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島のエアライン

/62(最終回)=黒木亮 古屋智子・画

連載小説

 ◆あらすじ

     熊本県と地元市町、民間企業の出資による第三セクター・天草エアラインが設立。平成十二年三月に開業したが、資金繰りや機体トラブルなど課題は尽きなかった。平成二十六年六月、吉村孝司が三代目社長に就任し、ノルディック・エイビエーションから新機材ATR42を導入した。

         エピローグ

     翌年(平成二十九年)八月中旬――

     島原湾は真夏の朝日を浴びて青く輝き、雲仙岳が海上に力強い姿を見せていた。

     午前六時半、天草空港に整備士が出勤して来て、空港ビル左手脇のゲートを開け、いつものように一日が始まった。

     ディスパッチ・ルームでは、運航管理者の尾方智洋がパソコンで気象条件をチェックし、飛行計画を立てる。

     午前七時頃から、この日の前半のクルーの機長、副操縦士、CAが出勤してきて、乗員室や自分のデスクで、日誌などに目を通す。

     開業時から働いている運送部のベテランの高橋史英が、白いワイシャツ姿で、自分の席で緑茶をすすり、社長の吉村、去る六月に齋木に代わって専務になった日本航空の整備部門出身の小林知史(さとし)が、神棚の前でパン、パンと柏手(かしわで)を打つ。

     七時四十分頃から101便の乗客の搭乗が始まり、午前七時五十五分、みぞか号は、「楽しい空の旅を」、「いってらっしゃい」というプラカードを持った男女の社員に見送られ、福岡に向けて離陸した。

     ATR42が一年を通してフル稼働した昨年度(平成二十八年度)は、四月十四日から発生した熊本地震の影響で、六月頃まで利用客が減ったが、その後回復し、九年ぶりに八万人を超える八万千九百八十人となった。搭乗率は五三・三パーセント、就航率は、地震、台風、バードストライクなどの影響で九二・六パーセント。経常赤字は一億百六十八万円、純利益は、ダッシュ8の売却益(約一億四千七百万円)が寄与して、一億三百三万円だった。

     午前八時半から朝礼が始まった。

     最初に尾方が運航や気象の状況を説明し、整備部、客室部、総務部、営業部などから連絡事項が伝えられ、吉村と小林が一言ずつ述べ、最後に安全のための行動指針を全員で唱和する。

    「私達は、法令・規則を遵守します」

     総務部の阿部英子が大きな声でいった。

     唱和のリード役は全社員の持ち回りである。

    「私達は、法令・規則を遵守します」

     全員が一斉に唱和する。

    「私達は、基本事項を遵守します」

    「私達は、基本事項を遵守します」

    「私達は、推測に頼らず……」

    =古屋智子・画

     約半日後――

     日本と七時間の時差があるノルウェーの北極圏の町トロムソは、午後一時をすぎたところだった。

     町の人口は約七万二千人。ノルウェー北部最大の都市である。トロムソ島が町の中心で、本土とは長さ約一キロメートルの橋でつながっている。海を隔てて、雪を残す山々がぐるりと周囲を取り囲み、北の最果てらしい風景だ。

     白夜の季節は終わっていたが、太陽は夜十時半頃沈み、数時間後には上り始める。朝方の気温は七~十度、日中の最高気温は十~十七度で、真夏だというのに肌寒い。

     市内中心部から三キロメートル半ほど北西にある空港では、綿雲が低空に浮かんでいた。

     駐機場の南端に、フライバイキング航空240便のダッシュ8が停まっていた。

     同社はこの三月に定期路線の運航を始めたばかりの新興民間航空会社だ。トロムソを拠点に、ノルウェー北部の本土と島々の空港を結ぶ「島のエアライン」である。

    「テンパラチャー、サーティーン(気温十三度)……」

     APU(補助エンジン)の低い騒音に包まれたコクピットで、気象条件などを伝える管制官の無線の声が流れていた。

     二人のパイロットは、緑、オレンジ、赤などのデジタルの数字や文字を示すパネルのスイッチやつまみを操作し、出発準備に余念がない。

     機長は六十三歳のノルウェー人、オーラ・ギーヴァー・ジュニアで、民間航空会社で三十三年のパイロット歴を持つ。私財約六億円を投じて、フライバイキング航空を設立した同社の会長でもある。

     フライバイキング航空は、ダッシュ8-100を三機運航している。カナダの航空機リース大手アブマックス社(Avmax Group Inc.)からリースしたもので、うち二機は琉球エアーコミューターが使っていたもの、残り一機はアブマックス社がノルディック・エイビエーションから買い取った天草エアラインの初代みぞか号だ。

     三機とも外装は、オフホワイトに一新され、赤と群青色でFLYVIKINGの文字が入り、尾翼にはそれぞれ異なったバイキングの王や女王の顔が描かれている。客室内も含め、日本を飛んでいた痕跡は一切ない。

     この日のフライトは、トロムソの南のヴェステローレン諸島方面への八区間を約八時間かけて飛ぶ。

     二人のパイロットは、「プレ・タクシー・チェックリスト」で、油圧やフラップなど十数項目を復唱して確認する。

     確認が終わると、ギーヴァー・ジュニア機長がフロントグラスの先の地上係員に両手の親指を立てて合図をし、係員が機に繋がれていた電源ケーブルを切り離す。

     大柄で若いトルへ・オルセン副操縦士が、再びチェックリストを手にする。

    「アイス・プロテクション(氷結防止装置)?」

    「オン」

     ギーヴァー・ジュニア機長が答える。

    「コウション&ウォーニング・ライト(注意・警告灯)?」

    「クリアー(点灯なし)」

    「キャビン・クリアー(客室内準備)?」

    「レシーブド(完了したと連絡あり)」

    「コンディション・レバーズ(プロペラ回転数調整レバー)?」

    「マックス(最大にセット)」

     九項目のチェックが終わると、ダッシュ8は滑走路へ移動し、床運動を始める前の体操選手のようにぴたりと停止した。

    「キャナイ・テイクオフ?」

     ギーヴァー・ジュニア機長が管制官に訊(き)いた。

     この地域を三十三年間も飛んで来たので、管制官とも馴染みである。

    「ボルダー・トゥー・フォー・ゼロ、クリアード・フォー・テイクオフ(ボルダー240便、離陸を許可します)」

     フライバイキング航空のコールサインは、北欧神話の光・平和・徳・知恵の神「ボルダー(Balder)」である。本当は「バイキング」にしたかったが、すでにトーマス・クック航空スカンジナビア(本社・コペンハーゲン)が使っていた。

     ブオォーン、ブオォーン……

     バードストライク防止用に黒と黄色のまだら模様に塗り替えられた四枚のプロペラが回転を始め、ダッシュ8は一気に滑走する。

    「V1」

     加速するコクピットで、オルセン副操縦士が計器を見て、コールアウトした。

    「VR(ヴイアール)!」

     ギーヴァー・ジュニア機長が目の前の黒い操縦桿を手前に引く。渡利斉水(よしみ)、石垣忠昭、小松久夫、山本幹彦、谷本真一ら、天草エアラインの機長たちが握ってきた操縦桿だ。

     新造機のようにぴかぴかの機体は、あっという間に空に舞い上がった。

     尾翼には、群青色で描かれた、王冠をかぶった女性の横顔がくっきりと見える。アイスランドの年代記に登場する、十世紀のバイキングの女王、ギュヌンヒルド・コングモールだ。

     コクピットの正面パネルの丸い高度計の数字が目まぐるしく回転し、機はぐんぐん上昇する。

    「フラップ、ゼロ」

     高度五〇〇フィートに達したところで、ギーヴァー・ジュニア機長が、二人のパイロットの間にある四つのレバーの右端のレバーを押し上げ、フラップを格納した。

    =古屋智子・画

     目の前のパネルの黒いつまみをひねり、高度を一万四〇〇〇フィートにセットし、機は自動操縦で上昇を続ける。

     眼下には、低空にかかった雲を通して、残雪が残る雄大なフィヨルドが展開する。ごつごつした茶色い岩山、幾重にも切り込んだ入り江、吸い込まれるような深い青色の海……。

     高度一万四〇〇〇フィートで巡航を開始すると、機長がヘッドセットを外し、黒いハンドマイクを右手に握った。

    「機長のオーラ・ギーヴァー・ジュニアから乗客の皆さんにご案内致します。バイキングの旅へようこそ」

     ノルウェー語で機内アナウンスを始め、飛行経路、速度、到着予定時刻などを伝える。

    「我々はバイキング航空ですが、昔のバイキングのように、殺戮したり、破壊したり、盗んだり(killing, destroying, stealing)はしません。ただヴィデロー航空と戦う(fighting)のみです」

     ヴィデロー航空は、スカンジナビア航空系のダッシュ8を二十九機運航する、ノルウェー最大の地域航空会社だ。

    「我々は、ヴィデロー航空の半額で航空券を提供します。我々のフライトにご満足頂けたらまた乗って下さい。ご不満な点がありましたら、パイロットやCAにいって下さい」

     フライバイキング航空は、ノルウェー中に路線を張り巡らし、ヴィデロー航空を追い抜くのが目標だ。

     間もなく、オルセン副操縦士が、無線で管制官に呼びかけた。

    「スカゲン・ボードー・コントロール、ボルダー・トゥー・フォー・ゼロ、カレントリー・クルージング・アト・ワン・フォー・ゼロ(現在高度一万四〇〇〇フィートで飛行中)……」

     呼びかけた相手は、ストクマルクネスのスカゲン空港とボードーの空港を管制しているエリア管制センターだ。

    「ボルダー・トゥー・フォー・ゼロ、スカゲン・ボードー・コントロール……」

     ボードーにあるセンターの女性管制官が英語で答える。

    「……ウィンド、トゥー・ファイブ・ゼロ・アト・テン、ヴィジビリティ、フォー・マイル、マイナス・シャワーレイン、スキャター、ゼロ・スリー・ゼロ・キューミュラス(風は二百五十度の方角から一〇ノット、視程四マイル、弱い雨、高度三〇〇〇フィートに全天の八分の三から八分の四を覆う雲)……ランウェイ、トゥー・セブン(二十七番滑走路を使用)」

     女性管制官が気象条件を伝え、オルセン副操縦士と着陸についてやり取りする。

     機が一万二五〇〇フィートまで降下すると、ギーヴァー・ジュニア機長が頭上のパネルのスイッチを入れ、シートベルト・サインを点(つ)けた。

     二人のパイロットは、「トップ・オブ・ディセント(降下開始前)」のチェックを行う。

    「アプローチ・ブリーフィング(進入情報)?」

    「コンプリート(完了)」

     オルセン副操縦士が答える。

    「FMS(飛行管理システム)・セットアップ?」

    「コンプリート」

     機には初代みぞか号時代にはなかったFMSが追加で装備されていた。

    「ランディング・データ・アンド・Vref(ヴイレフ)(着陸基準速度)?」

    「セット(入力済み)」

     高度二七〇〇フィートまで降りると、前方の海上に中型の客船が見えた。ストクマルクネスに本社を置く船会社ハーティグルテン社の沿岸航路客船、MSトゥロルフィヨルド号だ。

    「あの船を毎日追い越すたびに、ああ、いつもの路線を飛んでいるなあって思うよなあ」

     ギーヴァー・ジュニア機長が微笑した。

     機は着実に高度を落とし、家々が建ち並ぶ緑の島が左手に見えてきた。人口約三千三百人のストクマルクネスの町で、ヴェステローレン諸島のハドゥセロヤ島の北岸に位置している。

    「チェック・エアスピード、ギアダウン」

     ゴオーッという風を切る音の中で、車輪が降りる機械音が聞こえる。

    「ファイブ・ハンドレッド」

     高度五〇〇フィートまで降下すると、コクピット内に、高度を告げる大きな自動音声が響く。

     フロントグラスの正面に緑地帯に囲まれた滑走路が真っすぐ伸びる。天草空港よりも短い九一九メートルの滑走路で、左手は海である。

    「ワン・ハンドレッド」

     高度一〇〇フィート(約三〇・五メートル)まで降下し、目の前に灰色の滑走路が迫る。

    「フィフティー」

    「サーティー」

    「ゼロ」

     ダッシュ8は、軽い衝撃とともに、ストクマルクネスのスカゲン空港の滑走路に着陸した。

     十五羽ほどのカモメが驚いて、小雨の降る空へ一斉に飛び立った。

     初代みぞか号は、駐機場に停止し、乗客を降ろす。赤ん坊を抱いた女性、デイパックを背負った青年、老夫婦、猫を入れた籠を手に提げた男性など、普段着姿の地元の人々だ。自分たちが乗ったぴかぴかの飛行機が、天草で十六年間飛んだものとは、夢にも思っていない。

     十分後には、新たな乗客たちが乗り込んで来た。空港でのインターバルは二十分で、天草エアラインより短い。

     午後二時七分、二人のパイロットは「エンジン・スタート・チェックリスト」で主電源、燃料、衝突防止灯など十一項目の確認を行う。

     間もなくギュヌンヒルド・コングモール号は、滑走路へと移動を開始した。

    「ボルダー・トゥー・フォー・ワン、クリアード・フォー・テイクオフ」

     管制官が離陸許可を出すと、ダッシュ8は、小雨をついて滑走を開始し、離陸した。

     放たれた鳥のように舞い上がったオフホワイトの機体は、ノルウェー本土を左手に見ながら、針路を真南にとる。眼下でローフォーテン諸島の複雑に入り組んだ緑の島影と灰青色のノルウェー海がパノラマのように展開する。

     次の目的地は、一四六キロ離れたボードーで、その後、六区間を飛び、トロムソ空港に戻るのは夜の九時である。

     離陸約二十分後に降下を開始すると雲が切れ、眼下に海、左右に複雑な海岸線の緑の陸地、海際にたくさんの家々が現れた。

     ボードーはノルウェー海に突き出た半島にある町で、第二次大戦中にドイツ軍の攻撃で破壊され、現在は空軍基地が置かれている。人口は約五万一千人で、ノルウェー北部ではトロムソに次ぐ大きな町だ。

    「ギアダウン」

     風を切る音とともに降下を続ける操縦室で、オルセン副操縦士がいい、ギーヴァー・ジュニア機長が復唱し、正面パネルのレバーを押し下げると、機外で車輪が出る機械音がした。

    「島のエアライン」は、ノルウェー空軍の戦闘機も離発着する海際の二七九四メートルの滑走路に向け、アプローチを開始した。

    【完】

     ※島のエアラインはサンデー毎日http://mainichibooks.com/sundaymainichi/で2016年10月16日号から掲載された連載小説です。2018年夏に毎日新聞出版から単行本が刊行予定です。

    黒木亮

    1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学大学院修士(中東研究科)。英国在住。 都市銀行、証券会社、総合商社勤務を経て作家になる。2000年、『トップ・レフト』でデビュー。主な作品に『巨大投資銀行』『排出権商人』『鉄のあけぼの』『赤い三日月』『法服の王国』『ザ・原発所長』。ほかに箱根駅伝出場の経験をつづった『冬の喝采』、エッセー集『リスクは金なり』『世界をこの目で』がある。最新刊は『国家とハイエナ』。

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