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東日本大震災7年:この舞と唄、残したい 集落の誇り、民俗芸能

東日本大震災7年

この舞と唄、残したい 集落の誇り、民俗芸能

東日本大震災7年 この舞と唄、残したい 集落の誇り、民俗芸能

 田植え踊りや虎舞など、東北の太平洋沿岸部に伝わる数多くの個性豊かな民俗芸能が、東日本大震災とその後の東京電力福島第1原発事故で深刻な影響を受けた。福島では、長期避難などにより沿岸部の民俗芸能約350のうち200前後が今も活動を休止したまま。宮城や岩手でも、集団移転や人口流出による担い手不足が暗い影を落とす。「地域の絆」の象徴だった民俗芸能は震災後、「復興のシンボル」として注目を集めた。しかし、住民が離散し地域の基盤が失われたため、活動の継続が困難になる団体も多い。変わり果てた故郷と新たな生活環境のはざまで、民俗芸能の継承を模索する人たちの姿を追った。【写真・文 喜屋武真之介】

    今なお帰還困難区域で立ち入りが制限される福島県浪江町津島地区の自宅に戻った紺野礼子さん(83)。地区には4つの集落にそれぞれ異なる田植え踊りが伝わり、「庭元」と呼ばれる家が、その世話役を代々務めてきた。踊りを担う男衆は庭元の家で練習を重ね、その間の食事などは庭元の女性たちが用意した。礼子さんは南津島集落の庭元だった紺野家で生まれ育ち、婿養子をもらって長年裏方として田植え踊りを支えてきた。しかし、原発事故に伴う避難により、踊りを再開するめども立たず、その拠点だった家もイノシシなどに入られ荒れてしまった。「戻ることは諦めた。でも、この家だけは壊したくない」=2月26日、喜屋武真之介撮影
    原発事故後初めて、避難先で南津島地区の住民らに披露された田植え踊り。継承の危機から、併せて記録撮影された。懐かしい古里の舞いに住民の笑顔があふれたが、礼子さんは踊りが好きで事故の翌年亡くなった夫寿幸さん(当時75歳)を思い出し、涙を流した=福島県二本松市で1月14日、喜屋武真之介撮影
    段ボールで再現した岩手県陸前高田市気仙町に伝わる中井虎舞の獅子頭(がしら)を手に、かさ上げ工事で盛り土された自宅跡付近に立つ同市出身の菅野佳奈子さん(31)。本物の獅子頭は津波で破損。住民も散り散りとなり、舞いを再開する話は上がっていない。震災後は、虎舞に携わってきた菅野さん家族が、佳奈子さんの兄の結婚式で段ボールの獅子頭を使い、余興として一度披露しただけ。自宅が全壊し祖母も亡くした佳奈子さんは「みんな新たな場所での生活に追われ、虎舞どころではないのだと思う」と話す=2月20日、喜屋武真之介撮影
    国指定の重要無形民俗文化財「月浜のえんずのわり」に今年参加し、学校に通いながら岩屋で寝食を共にした4人。宮城県東松島市月浜地区に伝わるえんずのわりは、小中学生の男子が小正月に合わせて6日間、岩屋で共同生活を送り、唱え言しながら集落の各戸を回って無病息災などを願う。同地区は津波で多くの家が流され転出が相次ぎ、住民は震災前の半数以下の80人ほどに。(右から)中学3年の鈴木颯斗(はやと)さん(15)は今年を最後に卒業し、鈴木凛生(りき)さん(12)も昨年、地区外に引っ越した。地区内で未就学児の男子は1人しかおらず、対象年齢や地区の拡大、女子の参加などが議論されている=1月14日、喜屋武真之介撮影
    大漁旗を背負い、唄い込みをしながら高台の家々を回る小中学生たち。宮城県南三陸町寄木(よりき)地区の伝統行事、「ささよ」の今年の参加者は6人だったが、来年は中学3年生2人が抜けて4人になる。地区は高台に集団移転し、海沿いは今も津波の爪痕が色濃く残る。同町の人口は震災前に比べて3割近く減少した=1月15日、喜屋武真之介撮影
    宮城県山元町に伝わる中浜神楽の復活に向け、面を彫る保存会の千尋正さん(69)。津波で同町中浜地区は大きな被害を受け、面や衣装など神楽の道具や資料は流失。残っていた映像や会員の記憶を頼りに復元を進めているが、年月の経過と共に作業は難航している。災害危険区域に指定された同地区の住民は離散し、高齢化と後継者不足で復活が危ぶまれるなか、「神楽を見たいという声も届いている。俺たちの面だと納得できるものを作って早くお披露目したい」=宮城県岩沼市で2017年12月15日、喜屋武真之介撮影