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いただきます

ポーク卵×5.15沖縄 しなやかなウチナーの味

イラスト 佐々木悟郎
沖縄料理屋「うみないび」でくつろぐ上地哲さん

 三線(さんしん)と沖縄民謡のBGMが流れる雑居ビルの店内で、常連客が泡盛を酌み交わしていた。東京都品川区。東京湾に近い京急立会川駅そばに沖縄料理屋「うみないび」はある。沖縄から出張で来た経営コンサルタント、上地哲(うえちさとし)さん(64)ができたてのポーク卵に箸を伸ばし、仕事相手の東京の男性に勧めた。「これがウチナー(沖縄)のソウルフード。もうすぐ5・15ですから」

     「5・15って?」「沖縄がアメリカから日本になった日ですよ」。ほろ酔いの上地さんが話し始めた。

     沖縄県読谷村出身。戦後の米軍統治下に生まれ育った。近所の雑貨店の棚にはピカピカの缶詰が並んでいた。米軍の野戦食、ポークランチョンミート缶だ。畑で作ったゴーヤーと物々交換して持ち帰り、卵と一緒にフライパンで焼くポーク卵を作ってもらうのが楽しみだった。

     戦後、叔母が米兵と結婚した。沖縄戦で夫を亡くした祖母は会おうともしなかったが、米兵は祖母のもとに何度も通って結婚の許しを請うた。戦後も米軍による事件や事故は絶えず、村内では少女がパラシュート訓練で投下されたトレーラーの下敷きになり命を落とした。それでも、祖母は孫が生まれると「マイクさん」と米兵の名前を呼ぶようになった。みんな葛藤しながら、基地と暮らしてきた。

     上地さんが高校3年の1972年5月15日、沖縄は本土復帰した。だが、目の前の米軍基地はなくならない。疑問が募り、自分の目で本土を見ようと東京の大学に進んだ。

     待っていたのは想像以上の無関心と偏見だった。アパートを借りる際に出身地を告げると、入居を断られた。基地負担の現状を知らないだけでなく、「沖縄の人は暴力的」と誤解されていた。

     上地さんは島の出身者で作る会で沖縄の伝統芸能のエイサーを始め、東京の友人を招いた。愚直に許しを請うた米兵の叔父や、叔父を受け入れた祖母の姿を思い出し、素顔の沖縄を伝えた。卒業後は東京で物産店の店長などを務め、約20年前に帰島した。

     「うみないび」の店主、仲間トヨ子さん(76)は都内で料理屋を始めて29年になる。ポーク卵は涼しい東京に合わせて油控えめのさっぱりした味にする。「何でも受け入れ、そしゃくして自分のものにする」。上地さんはしなやかさの中に沖縄らしさを見る。

     店のカレンダーには5月15日に「本土復帰記念の日」と記されていた。上地さんは仕事相手の男性の肩をたたき、笑った。「小難しい話はいいから沖縄に遊びにきてください。次は沖縄で会いましょう」【川上珠実】<イラスト 佐々木悟郎>

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