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女は死なない

第17回 「死にたい」という気持ち=室井佑月

 何年か前、息子の友達が家に遊びにきて、ふともらした。

    「死にたいな」って。

     話の流れからウケを狙ってとかではなく、その言葉は、唐突で、でもとても自然に聞こえた。夕食を食べ終えたときだった。

     あたしはテーブルを拭きながら平静を装い、

    「それはおばちゃんもしょっちゅう考える」

     と答えた。

    「ほんとの本気でそれしかないと思ったときは、おばちゃんも誘って」

     夕飯を真っ先に食べ終え、居間のソファにどっかりと寝そべっていた息子は、あたしと自分の友達の会話を盗み聞きしていたみだいだ。友達がトイレで席に立つと、あたしに近づいてきて耳元で怒鳴った。

    「あんた、なにいっちゃてんの。大人のくせに。だから、変な人って陰口叩(たた)かれるんだよ。まあ、××(友達の名)が本気でいってるとは思わないからいいけど。だって、今日は俺んちに久しぶりに遊びにきて、楽しかったはずだし」

     息子はまだ心の襞(ひだ)が形成されていない。心の襞の深いところから、暗いものが出て来て、いつの間にか心のすべてを侵食してしまうことだってある。

     あたしは息子にいった。

    「今日はもう遅いから、××に泊まってってもらいな」

     息子は大喜びした。トイレのドアから、「今日、ママが泊まってもいいってよ」と友達に声をかけていた。

     あれから何年経(た)ったろう。息子の友達××くんは、息子と通う学校が違うが、それからも年に数回は我が家に泊まりに来る。

     あの日、彼がなぜあんな言葉をつぶやいたのか、未(いま)だによくわからない。あの言葉が真剣なものであったかどうかもわからない。

     ただ、再びおなじ言葉を聞いたら、あたしは以前とおなじように答えるんだと思う。

     同類ですね、と。

     明日なんて来なければいいと思うときがある。生きているのが面倒くさくなることがある。

     具体的にこれといった悩みがあるわけでもない。ただ、明日のそのまた明日、五年先や十年先を考えたくない。

     自分に自信がないのかもしれない。今よりももっと幸せな未来、いいや今と同等な未来が想像できない。

     上手(うま)く言葉にできない。すべて後づけかもしれない。死にたいと思ったときは、死にたいことしか考えられなくなっている。なぜとか、どうしてとかはない。

     死のう、と考えるんじゃない。死にたい、と考える。

     死ぬためになにか行動を起こしてしまいそうだという不安にかられたら、あたしは迷わず病院へ行く。今は不安も消し飛ぶ、良い薬がある。

     死んでしまったら、それを後悔しても遅いからだ。ほんとのほんとにそうしたいのか、何度も考える時間は必要でしょう?

     死のうから、いつもの死にたいに、感情を移行させていければいい。

     いつもの死にたいは、風邪をひいたみたいに、いつの間にか患って、いつの間にか治っているものだ。

     年を重ねるたび、死にたいという気持ちになってもそれほど慌てなくなる。ああ、またですねという感じ。暗さの濃度も薄まってきた。

     最近では、暗さの濃度とは、生きたいと思う気持ちの影なのかもしれないと思うようになった。若いときのほうが、成功したい、お金も、素敵な恋人も欲しい、というような生きる上での欲望が強かった。その影が、そうできそうもないから死にたい、という気持ちになったのかも。

     自分に対する期待と、世間の評価の差なんてものも影の濃さとして現れる。

     ということは、死にたい気持ちと、生きて成功したいという気持ちは、表裏一体なのかもしれない。

     だからといって、死にたいという人に、「死ぬ気で努力しろ」なんてばかなことはいってはいけない。そうしたくてもできないと感じる真面目さも、影の濃さになる。

     あたしはやっぱり、死にたいという人には、「たまにそう思うよね」そんな風に共感し寄り添えたらと思う。ちっとも変じゃないと。じつはあたしがそうされたい。

     そうそう、あたしが息子の友達に、本気で死にたくなったら誘えといったのは、そのときこそこちらも本気になって止めなくてはいけないと思ったからだ。そのときがあるなんてことは考えたくもないが、一応、大人として予防線を張っておいただけ。

     息子の友達の××くんとは、あれから深い話などしていないが、なぜか息子より魂が近い気がする。あたしだけがそんな風に思っているだけかもしれない。

    (本連載は最終回です)

     

    室井佑月

    1970年、青森県生まれ。雑誌モデル、銀座・高級クラブでのホステスなどを経て、1997年に「小説新潮」主催「読者による『性の小説』」に入選し、作家デビュー。小説家、随筆家、タレントとして多岐にわたり活動している。2000年に第一子となる男児を出産。2016年には、一人息子の中学受験と子育てについて愛と葛藤の8年間を赤裸々に綴ったエッセー『息子ってヤツは』(毎日新聞出版)を上梓。主な著書に『熱帯植物園』(新潮社)、『血い花』(集英社)、『子作り爆裂伝』(飛鳥新社)、『ママの神様』(講談社)などがある。

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