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香山リカのココロの万華鏡

ものさしは人それぞれ /東京

 悲しみや傷つきは人それぞれだ。長く精神科医をやっていて、つくづくそう思う。

     ずいぶん昔になるが、「大切にしていたお茶わんを割ってしまい、それから気持ちが落ち込んでいる」という人が診察室に来たことがあった。「高価なものだったのですか」と聞くと、「いえ、ふつうの値段です」と言う。とくに使いやすいと思っていたわけではなかったが、もう何年も使っていてなんとなく愛着を持っていた。それを洗っていてうっかり落として割ってしまったのだが、そのとき「心まで粉々になった気がするのです」と話しながら、その人の目に涙が浮かんだ。

     さらにその人が傷ついたのは、家族や友人にこの話をしても、「お茶わんぐらいまた買えばいいじゃない」と取り合ってくれなかったことだ。「一緒に買いに行こうよ。似たような大きさや柄のがあるよ」と言ってくれた人もいるが、そう言われると逆に「あのお茶わんがよかったのに、誰も気持ちをわかってくれない」と悲しくなるのだそうだ。

     私はこう言った。「なるほど。割ってしまったお茶わんが忘れられない。おっしゃる意味は理解できますが、私もあなたの悲しみが心からわかるわけではありません」。するとその人はがっかりした顔をしたので、あわててつけ加えた。「でも、あなたが悲しいとおっしゃるのだから、本当に悲しいのですよ。愛用していたお茶わんとあなたは特別な関係だったのですね。あなたは人一倍、愛情深い人なのでしょう」

     そう、悲しみも傷つきも、ものさしは人それぞれ。目盛りが細かく刻まれている人は、周りから見ると「そんな小さなことで」というようなできごとでも、深い悲しみを感じるだろう。でもそういう繊細な人が、他の人なら涙を流す映画を見ても、あまり心を動かされない場合もある。

     私も昔、ケーキなどについている砂糖菓子の家やツリーが食べられず、机の引き出しにそっと取っておいたことがあった。あるとき引き出しをあけると、砂糖菓子はドロドロに溶けており、何日間かポロポロ泣いていた気がする。いま思うと、「そんなことぐらいで」という気もするが、昔の私にときどきそっと声をかけている。「悲しみは人それぞれ。そのときは本当につらかったんだよね。いいんだよ」

     小さなことで悲しめる自分、傷つける自分には、特別な細やかさや優しさが与えられているのだ。そう思ってすごしてみるのはどうだろう。(精神科医)

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