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受験と私

連合会長・神津里季生さん「野球がしたくて東大へ」

連合会長の神津里季生さん=東京都千代田区の連合会館で、岡本同世撮影

 日本の労働組合の全国中央組織「連合(日本労働組合総連合会)」。その会長を務める神津里季生(こうづ・りきお)さんに、東大進学の理由を尋ねると「実は、とにかく野球がしたかったんです」。意外な答えが返ってきました。【聞き手・岡本同世】

 名前の由来ですか? 僕は3月生まれで、父が「里の季節に生まれた」とつけてくれました。童謡の「春が来た」の歌詞のように、山に来た「里」に来た、ってことじゃないかな。両親ともかつて演劇をやっていて、文学青年的なところがあったんです。

ランニングする東大野球部の選手たち=東京都文京区の東大球場で、岡本同世撮影

ひそかに夢見て

 子供の頃から、あまり上手ではありませんでしたが、野球が好きでした。小学校から高校まで進学校の東京学芸大付属。中学校でも高校でも野球部に入ったのですが、高校1年の秋に左足中指を疲労骨折して退部しました。ものすごく悲しかった。

 そうやって挫折はしたけど「また野球できないかな」とひそかに考えていたんです。そんなとき、友達に誘われて、東京六大学野球の試合を見に行きました。東大の選手は当時の古くさいユニホームを着ていたせいか、そんなに上手に見えなかった。「これだったら俺も入れるんじゃないかな」と。それは錯覚で、実際に入るとやはりレベルが高いわけですが、とにかくやりたい、と夢見たのが根っこになっています。

苦手な数学、底上げが奏功

合格発表でにぎやかな東大安田講堂前の広場=東京都文京区の東京大学で2017年3月10日、中村琢磨撮影

 東大受験を決めてから、一番苦手な数学だけは予備校に通って勉強しました。他の科目はある程度とれるかもしれないけど、数学は得意な部分といくらやっても難しい、という部分があることをはっきり意識していたからです。たとえば試験で五つ問題があるとして、5分の3とれるのか、5分の1しかとれないかで全然違ってきますよね。

 結果的にそれがポイントになった。実際の試験に臨むと、「これは得意だ」という問題がいくつかありました。間違いなく、運もあったと思います。東大の文三に入りました。

究極の「フォア・ザ・チーム」

東大球場の一塁側ダッグアウト上に並んだヘルメット。1937年に完工した同球場は、国の登録有形文化財だ=東京都文京区で

 選手を目指して入った野球部ですが、1年生のときに、練習中にバッティングキャッチャーをしていて左手の親指を骨折してしまいました。バットが当たってほぼ直角に折れたんです。

 病院では、その指先にドリルで針金を入れられた。拷問のようで、もう経験したくない痛さです。「人の痛みなんか絶対分かるわけない」とその時、思いました。逆にいうと、人の痛みは分からないからこそ、理解しようとする姿勢を持たなきゃいけない。

 そうしてマネジャーに転身しました。選手だった時は、下手だったこともあって日々の練習に必死。でもマネジャーになって「チームのために何が必要か、最善か」ということをいやが応でも考える中で、視野が広がりました。究極の「フォア・ザ・チーム」ですから。

東大野球部の練習中に監督の指示を聞く現役のマネジャーと選手=東京都文京区の東大球場で

 マネジャーの仕事は面白かったですよ。大きな額の予算を扱ったり、いろんな会社を回ったりしました。裏方としては、シーズンオフのグラウンドに除草剤をずーっとまいていったことも。タンクを背負って、噴霧して歩く姿を見ていたチームメートが「自分たちも頑張らないとな」と思ったという話を、後で聞きました。

留年し勉強 バイトで学費

 海外のことにも関心がありました。強く印象に残っているのは、アフリカ・ナイジェリアのビアフラ内戦(1967~70年)です。栄養失調の子供たちの写真を報道で見て、「同じ人間として生まれて、なぜこんなことが起きるのか」とショックを受けました。中学生になりたての頃、初めて触れた世界の実情、不条理です。

 高校では、非常に良い歴史の先生と巡り会えました。「教科書なんかはどうでもいい」みたいな感じで、自分の言葉で、すごく興味を持てるような教え方をしてくれた。そんなこともあって、第2志望は東京外語大のインドシナ語学科だったんです。

アジアへの関心を抱き続けた神津さんは、労組の専従になった後、タイの日本大使館にアタッシェとして3年間赴任した。「人生って巡り合わせだと思います」

 大学の3年に上がるとき、頑張ってハードルの高い教養学科に入りました。「アジアの文化と社会」という地域研究の分科です。4年生の秋までは野球で忙しかったけど、専門課程をまともに勉強せずに卒業してはもったいない。

 部活の引退後、1年留年することにして、下宿代含め学費はすべてアルバイトでまかないました。家庭教師をしたり、年末の上野・アメ横でノリを売ったり。楽しかったなあ。

世界への関心持ち続け

 卒論のテーマはアジア主義。太平洋戦争の時に「植民地支配下のアジアを助けるんだ」という純粋な思いを持つ人たちもいた。けれども、日本が実際にやったことは侵略戦争になった、ということに大きな関心がありました。

 世界とのつながりということが、就職先の新日鉄に対する志望動機の一つにもなっています。当時、上海に製鉄所を技術協力で造るという構想が持ち上がった頃で、ロマンを感じました。

神津さんがマネジャーを務めていた1981年の第52回都市対抗野球大会、新日鉄広畑はベスト4に勝ち上がった。写真は日本石油と対戦した1回戦=後楽園球場で

 もう一つはやはり野球。都市対抗野球で社会人の水準の高い試合を見て、こういう野球があるんだ、この世界でマネジャーをしてみたい、と憧れました。

 会社の労働組合の活動でもいろいろなものが見えました。自分の日常の仕事だけでなく、さまざまな職種の人とも付き合える。運動方針を考えるときには、日本経済、世界経済から議論を始める。「これは面白い」と目を開かれる思いで、一生懸命やりました。

働くルール、知ってください

 僕たちの頃の環境と違って、今はブラックバイトなんていう言葉も出てきてしまいました。皆さんがアルバイトするときにも、「労働基準法」というルールで保護されているということを知らないと、とんでもない目に遭います。高校生にも大学生にもワークルールというものを知ってもらいたいと思います。

 例えば引っ越しのバイトをしていて、転んでけがしたとしましょう。これはれっきとした労災です。保険で治療費が出ます。また、そのときに荷物を壊してしまって「君の責任だから弁償しろ」と業者側に言われたとしても、払う必要はありません。

連合のゆるキャラ「ユニオニオン」のぬいぐるみを手にする神津さん。「ホームページも結構充実してますから、ぜひ活用してください」

 何かおかしいな、と思ったら泣き寝入りしないで。ただ、一人一人が声を上げるのは大変だから、相談してください。電話番号は0120・154・052、「イコウヨレンゴウニ」です。地方連合会が47都道府県にあって、必ずちゃんと相談に乗りますから。

 連合は「すべての働く者のための存在」だと思っています。国に要望して、働く人、生活者本位の政策の実現を果たす、というマクロな話から、労働組合という傘に守られていない人たちの駆け込み寺的機能というミクロな側面まで。ぜひ身近に感じてほしいと思います。

キャッチボールを大切に

キャッチボールする選手たち。東大野球部は基礎練習を特に重んじている=東京都文京区の東大球場で

 野球は今も大好きです。得難い経験をさせてもらって感謝しています。今一番大切にしているのも“キャッチボール”。ボールを受けたら相手がとりやすい球、いい球を投げ返す。やっぱり人と人とのコミュニケーションが命です。労働組合、労使関係も基礎は同じですね。

 受験生の皆さんにも、やりたいことを実現する、そこに向かって頑張ってほしい。「やらされる」「言われたからやる」ではなくてね。それが受験勉強の一番の戦略だと思います。


バッティング練習をする東大野球部の選手たち=東京都文京区の東大球場で

こうづ・りきお 1956年、東京都生まれ。東京大学教養学部卒。79年新日鉄(現新日鉄住金)入社。新日鉄労組連合会(現新日鉄住金労連)会長や、鉄鋼、造船、非鉄などでつくる基幹労連委員長、連合事務局長を経て2015年10月より現職。犬3匹、猫2匹とともに暮らす。16年4月から17年9月までサンデー毎日に連載したコラム「暮らしの底上げ」をまとめた書籍「神津式 労働問題のレッスン」が2月下旬、全国書店で発売。

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