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ふくおか探索

涼山亭 門司港の隆盛伝える建造物 文化財登録の苦労実る 井上さん夫妻「活性化のきっかけになれば」

心地よい風が吹く中庭に立つ井上マチ子さん(左)と柴田加奈子さん。住み着いたネコの姿を見かけることも
文化財登録の立役者となった井上扶さん井上マチ子さん夫妻

 昭和の映画スターも宿泊した北九州市門司区の「門司港涼山亭」(旧丸山山荘)が、国有形文化財に登録されることになった。門司港の隆盛を伝える歴史的建造物としての価値が認められたためだ。ただ、魅力はそれだけにとどまらない。登録に向けて尽力した建築の専門家は「現在お住まいの夫妻にこそ価値があるのです」と指摘する。その心とは。【比嘉洋】

     涼山亭(全17室)は観光客でにぎわう門司港レトロ地区から1・2キロ南東の閑静な高台に立地。木造の主屋棟や客間棟、離れの各建物が中庭を馬てい形に囲み、どの座敷からもツツジや柿、カエデなどの植栽が映す四季を楽しめる。

     石炭の採掘や販売を営む実業家が別宅として1925(大正14)年に建てた。34(昭和9)年からは旅館になり、37年ごろには主演映画の宣伝で門司港を訪れた俳優の田中絹代(1909~77年)が宿泊した。周囲にも旅館や料亭が林立し、花街も形成された。石炭貿易や軍需で門司港が栄華を極めた頃だ。

     丸山旅館から丸山山荘と名を変えた建物は、戦火をくぐり抜け、53年の西日本大水害の被災も免れた。だが、関門トンネルや関門橋の開通で「通過点」になった門司港は急速に衰退。旅館は2000年に廃業し、空き家になった。

     「買った時はそんな歴史は知らなかった」。05年に山荘を購入した井上扶(たもつ)さん(71)と妻のマチ子さん(66)は言う。転勤を繰り返した元国家公務員の扶さんが定年後の定住先を求めて九州北部の物件を探し回っていた時、敏腕で鳴らした元不動産販売員のマチ子さんの目に山荘が留まった。「玄関に入った瞬間、『買う』って決めたの」。玄関に入るとすぐに中庭が目に飛び込む。「畳に寝転んで庭を眺める」老後の夢がかなった。

     しかし、修復費は予想外にかかり、楽隠居は許されなかった。夫妻は山荘に予約制の焼き肉・海鮮料理店「門司港涼山亭」を開き、費用を稼いだ。経営が軌道に乗り、生活が落ち着いた頃だ。扶さんはある学者が不意に「建物を見せてください」と訪ねてきたことを思い出した。「ひょっとしたら文化財の価値があるのかも」。さっそく地元の西日本工業大に相談の電話を入れた。

     文化財登録に必要な平面図や立面図を作製するため、建築に詳しい同大研究員の柴田加奈子さん(43)が学生と一緒に実測を始めたのは13年5月。2年がかりで図面は完成したが、文化財としての「由緒」の立証は難航。所有者の名前は古い登記で判明したが、何者か探り当てるために柴田さんは大正期の人名録や名鑑を片っ端から当たった。

     苦労が報われ、国の文化審議会は今年3月、国の有形文化財への登録を答申した。柴田さんは涼山亭の登録作業を通じ、地域に眠る歴史的建造物の保存や活用を担う福岡県の「ヘリテージマネージャー」の資格を獲得するおまけが付いた。

     柴田さんが「文化財の条件は現に使われていること。もし井上夫妻が購入しなければ、保存に向けて動かなければ、登録はなかったかもしれない。建物の本当の価値は2人にある」と説明すると、隣で聞いた扶さんは照れくさそうに言った。「登録が門司港の再活性化の一助になれば」


    門司港涼山亭

    住所:北九州市門司区丸山2の12の6

    飲食店は身内の介護のため2016年に休業したが、建物は予約すれば見学可能。連絡先は井上扶さん(090・9486・3939)。

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