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地下鉄サリン事件:被害者がドキュメンタリー映画制作 アレフ幹部との対話で迫った「信教の自由」

地下鉄日比谷線築地駅そばの路上でサリン中毒の乗客を手当てする救急隊員ら=東京都中央区築地で1995年(平成7年)3月20日、本社ヘリから山下浩一撮影

地下鉄サリン事件

被害者がドキュメンタリー映画制作 アレフ幹部との対話で迫った「信教の自由」

 地下鉄サリン事件の被害者である京都府の映画監督、さかはらあつしさん(51)=本名・阪原淳=が、オウム真理教の後継団体「アレフ」の幹部と対話を試みたドキュメンタリー映画「AGANAI」が、世に出ようとしている。アレフは近年、マスコミの取材を受けず、貴重な映像が含まれている。さかはらさんは「被害者の立場で信教の自由と向き合い、事件や教団の後継団体の現状を捉えようと撮影・編集を続けてきた。完成まであとわずか。クラウドファンディングなどで支援してくれた人たちに心から感謝したい」と話している。【岸達也/統合デジタル取材センター】

事件で電通を辞めて生き直す

地下鉄の駅で映画のイメージを練るさかはらさん=東京都港区で2014年12月26日、岸達也撮影

 さかはらさんは1995年3月20日、当時勤めていた電通への出勤途中の地下鉄日比谷線で、事件に巻き込まれた。サリンの影響で瞳孔が縮み視界が暗くなる「縮瞳」の症状が出て、濃いサングラスをかけたような世界をさまよった。地下鉄サリン事件では13人が死亡。自身が乗っていた車両でも1人が死亡した。

 その年は日本がひどく揺れた年だった。2カ月前の1月17日には阪神大震災が発生。3月30日には東京で警察庁長官銃撃事件なども続き、社会に不安が渦巻いていた。地下鉄サリン事件後に、教団捜査が本格化。前代未聞の化学兵器を使った無差別テロという事件の全貌が浮かび、日本中が驚がくした。

 「なぜ自分が巻き込まれないといけなかったのか。どうしようもない問いに頭を悩ませませることになった」と、さかはらさんは当時の心境を振り返る。無差別テロの被害者として怒りをぶつける対象すら分からず、ゆっくりと深く精神がむしばまれていった。

 「もう一度生き直そう」。事件の3カ月後に退社し、翌年、学生時代からの夢だった映画製作を学び、経営管理修士号(MBA)の資格を得ようと渡米した。滞在中に、2001年カンヌ国際映画祭短編部門で最高賞を受賞した「ビーン・ケーキ(おはぎ)」の製作を手伝った。同年に帰国した後、映像分野の専門学校で講師を務めたりしながら、映画監督の道に踏み出した。

アレフ幹部は同郷で大学の同窓

撮影に向かうさかはらさん(中央)とアレフの荒木幹部(右)=東京都港区で2014年12月26日、岸達也撮影

 作品「AGANAI」は約90分。映画の中で対話する相手は、元オウム信者で今はアレフの荒木浩幹部(49)だ。京都大大学院の修士課程在籍時の92年に、オウム真理教に入信した。松本サリン事件(94年)や地下鉄サリン事件の時は教団内にいたが、広報部門に所属し、事件に直接関わっていなかった。00年に教団はオウム真理教からアレフへと名称を変更。そのままアレフ幹部として広報を担ってきた。

 さかはらさんと荒木幹部はともに京都府・兵庫県境の丹波地区出身で京都大の同窓だ。

 シーンの多くは、事件から20年の節目に合わせて2015年に撮影された。信者らがオウム真理教の教祖・松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚の写真を飾ったアレフ施設内の部屋でヨガに打ち込み、事件当時「オウム食」と呼ばれた質素な食事を今も食べ続ける修行の様子が連綿と紹介される。

 事件現場となった東京の地下鉄に荒木幹部と乗ったり、埼玉県内のアレフの施設に足を運んだりし、その後2人で共通のルーツの京都に移動。大学構内や故郷で、松本死刑囚の責任や荒木幹部がアレフに残った理由などについて対話を続けていく。ロードムービー風だが、信教の自由とは何か、という難題と向き合った内容だ。

 荒木幹部は、さかはらさんの問いに丁寧に答え続ける。オウム真理教の事件への責任について問われると謝罪する。その一方で、今も「尊師」と仰ぐ松本死刑囚について事件への責任の有無を詰められると、はぐらかそうとし、「殉じたい」などと言う。そんな揺れ動く相手の姿が、映像として克明に刻まれている。

再編集で映画祭はいったん断念

サリンがまかれた電車が停車する地下鉄霞ケ関駅構内に向かう化学防護服を着た東京消防庁化学機動中隊=東京都千代田区霞が関で1995年(平成7年)3月20日、東京本社写真部員撮影

 映画製作に入った15年1月、東京地裁の記者クラブで記者会見し、集まった司法担当記者たちに呼びかけた。「私はみなさんと違ってジャーナリストではありません。被害者であり映画監督です。何が正しく、何が悪いのかという話をするつもりはない。ただ(オウム真理教関係者に)話をゆっくり聞かせてほしい、まずは額面通り受け取るので話をうかがいたい、というスタンスで、映画を作りたい」

 その後、インターネット上で趣旨に賛同してくれる第三者に寄付を募る「クラウドファンディング」を利用し、3カ月で約170万円を集めた。

 カメラや録音など数人でクルーを組み、撮影は順調に進んだ。やっかいだったのは編集だ。依頼した編集マンと編集方針をめぐり何度も衝突した。15年末にいったん編集を終えたが、被害者としての苦悩が描き切れていないと判断。独力で再編集に当たることにした。「社会から総攻撃を受け続けるアレフの幹部に信教の自由はどこまで認められるべきなのか。そのラインは監督の私個人で引くしかなかった」

 再編集前の作品は16年の香港国際映画祭(本祭)への出品が内定しかけていたが、最終的に辞退した。「自分で何度も何度も作品を見返したが、死傷者5800人超という未曽有のテロをテーマに、被害者の立場で撮影した作品にしてはエッジがきいていない。深刻さを伝えきれていないと思った。苦渋の決断だった」

 2年間かけて再編集し、大幅に改変。作品はほぼできあがり、19日に始まる今年の同映画祭で完成間近の作品を外国の映画配給会社などに売り込む「企画市(いち)」に出品される。

アレフにとって「信教の自由」とは

除染作業を終え地下鉄霞ケ関駅構内から出てきた陸上自衛隊員=東京都千代田区霞が関で1995年(平成7年)3月20日、東京本社写真部員撮影

 さかはらさんは「学生時代、京都大のキャンパスで布教に来た松本死刑囚を見かけたことがある」と話す。日本はバブルの好景気に沸いていた。オウム真理教は当時、奇妙な新興宗教の一つという印象でしかなかった。のちにサリンをまいたり、軍用爆薬を東京都庁舎内で爆発させたりという凶悪かつ大胆な手口で、バブル崩壊後の日本社会を根底から揺さぶることになる。しかし、当時そんな展開は誰も予想できなかったし、自分の人生まで変えてしまうなど想像だにしなかった。

 オウムの事件からすでに20年以上が経過している。地下鉄サリン事件に関与した最後の逃亡者、高橋克也受刑者(59)の無期懲役刑が今年1月に確定し、教団を巡る刑事裁判はすべて終結した。社会の関心は、松本死刑囚ら教団幹部13人の死刑執行がいつになるのかに移り始めている。

 「AGANAI」に向けて動き始めたのは、地下鉄サリンから間もなく20年になろうとしている14年1月のこと。「人生にからみついたオウム教団の問題を映画の形で整理しなければ」という思いが徐々に高まっていた。

 「信教の自由」を含む難しいテーマになることが予想され、取材や撮影は極力シンプルな方法を目指した。「被害者である自分と直接向き合ってほしい」。オウム真理教の後継団体のアレフと、そこから07年に分派した「ひかりの輪」に電話やメールで繰り返し取材を申し込んだ。「彼らは被害者や社会に心から謝罪してこなかった」と感じていた。

 作品で「対話」というスタイルを選んだ理由については、こう語る。「これほど長い時間が過ぎ、社会から拒絶されながらも、なぜ教団に残り続けるのか。その真意を被害者の立場で率直に尋ねたかった」

ひかりの輪は「仕入れ先変えただけ」

さかはらさんが2015年に出版したひかりの輪の上祐史浩代表との対談本=2018年3月8日、岸達也撮影

 松本死刑囚への帰依から脱却したと主張し、「仏教哲学サークル」と名乗る「ひかりの輪」からは、すぐに返事が来た。14年7月に上祐史浩代表と数時間対談し、その内容を翌年、本にまとめた(『地下鉄サリン事件20年 被害者の僕が話を聞きます』dZERO刊)。

 さかはらさんは上祐代表との対談について言う。「オウム真理教は悩みを抱えた人たちを取り込んでいったわけですが、商売にたとえるなら、ひかりの輪は仕入れ先を変えたと公言しつつ、同じ手法で商売しているだけだと思った」。本のあとがきで、さかはらさんは、オウム問題が終わるのは(1)松本死刑囚の刑執行(2)アレフとひかりの輪の解散(3)被害者のケア――がそろった時だと指摘。上祐代表に、ひかりの輪の解散を求めた。

 アレフとは交渉が難航したが、ビデオメッセージを送るなど何度も連絡をとるうちに、荒木幹部が撮影に応じることで話がまとまった。映画出演について、荒木幹部は「さかはらさんに言われて気付いた。私たちは被害者一人一人と向き合ってこなかった」と周囲に語ったことがある。教団の実態を知りたいという監督の要望に応じ、自分以外にも複数の幹部信者へのインタビューを認め、教団施設内の撮影も許可した。

20年後も世の中への謝罪なく

地下鉄サリン事件から20年の日、地下鉄霞ケ関駅での献花後に大勢の報道陣に囲まれるアレフの荒木幹部(中央)と撮影するさかはらさん(右)=東京都千代田区で2015年3月20日、岸達也撮影

 映画の中で印象的なシーンがある。

 地下鉄サリン事件からちょうど20年の2015年3月20日、荒木幹部は事件現場の一つである東京メトロの霞ケ関駅を献花に訪れた。さかはらさんは事前に「集まったメディアを通じて、社会に対し明確に謝罪してはどうか」とアドバイスしていた。献花に現れた荒木幹部は報道陣にもみくちゃにされたが、謝罪の言葉を発することはなかった。

 「当局の監視下にあるアレフが、再び大規模なテロを起こす可能性は低い」と、さかはらさんは見る。「ただ、自分たちの信仰を認めようとしない社会を憎む構造は20年間引き継がれて変わらず、解決のしようがない。荒木幹部の漏らした『殉じたい』という言葉は非常に重い言葉だと思う」と話す。

 映画の編集が進むにつれ、アレフに批判的な内容となることが鮮明になっていき、荒木幹部は協力を拒むようになっていった。現在は音信不通だ。さかはらさんは「いろんな人に映画を見てほしい。オウム教団に関わった人は、誰も幸せになっていない。それがよく分かる」と言う。そしてこう続けた。「もう一度荒木幹部に会えるとしたら、教団をやめ、まじめに生き直してほしいと言いたい。それがかなわないなら、少なくとも布教活動は控えるべきではないか。そんな自分の意見を彼に直接伝えたい」

題名に込めた意味は

さかはらあつしさん=東京都千代田区で2018年1月22日、岸達也撮影

 香港国際映画祭はアジア有数の規模を誇る映画イベントだ。「WIP LAB」と呼ばれる企画市は昨年スタートし、完成間際の優れた作品と、本格的な出資・配給を手がける各国映画バイヤーを仲介する機能がある。今年は中国やロシア、ブルガリアなどから10作品がノミネートされた。

 映画の題名「AGANAI」は日本語の「贖(あがな)う」から来ている。「償う」とほぼ同じ意味で「死んで罪を贖う」などと使われる。

 映画化を考えていたころ、9歳年下の女性との結婚、離婚を経験した。女性と結婚する直前、相手が実は過去に教団と接点があったことが判明する。友人の入信騒動に巻き込まれたという女性の説明に納得し、結婚に踏み切った。しかし、地下鉄サリン事件にこだわる自分と、過去を消したいと望む相手との間に亀裂が生じ、埋めようもないほどに広がった。「私の人生は教団のせいでめちゃくちゃになった。でも、その私が、彼女の人生を狂わせてしまった側面もあります」

 題名は、さかはらさんの妻だった女性への贖いと、映画出演を決めた荒木幹部が社会に対して抱いていたはずの贖いの気持ちなど、さまざな思いがこもっている。