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島のエアライン

/61=黒木亮 古屋智子・画

 ◆あらすじ

     熊本県と地元市町、民間企業の出資による第三セクター・天草エアラインが設立。平成十二年三月に開業したが、資金繰りや機体トラブルなど課題は尽きない。平成二十六年六月、吉村孝司が三代目社長に就任し、ノルディック・エイビエーションから新機材ATR42を導入した。

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    =古屋智子・画

    (平成二十八年)二月十八日(木曜日)――

     福岡空港はとっぷりと暮れ、空港の周囲では、赤、白、オレンジ色などの灯が華やかに点(とも)っていた。

     空港ビル二階にある保安検査場を通過し、待合ラウンジに入ると、席は半分ほど埋まっており、旅行者やビジネスマンの姿が多い。土産物店が並ぶ一角は、煌(きら)びやかな照明に溢(あふ)れているが、ラウンジ内には一日の疲れが淀んでいた。

     午後六時五十分頃、出発ゲートの一つで、天草エアラインの最終(108)便への搭乗が始まった。

    「皆様、今晩は。本日もご搭乗有難うございます。天草エアラインならびに日本航空の共同運航便、天草行きでございます」

     乗客の搭乗が完了すると、CA教官も務める山口亜紀が、こぼれるような笑顔でアナウンスを始めた。

    「機長は谷本、副操縦士は金子、わたくしは客室乗務員の山口でございます。予報によりますと、天草空港周辺の天候は曇り……」

     気象状況、禁煙など機内での注意事項、非常口座席にすわった乗客への緊急脱出時の協力要請などを述べ、自動音声にしたがって安全設備の説明やライフベスト装着のデモンストレーションを行う。

     初代みぞか号(ダッシュ8)は、明日がラストフライトだ。大半の乗客はそのことを知らないが、社員たちは哀愁を感じずにはいられなかった。とりわけパイロット、CA、整備士にとっては、十六年間にわたって様々な思い出が染み付いた機体である。

     午後六時五十九分、エンジン音に包まれ、機は滑走路へと移動を開始した。窓から後方の空港ビルのほうに視線をやると、オレンジ色の照明の中で日本航空、全日空、フジドリームエアラインズなどの飛行機がずらりと並んでいた。

     午後七時二分、機は滑走を始め、あっという間にふわりと空に上昇した。

     眼下に光の海のような福岡の街が広がり、玄界灘が右手で暗い空間になっていた。

     ダッシュ8は遊覧飛行のようにゆっくりと着実に上昇して行く。

     機内はほぼ満席で、女性の旅行者や地元の年輩の人々が多く、通路を歩く山口に気さくに声をかける。

    「乗客の皆様へ、機長よりご案内申し上げます」

     機長の谷本のアナウンスが始まった。

    「当機はただ今時速四五〇キロメートル、高度二七〇〇メートルで、天草空港に向けて順調に飛行を続けております。到着時刻は、午後七時半頃になる予定です」

     四十歳の谷本は、落ち着いた声でアナウンスを続ける。

    「このダッシュ8は明日、最後のフライトを迎えます。皆様の長年のご利用に、乗員一同、心から感謝申し上げます」

     すでに福岡の街は途切れ、機体の周囲も眼下もほぼ真っ暗である。

     午後七時十八分頃、気流の影響で機が小刻みに震え始め、シートベルト着用のサインが点灯した。

     揺れはだんだん大きくなり、二分後に、ズズーンという大きな揺れが機体を襲った。

    「皆様、当機はあと五分ほどで天草空港に着陸致します。シートベルトをしっかりお締め下さい」

     山口がにこやかにアナウンスをする。

     機体は相変わらず大きく揺れているが、揺れなどまったく感じていないかのように落ち着き払っていた。

    「わたくしも着席させて頂きます。揺れましても安全には問題ありませんので、ご安心下さい」

     そういって機内先方のジャンプシートにすわり、シートベルトを装着した。

     間もなく、眼下に天草のまばらな灯(あか)りが見え、機は降下を開始した。飛行機が進むにつれ、島の集落の灯りが現れては消える。

     午後七時二十五分、機外で車輪が出る機械音がした。暗い窓の外を見ると、地上の灯りが近くなっており、高度がだいぶ下がったことが分かる。揺れは収まっていた。

     午後七時二十八分、軽い衝撃とともにダッシュ8は天草空港に着陸した。

     空港ビルの壁にはAMAKUSA AIRPORTという大きな文字が赤く点り、一階の天草エアラインのオフィスでは蛍光灯の灯りの下で社員たちが働いていた。

     翌日(二月十九日)――

     十六年間、たった一機で天草エアラインを支えてきたダッシュ8が、最終日を迎えた。

     午前七時過ぎ、この日操縦する谷本真一機長、金子照夫副操縦士、午前中の便のCAを務める村上茉莉子が相次いで出勤して来た。

     パイロットたちがATR42の訓練を受けているため、昨年八月二十四日以来、ダイヤは午前中に福岡往復一便、夕方同一便のみである。午前中の便(101、102)は朝八時に天草を出て、九時三十五分に戻って来る。

     空港周辺はだいぶ明るくなり、滑走路の彼方に、下のほうが霞んだ雲仙岳が、薄紫色がかったシルエットになっていた。

     間もなく、ディスパッチ・ルームでスチールキャビネットを挟んで、運航管理者の尾方智洋と谷本、金子が向き合って立ち、尾方が気象条件、福岡空港での離着陸の方向、乗客数、燃料などについて説明し、谷本が飛行計画書にサインした。

     続いてディスパッチ・ルームのそばで、二人のパイロットとCAの村上のブリーフィングが行われた。

     長身の村上は、天草市本渡町出身で、熊本信愛女学院高校時代に県高校総体で、百メートル・ハードル、走り幅跳び、四〇〇メートル・リレーを制したことがある。

     みぞか号と同じ青いCAの制服は、機材更新に合わせてデザインを一新したもので、動きやすいようにストレッチ素材が取り入れられた。

    「今日はダッシュ8の最終日です。気を抜かずにいきましょう」

     童顔の谷本がいった。紺色の制服の袖には機長であることを示す四本の金色の線が入っている。

     三人で、「天草空港は終日(滑走路は)ワン・スリー」、「福岡は終日ワン・シックス」、「火山灰の影響はなし」、「お天気が崩れることはないと思います」と、気象条件などを確認し、特別な配慮や注意を要する乗客について情報を共有した。

    「あれ、この人は……」

     村上が、乗客名簿の中に、天草エアラインの元社員の女性の名前があるのを見つけた。天草から日帰りで福岡を往復する予約がされていた。

    「どうして乗るんですかねえ?」

     村上が小首をかしげた。

    「思い出作りじゃないの」

     すらりと引き締まった身体つきの金子副操縦士が微笑した。

     金子は元プロボクサー(日本バンタム級六回戦進出)で、パイロットの資格は飛行機専門学校でとり、長崎のオリエンタルエアブリッジでダッシュ8を操縦していた。年齢は谷本より二歳上である。

    「強い方なので、何かあったら助かるかも」

     村上がいつもの明るい笑顔でいった。

     件(くだん)の元女性社員は在職中に、「ハイジャック、やられる前にやっつけろ」という標語を作った。

    「じゃあ、(七時)三十五分くらいに行きますか。今日はお客さんに感謝の気持ちを込めて乗りましょう」

     谷本がいった。

    「今日は、今までで二番目にいい着陸をしますので」

     金子がいった。

    「なんで二番目なんですか?」

     村上が不思議そうに訊(き)いた。

    「一番目っていうと、プレッシャーがかかるでしょ?」

     谷本がいい、三人で笑った。

     午前七時三十八分、制帽・制服姿の小柄な谷本が、朝日を浴びながらダッシュ8の周囲を歩き、目視点検を行う。

     オフィスは社員たちが出勤して来て、徐々に活気が出てきていた。

     七時四十八分、乗客の搭乗が始まった。最後の日とあって、記念写真を撮る人が多い。

     やがて機体前方にある搭乗口の扉が閉められ、電源車のケーブルが外され、ダッシュ8はプロペラを回転させ、滑走路へと向かう。「楽しい空の旅を」、「いってらっしゃい」というプラカードを持った男女の社員が見送る。

     七時五十七分、ダッシュ8は滑走を開始し、南東の方角の空へと飛び立った。

     六分後、ディスパッチ・ルームのデスクで、気象条件などを映し出すパソコン画面の前にすわった尾方の無線に谷本から連絡が入った。

    「揺れが発生したのは、高度六〇〇〇フィートで、ヴィジビリティ(視程)は一〇マイル。クラウドレイヤー(筋のような薄い雲)は高度八〇〇〇フィート……」

     谷本は、飛行状況を一通り伝え、最後に明るい声でいう。

    「オペレーション・ノーマル。行ってきまーす!」

     十二時間後(午後七時五十二分)――

     夜の帳(とばり)が下りた天草空港に、最終の108便が到着した。ラストフライトは全国から駆け付けた航空ファンで満席だった。

     駐機場で、紺色の制服姿の女性社員二人が「ありがとうダッシュ8 16年間おつかれさま」という横断幕を掲げ、社長の吉村とともに出迎えた。

     照明の中、乗降口の扉が開き、最初に姿を現したのは、赤いサンタクロース姿のパラダイス山元だった。展望デッキに集まった人々に両手を振りながら、空港ビルのほうに歩いて来る。

     空港ロビーには、初代みぞか号の写真や新聞記事が何枚ものパネルに飾られ、十六年間の軌跡が分かるように展示されていた。吹き抜けの二階の壁には、人々が別れの言葉を寄せ書きした「さよならDHC8」という横断幕が張られ、ロビーの一角にはATR42の就航を祝う豪華な花輪が置かれていた。

     肩に大きなカメラを担いだテレビ局のカメラマン、腕章をした新聞記者、首からカメラをぶら下げた航空ファン、地元の人々や子どもたちなどで、ロビーはごった返していた。前社長の奥島透や、CA一期生で教官も務めた(旧姓)寺崎純子の姿もあった。

     ラストフライトに搭乗した谷本機長、金子副操縦士、CAの井上沙綾(佐賀県唐津市出身)に、天草エアライン・ファン有志が花束を贈呈し、吉村社長がマイクを手に、「十六年間無事故で飛んだみぞか号の飛行距離は地球約三百十周分。間もなくデンマーク国籍となって日本を飛び立ちますが、これからも世界のどこかで元気に飛び続けてくれると信じています」と挨拶(あいさつ)した。

     人々は、パネルの展示に見入ったり、パイロットやCAと記念写真を撮ったり、展望デッキから初代みぞか号を眺めたりしながら、今日で退役する飛行機との別れを惜しんだ。

    =古屋智子・画

     翌二月二十日は朝から雨だった。

     天草空港のロビー左手奥に赤い絨毯(じゅうたん)が敷かれ、後方に青地に白抜きで「祝 天草エアラインATR42-600“MIZOKA”就航!」という賑々(にぎにぎ)しいパネルが立てられていた。

     その前に六十ほどの席が設けられ、蒲島郁夫熊本県知事、中村五木天草市長、大西賢日本航空会長ら来賓が着席した。県の企画振興部長や交通政策課の幹部たちも顔を揃(そろ)えていた。

     報道関係者は約三十人、カメラを手にした航空ファンは五十人ほど詰めかけていた。

    「グッド・モーニング、レディーズ・アンド・ジェントルメン! ウェルカム・トゥ・ザ・ファースト・フライツ・セレブレーション・オブ・ATRミゾカ!」

     午前七時十分、顎に白い髭をたくわえ、堂々とした体躯のDJ兼司会者ケイ・グラント(日本人男性)がよく通るバリトンで式典の口火を切り、自己紹介とATR42の紹介をする。

    「Newみぞか号が無事に就航できますよう、皆様方の“時間的な”ご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。二十分一本勝負でございます」

    「時間的な」に力を入れていうと、会場から笑いが湧いた。

     社長の吉村孝司が挨拶に立ち、「今まで減便していましたが、今日から一日十便体制に復帰します。ATR機の導入は日本で初めてで、座席はこれまでより九席多く、エンジン音も静かで快適です。今後も安全第一で運航し、日本全国で愛される航空会社を目指したいと思います」と述べた。

     祝辞の一人目は蒲島知事で、天草エアラインに協力している日本航空に感謝の意を述べたあと、「天草エアラインは第二のくまモンで、天草の人々に経済的な豊かさや夢を与える。アジアの人々が天草エアラインを使って来てくれることを願っている」と話した。

     祝辞の二人目は中村市長で、ATR導入についての島民の理解に感謝し、「天草エアラインは『命のエアライン』で、観光・経済に活躍してくれると思う。わたしたちは天草を訪れる方々に最高のおもてなしを約束する」と述べた。

     続いて蒲島知事から吉村社長に、ATR42用のヘッドレスト・カバーとモンタクロース(サンタクロース姿のくまモン)のキーホルダーが記念品として贈呈され、来賓九人がテープカットを行って、式は滞(とどこお)りなく終了した。

     間もなく午前八時発の福岡行き101便の搭乗が始まり、乗客たちは傘をさして機体後部の乗降口へと向かった。

     午前七時五十五分、乗降口のドアが閉められ、機は灰色の風景の中、雨で濡れた滑走路の南東の端(本渡町寄り)まで移動した。

     この日、機を操縦するのは、101便から202便(午後二時四十分熊本発・天草行き)までの六便が天草エアラインの山本幹彦機長と日本エアコミューターの増満猛副操縦士、105便から108便(午後七時五分福岡発・天草行き)が日本エアコミューターの永野英治機長と天草エアラインの清水健夫副操縦士である。別々の会社に所属するパイロット同士の組み合わせというユニークな試みだ。

     間もなく新みぞか号は滑走を開始した。

     スピードは速く、力強い。離陸後の巡航速度は時速五五六キロになり、ダッシュ8より約九〇キロメートル速い。

     空港ビル二階の展望デッキで、大勢の人々が雨まじりの風に吹き付けられながら見守る中、新みぞか号は、一気に離陸した。

     機体上部と下部のストロボライトをチカッ、チカッと閃光(せんこう)のように輝かせ、雨雲で灰色のまだら模様になった長崎方面の空へと上昇し、間もなく吸い込まれるように小さくなっていった。

    (つづく)

     ※島のエアラインはサンデー毎日で2016年10月16日号から掲載された連載小説です。2018年夏に毎日新聞出版から単行本が刊行予定です。

    黒木亮

    1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学大学院修士(中東研究科)。英国在住。 都市銀行、証券会社、総合商社勤務を経て作家になる。2000年、『トップ・レフト』でデビュー。主な作品に『巨大投資銀行』『排出権商人』『鉄のあけぼの』『赤い三日月』『法服の王国』『ザ・原発所長』。ほかに箱根駅伝出場の経験をつづった『冬の喝采』、エッセー集『リスクは金なり』『世界をこの目で』がある。最新刊は『国家とハイエナ』。

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