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ビキニ、湯川の転機 反核にじむ日記、京大公開

 日本人初のノーベル賞を受賞した物理学者の湯川秀樹(1907~81年)が、米国による太平洋・ビキニ環礁付近での水爆実験について記した1954年の日記を、京都大が11日に公開した。漁船「第五福竜丸」の被ばく、原子力を巡る新聞寄稿や全国講演の様子を記載。湯川はビキニ事件に衝撃を受け、その後、平和運動に生涯情熱を傾けた。専門家は「湯川の転機に当たり、重要な資料」としている。

     日記は学生用の日記帳に書かれ、遺族が保管。京大基礎物理学研究所・湯川記念館史料室が判読し、ビキニ事件に関する54年3~12月の内容を公開した。

     日記に初めてビキニ事件の記述が表れるのは第五福竜丸が静岡県焼津市に帰港した後の3月16日。「水爆実験による真っ白な灰を被ったマグロ漁船第五福竜丸帰港、火傷の傷害を受けた乗組員を診断 水爆症と推定」と記している。湯川は対外的に沈黙を保っていたが、3月30日付の毎日新聞朝刊1面で「原子力と人類の転機」を寄稿。31日付の「英文毎日」にも英訳が載った。日記では28日に「家に居て毎日新聞原稿」とあり、執筆に取り組む様子がうかがえる。

     湯川はその後、全国を精力的に巡り、原子力の脅威などを訴えた。4月2日の日記には「国会 自由党総務会で 原子力について話す」とあり、議員らに説明。12月6日には福岡県内での講演が「聴衆三千名に近い」とし、市民の関心の高さを記す。

     9月23日には「ビキニ死の灰の被害者久保山愛吉氏死去の報あり」とし、第五福竜丸の乗組員の死亡を書き留めている。

     湯川は翌55年、科学者らが核戦争の危機を訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名し、57年には核廃絶を目指す「パグウォッシュ会議」に参加。湯川と交流があり、日記を判読した小沼通二(みちじ)・慶応大名誉教授(87)=素粒子理論=は「湯川はビキニ事件を機に会議出席や講演を積極的に行い、核廃絶を最優先にした“行動の人”になった。『寄稿文を書いたことが原点』とも語っていた」と話す。

     日記の内容は同史料室のホームページで見られる。【菅沼舞】

    「野獣つくった」 54年本紙寄稿

     公開された日記にある通り、1954年3月30日付の毎日新聞朝刊1面に「原子力と人類の転機」と題する湯川秀樹の寄稿(約2300字)が掲載された。この中で湯川は「原子力と人類の関係は新しい、そしてより一層危険な段階に入った」と、ビキニ水爆実験の衝撃の大きさを率直に吐露し、「原子力の脅威から人類が自己を守るという目的は他のどの目的より上位におかれるべきではなかろうか」と、国家を超えた連帯の必要性を問うている。

     湯川は「二十世紀の人類は自分の手でとんでもない野獣をつくり出した」と書き起こした。「もはや飼主の手でも完全に制御できない狂暴性を発揮しはじめた」「少数の強力な国家だけが今後もこの猛獣の飼主たる地位を保持するであろう」と危機感を示している。一方、寄稿を紹介する一文には「(湯川が)この問題について沈黙を守っていた」とあり、実験から1カ月近くたって初めて湯川が見解を公にしたことがうかがわれる。(引用した文章は原文のまま)【阿部周一】

     山本昭宏・神戸市外国語大准教授(日本近現代史)の話 日記の記述は淡々としているが、国会議員への説明や講演の日程が書き込まれている点が興味深い。社会が「原子力の第一人者」「日本を代表する科学者」として湯川の言葉を求め、湯川もまたそれに応える中で「科学者としての社会的責任」を練り上げていったと推察される。毎日新聞への寄稿からは、原子力という世界共通の課題を前にして、人類の連帯を成立させねばならないという切迫感が読み取れる。湯川にとって、ビキニ実験は「原子力を(軍事的に)使いこなせるのか」という根本的な疑問を芽生えさせ、後にパグウォッシュ会議参加などに至る転機となった。

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