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元プロ野球西鉄ライオンズ外野手 高倉照幸さん=2月12日死去・83歳

高倉照幸さん

西鉄伝説の語り部 高倉照幸(たかくら・てるゆき)さん=2月12日死去・83歳

 毎日新聞西部本社版で昨年連載した「西鉄ライオンズ 最強伝説」の取材で昨夏に2度、お会いした。足をけがして電動車いすを使っていたが、1956年から3年連続日本一を達成するなど、プロ野球史に残る西鉄黄金期の逸話を、柔和な表情で昨日のことのように話していただいた。

     今の北九州市に生まれ、熊本に疎開。熊本商業高で選抜大会に出場した。53年に故三原脩監督が率いる西鉄に入団。1年先輩に中西太さん、同期に故豊田泰光さん、3年後輩には故稲尾和久さんがいた。強力打線の1番を担い、初球から打つ積極性から「切り込み隊長」として親しまれた。67年に巨人に移籍したが、54年のパ・リーグ初優勝や、西鉄として最後となる63年の5回目の優勝も知る高倉さんは、まさに伝説の語り部だった。印象的だったのは、野球と私生活の豪快さ、「野武士軍団」と呼ばれた西鉄の選手たちの「本当の日常」だった。

     当時の西鉄について、「内野の連係とか、外野のカバーとか。黒板に書き出して、しょっちゅうミーティングだった」と話した。別リーグながら、三原さんと因縁のあった巨人の名がよく出たという。「三原さんは『ジャイアント』って口癖のように言う。ツじゃなくてト。『ジャイアントに絶対に負けたらいかん』とね」。地元ファンの激しい応援には「重圧もあったけど、九州に帰ると安堵(あんど)感があった。平和台球場は庭みたいで、自分の力以上のものを発揮できたよ」。高倉さんの軽快な語りを聞いていると、当時の情景が私の脳裏に浮かび上がるように感じた。

     58年の西鉄最後の日本一から60年。高倉さんが語ってくれた「伝説」を大切にしていきたい。【吉見裕都】

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