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余録

塀は斜めに走り寄ると駆けあがれる…

 塀は斜めに走り寄ると駆けあがれる。床板のくぎを抜くには、指をくぎの頭に押しつけて回すのをくり返すとゆるむ。毎日、みそ汁を監視窓のネジにたらし続けると、ネジが腐食して枠を外せるようになる▲吉村昭(よしむら・あきら)の長編「破獄(はごく)」が記す服役囚・佐久間の脱獄術である。4度の脱走を重ね昭和の脱獄王と呼ばれた人物がモデルという。看守には「うるさいこというと、お前の当直の時に逃げる」と脅し、監視規則に穴を開ける術策も用いた▲厳重な拘束や監視下に置かれた佐久間だが、戦後出会った刑務所長・鈴江の寛容な対応に心をやわらげる。やがて一般の受刑者にまざって模範囚となり、仮釈放されて社会復帰したのは、モデルの人物に実際に起こったことであった▲脱獄王にはいつでも脱走できた環境下の服役が更生をもたらしたのだ。それと似た効果を期待する今日の「塀のない刑務所」だが、残念ながら逃げる受刑者もいる。松山刑務所大井造船作業場で服役中の男による22日間の逃走劇である▲男が潜伏した島の住民を不安に陥れ、大捜索網が振り回されたこの3週間だった。模範囚の中の模範囚とされた男が、どう考えても逃げ切れない逃走になぜ踏み切ったのか。「刑務所の人間関係がいやになった」からだと当人はいう▲服役者に社会復帰への道筋を自覚させてきた塀のない刑務所だが、もちろん地域社会の理解なしにありえない。ここは男を斜めに駆けあがらせた刑務所内の見えない塀を探し出し、取り払わなければなるまい。

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