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月刊相撲

大相撲名場面 1987年夏場所 2度目の殊勲賞を獲得した益荒雄

1987年大相撲夏場所3日目、千代の富士をうっちゃりで破った益荒雄(右)

速攻の「白いウルフ」

 日本がバブル景気に沸いていた1987年5月の夏場所。「益荒雄旋風」が再び、土俵上を吹き抜けた。

     現阿武松親方の益荒雄は、86年の九州場所で右差し、速攻というスタイルを確立し、11勝4敗で初めての敢闘賞を受賞。年が明けた初場所でも技能賞に輝き、春場所では2横綱4大関を撃破して殊勲賞を手にした。続く夏場所も勢いは止まらない。「白いウルフ」と呼ばれた益荒雄は、東小結で場所に臨んだ。

     春場所で千代の富士から白星を挙げたことが大きな自信になっていた。「千代の富士関に勝ったことは、私の人生で大きな転機になった。運動神経、スピード、腕力のどれをとっても太刀打ちできなかったが、研究が大切だということがよく分かった」

     続く夏場所3日目にも、2場所連続で千代の富士を破った。土俵際まで寄り立てられ、俵に両足がかかったが粘り、そこから逆転のうっちゃり。「相手の体がふっと浮いた。今でも覚えている。それでうっちゃれた」。流れの中で、千代の富士の左前みつを万全の位置から5センチ深く取らせる作業をしたことが、最後に生きた。益荒雄はこの場所でも2横綱2大関を破り、2回目の殊勲賞を獲得。10勝5敗の好成績で、場所後に関脇に昇進した。

     福岡県糸田町出身。元々は柔道選手だったが、高校2年で中退して押尾川部屋に入門。若い頃の猛稽古(げいこ)ぶりは語り草になっている。巡業先での話だ。まだ外が暗い午前2時ごろに起きて、懐中電灯で道を照らしながら土俵へ向かった。稽古の順番取りをするためだ。そこで好敵手だった寺尾(現錣山親方)らとぶつかりあった。

     87年秋場所で右ひざの靱帯(じんたい)を痛めた。そこからはけがとの闘いが続き、90年名古屋場所で現役生活にピリオドを打った。引退後は阿武松部屋を創設。師匠として後進の指導にあたり、阿武咲ら関取を育ててきた。

     今年3月には役員改選で日本相撲協会の新理事に就任し、審判部長を務めることになった。「身が引き締まる思い。公平中立にやっていく」。56歳になった今も、鋭い視線に変わりはない。【高橋秀明】

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