞めるとしても、せめてATRが就航するまで待ってもらえないもんだろうか?」

    「そうですか……うーん……」

    「あなたにとっても、一緒に働いてきた仲間たちに迷惑をかけないようにして転職したほうが、心残りがないと思うんだけど」

     天草エアラインでは、前々からパイロットたちに、辞める場合は、できれば一年程度の余裕をもって申し出るように伝えてあった。

    「分かりました」

     副操縦士がいった。

    「お世話になった会社にご迷惑をかけるのは、わたしとしても望むところではありません。念のため転職先の了解もとった上で、ATRの就航まで務めさせて頂こうと思います」

    「有難う。そうしてくれると助かるよ」

     吉村と山本はほっと安堵した。

     ただし、欠員を埋める必要があるので、直ちに採用活動を始めなくてはならない。

    =古屋智子・画

     同じ頃――

     熊本空港の駐機場で、日本エアコミューター(JAC)の岡瀬信博機長ら三人のパイロットが、新みぞか号と対面した。

     三人は、天草エアラインのパイロットたちがATR42の訓練を受ける間、天草エアラインに出向し、ATR42を操縦する予定である。

    「ぴかぴかだねえ! 新しい飛行機はいいねえ」

     制服姿の岡瀬が青い機体を見て微笑した。

     航空自衛隊時代は戦闘機乗りで、華麗なアクロバット飛行で有名な「ブルーインパルス」の一員として飛んでいたベテランだ。

    「ようやく実機訓練ですねえ。わくわくしますねえ」

     ほかの二人のパイロットも笑顔を見せる。

     三人は八月初旬に天草エアラインを訪れ、二年前に機長に昇格した谷本真一からオペレーション・マニュアルなどに関する説明を受け、その後、シンガポールのATR社の訓練センターでシミュレーター訓練を受けた。これから熊本空港を拠点に、新みぞか号を使って実機訓練を行い、国土交通省の限定変更試験を受けて、ATR42の操縦免許を取得する予定である。

     来年二月に新みぞか号が就航したあとは、天草エアラインのパイロットとしてしばらく乗務する。その後、日本エアコミューターに戻り、次の年(平成二十九年)に同社に引き渡され、鹿児島と屋久島、沖永良部島、奄美大島などを結ぶ路線でATR42-600を操縦する予定である。

    「頑張って下さい。我々もしっかり整備しますので」

     岡瀬らのそばにいた作業服姿の整備士がいった。日本航空と同じ、腕が黒で、胸とわき腹に赤い色が入った灰色の作業服姿の整備士は、日本エアコミューターの社員だった。

     同社からは、二人の整備士が天草エアラインに出向し、天草エアラインの整備士たちがATR42の整備訓練を受ける間、新みぞか号の整備に当たっていた。

     年が明けた(平成二十八年)一月七日――

     天草下島の空は薄曇りだった。

     風はほとんどなく、午前十時の気温は九度で、冬らしい寒さだった。

     午前十時一分、新みぞか号は熊本空港を離陸し、十時二十分頃、南東の上島と熊本本土の方角から青い機体を現した。

     新みぞか号の天草空港でのお目見えである。

     空港ビル二階の展望デッキや空港周辺には大勢の航空ファンや家族連れが詰めかけていた。

     機は高度を落とし、羽を左右にゆすりながら滑走路をローパスすると、右旋回しながら空港周辺をぐるりと一周し、今度は逆の長崎の方角からローパス。

     駐機場では、天草エアラインの関係者や報道陣がその姿を見つめ、制服姿のCAたちが「ぼんじゅーる」、「Newみぞか号」、「ようこそ天草へ」という横断幕を掲げていた。

     午前十時二十六分、新みぞか号は島原湾の方角から、昨年十月に補強工事が完了した滑走路にゆっくりと降り立った。

     つばのある藍色のキャップに騒音よけのヘッドセット、AMXの文字が背中に白抜きされた藍色のジャンパー姿の整備士がマーシャリングし、新みぞか号は二つのプロペラをゆっくり回転させ、ブオォーンという騒音とともに自走する。空港の消防車が左右から近づいて放水し、大きな水のアーチを作って歓迎した。

     機が駐機場に停止すると、吉村社長以下、社員たちが集まり、機体に洗剤と水をかけ、モップで洗った。

     洗浄後、そばに駐機していた初代みぞか号(ダッシュ8)がトーイングカーに引っ張られ、新みぞか号のそばにやって来て、二頭のイルカが互いの鼻先をくっ付け合うようにして対面した。

     続いて安全祈願祭が執り行われ、それが終わると、早速、機を利用してCAとパイロットの訓練が始まった。

    (つづく)

     ※島のエアラインはサンデー毎日で2016年10月16日号から掲載されている連載小説です。2018年夏に毎日新聞出版から単行本が刊行予定です。

    黒木亮

    1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学大学院修士(中東研究科)。英国在住。 都市銀行、証券会社、総合商社勤務を経て作家になる。2000年、『トップ・レフト』でデビュー。主な作品に『巨大投資銀行』『排出権商人』『鉄のあけぼの』『赤い三日月』『法服の王国』『ザ・原発所長』。ほかに箱根駅伝出場の経験をつづった『冬の喝采』、エッセー集『リスクは金なり』『世界をこの目で』がある。最新刊は『国家とハイエナ』。

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