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俳優の若山富三郎(右端)=1973年ごろ

 大映労組の再建闘争に、勝新太郎は同情的だった。勝にとって京都撮影所は、デビューから雌伏の時を過ごし、「座頭市」「悪名」でスターとなった、役者としてのふるさとだ。「大映京都撮影所の最大の財産は人材だ。映画を愛する人がいる限り、これらのスタッフをフルに活用して、よい映画を作りたい。大映京都撮影所を離れたくない」。大映倒産時、思いをこう吐露した勝は、その言葉通り、物心両面で京撮を支援した。

     1970年代、勝は兄の若山富三郎と共に大スターだった。勝プロは72年、東宝と年6本の作品供給を契約する。大映時代から続く「座頭市」、新たに始まった「御用牙」、若山の「子連れ狼」などのシリーズ映画は東宝のドル箱となった。勝はテレビにも進出し、ドラマ制作も手がける。京撮には馬場正男のようにデビュー直後から勝と仕事をしてきたスタッフが大勢いて、技術の高さも身をもって知っていた。勝プロ作品は優先的に大映の撮影所に回したのだ。

     撮影助手だった宮島正弘は「占拠してる間は、勝プロが一番活躍した時代でした。ぼくも『子連れ狼』は全部やってるし、『座頭市』から『顔役』から、えらい忙しかった」と振り返る。馬場ももちろん、撮影に加わった。「勝っちゃんとはようやりました。応援してくれたというか、利用してくれはってね」

     実現こそしなかったものの、勝は京撮を買い取る意向も示している。「不動産屋が買って団地や何かになってしまうのでは寂しい限りだ。映画人にとって撮影所は故郷であり国である。われわれの国を守りたい、だから買う意志を持っていると言っている」(「キネマ旬報」72年11月下旬号)

     73年に管財人が提示した京都撮影所の処分案では、半分は京都府に、残りは勝プロに売却という内容で、労組も乗り気だった。もっとも勝の関与はこの後、交渉が進むにつれて消えてゆく。<勝田友巳>=次回は24日掲載

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