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加藤浩子の「街歩き、オペラ歩き」

「エレカジ」が似合うがおしゃれな音楽祭〜エクサンプロヴァンス音楽祭

2013年に観劇した「リゴレット」のカーテンコール

 ゴールデンウイークも過ぎ、緑が濃くなってきた。梅雨が終われば夏はすぐ。音楽ファンにとっては、音楽祭の季節だ。

     夏の音楽祭の有名どころといえば、このコラムでもご紹介したザルツブルク音楽祭やヴェローナ音楽祭、そしてワーグナー作品だけを上演するバイロイト音楽祭などだろうけれど、筆者がこれまで訪れたなかでもっとも印象的なもののひとつは、南仏のエクサンプロヴァンスで開催されるエクサンプロヴァンス音楽祭である。環境も内容も雰囲気もここでしか味わえない、体験できないと痛感させられた音楽祭だったからだ。

    ミラボー通りにはためく音楽祭ののぼり

     もちろんどの音楽祭にも、ここならでは、という個性はある。逆にそれがなければ、音楽祭として認知され、人気を集めるのは難しい。けれどエクサンプロヴァンス〜地元では「エクス」と呼ばれる。以下本稿でも「エクス」と表記〜という場所は、街の雰囲気、歴史、芸術とのかかわり、音楽祭の会場の多彩さ、音楽祭のコンセプト、取り上げられる演目、そして観客の雰囲気まで、なにもかもが個性的なのだ。南仏プロヴァンスだから「食」が充実しているのはいうまでもないし、周辺はアルルやアヴィニョンといった世界的に有名な観光地だらけだから、長く滞在しても楽しめる。実際、バカンスをかねて2、3週間滞在する欧米人も少なくない。

    エクスの街角に湧く泉では、犬も水浴び

     エクスの魅力は、まず街にある。ローマ帝国時代にさかのぼる歴史を持つ街は、泉が湧く街〜「エクス」という呼び名はもともとラテン語の「水=aqua」に由来する〜として古くから知られていた。街の中心を貫くミラボー通りのどん詰まりには大噴水ロトンドが水しぶきを噴き上げ、旧市街のあちこちには、こけむしていたり彫刻を施されたりしている泉が涼やかな音をたて、からりとしたエクスの空気を忘れさせてくれる。

    ミラボー通りに建つ、セザンヌも通った歴史あるカフェ「ドゥ・ギャルソン」

     並木が涼やかなミラボー通りにはカフェのひさしがずらりと並ぶが、なかにはセザンヌが常連だったというカフェもある。実はセザンヌはここエクスの出身で、町外れには彼のアトリエが残っている。エクスの郊外にそびえるサント・ヴィクトワール山はセザンヌが好んで描いた山だが、アトリエの近くにはセザンヌがサント・ヴィクトワール山をスケッチしていた高台があって、ちょっと富士山にも似たこの山を、セザンヌが見ていたのとおなじ視線で見ることができる。ぐるりに花が植えられ、テラスのように整備された高台には、フェスティバルが開かれる7月ともなれば、エクスの街の大噴水の水しぶきのように、白く強烈な南仏の日差しがあふれかえる。

    大司教館劇場の内部、休憩中の風景

     フランスならではのバカンスの過ごし方を垣間見られるのも、エクスを訪れる楽しみだ。もともと夏のリゾートとして有名なところなので、しゃれたホテルやレストランが多い(ちなみに筆者のお気に入りは「セザンヌ」というブティックホテル)。そして音楽祭を訪れるひとたちのファッションがまたいかにもフランス、なのだ。ザルツブルク音楽祭のように正装しているわけでもなく、ヴェローナ音楽祭のようにポロシャツの観光客から社交界風のスパンコールドレスまでが混在しているわけでもなく、カジュアル(つまりネクタイやロングドレスとは無縁)だけれどおしゃれ、いわゆる「エレカジ」なスタイルが主流なのである。銅色にやけた肌によく似合うしゃれたプリントのシャツに白いズボンを合わせた男性、これもよくやけた胸もとにブロンドの髪を波打たせ、サマードレスに華奢(きゃしゃ)なサンダルでアクセントをつけた女性……。マイペースにおしゃれを楽しむフランス人の心意気が伝わってくる(ちなみにほとんどのヨーロッパ女性にとって「美白」は別世界の出来事だ)。オペラがはねた深夜、会場わきのビストロでそんな彼らを眺めながらよく冷えたプロヴァンスのロゼワインで喉を潤すのは、エクスに来る醍醐味(だいごみ)である。

    大司教館劇場の内部、開演前の風景

     屋外から教会、歴史的な建造物まで会場がさまざまなのもエクスならではだ。オペラのメイン会場は二つ。かつての大司教館の中庭に設置される野外劇場と、2007年に完成したばかりの屋内劇場「プロヴァンス大劇場」である。大司教館劇場は野外といっても古代遺跡を使うような大規模なものとは違い、ほぼ正方形の中庭が木造の席でぎっしり埋まっていて、舞台との距離も近い。日没が遅いので開演は9時以降と遅く、冷え込む夜半の対策として、ホワイエには貸し出し用の毛布が山と積まれている。プロヴァンス大劇場も、「大」とはいいながら1300席ほどの中規模の劇場なので、空間としてはとても贅沢(ぜいたく)だ。

    プロヴァンス大劇場

     エクスの音楽祭は、プログラミングもとても「フランス」らしい。そもそもフランスのオペラハウスで好まれるレパートリーは、日本やイタリア、アメリカなどとはかなり違う。日本では、モーツァルトは別にしてもっぱらイタリア、ドイツの19世紀から20世紀前半のオペラばかりが上演されているが、フランスではそれに加えてお国ものであるフランス・オペラやロシア・東欧のオペラ、そしてバロック・オペラや、世界初演の委嘱作品を含む現代ものがよくとりあげられるのだ。

     とりわけバロック・オペラは最近でこそ世界中でブームになっているが、フランスは重要な発信元になった国のひとつだった。1980年代に、アメリカからフランスに移住したウィリアム・クリスティという指揮者によってリュリやラモーといったフランスのバロック時代のオペラが復活し、世界に波及したのである。フランスのメジャーなオペラハウスでは、毎シーズン必ずといっていいほどバロック・オペラが上演されているし、ブルゴーニュ地方の中心都市であるボーヌでは、バロック音楽専門の有名な音楽祭も開かれている。この方面を得意とする歌手や指揮者といった人材も豊富だ。

    大司教館劇場の入り口。開演前

     エクスではそんな事情を反映して、やはり1980年代からバロック・オペラ、そして現代オペラが盛んになった。今の音楽祭の三本柱は、バロック、現代もの、そしてモーツァルト。時にベルリン・フィルによるワーグナーの「ニーベルングの指環」が上演されるなどということもあるが、毎年のプログラムにこの三本柱が欠けることはまずない。

    2013年に観劇した「ドン・ジョヴァンニ」のカーテンコール

     筆者のエクス初体験(2008年)もこの三本柱だったが、なかでも印象に残ったのがバロックものであるヘンデルの「ベルシャザール」である。オペラというより旧約聖書を題材にしたオラトリオだが、この時は舞台付きでオペラのように上演された。カウンターテノールから出発して、今は現代を代表する古楽の指揮者として活躍しているルネ・ヤーコプスの指揮のもと、壮麗で圧倒的なバロックの響きとダイナミックな演出に息をのんだ。

     その後何度か訪れたが、09年にはサイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルによる「神々の黄昏」を観劇する機会にも恵まれた。赤い木目の美しいプロヴァンス大劇場に満ち満ちたベルリン・フィルのワーグナー・サウンドは、轟音(ごうおん)をあげて疾走するスポーツカーに乗っているような体験だった。

     けれどエクスで体験したオペラのなかでいちばん印象に残っているのは、日本が誇るマエストロ大野和士が指揮し、「シルク・ドゥ・ソレイユ」の演出で有名なロベール・ルパージュが演出したストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」(10年)と、フランスが生んだ不世出の歌姫、ナタリー・デセイが主役を歌った「椿姫」(11年)である。

    大司教館劇場のオーケストラピット

     プロヴァンス大劇場で観劇した「夜鳴きうぐいす」は、オーケストラと歌手は舞台に乗り、オーケストラピットに水をはって、ヴェトナムの水上人形劇に見立てて作品世界を表現したルパージュ演出に魅了された。音楽も素晴らしく、歌手も、今やロシアの若手ソプラノの代表格として人気絶大のオルガ・ペレチャッコら粒ぞろい。とにかく何もかもがファンタスティックで、これこそ「総合芸術」と呼ぶにふさわしいオペラ上演だと思わされた。大野和士の指揮ではショスタコーヴィチの「鼻」も観劇したが(11年)、こちらもドローイングを駆使したウィリアム・ケントリッジの演出が話題になった、今のオペラ界を象徴する旬のプロダクションだった。

     一方、大司教館劇場で見た「椿姫」は、何と言ってもデセイの演唱に尽きた公演だった。リリカルで、ピュアで、はかない、けれど技術的にはきわめて高度なものをもつ声と、歌う女優という形容がぴったりの演技力(デセイは当初女優志望だった)をあわせもったデセイは、彼女のために作られたシュヴァディエの演出で、年齢の足音におびえるショービジネス界の女性(マリリン・モンロー風!)という設定を、共感と悲しみをもって演じきった。病気で息をひきとるラストで、スリップ1枚になったデセイが、南仏の夜風に吹かれながらオーケストラピットの縁のぎりぎりまで歩みより、あわやピットに落ちるか!という瀬戸際で舞台に倒れこんだ瞬間の強烈だったこと!

    デセイはそれから数年の後にオペラの舞台から引退したが、筆者にとってはあの一夜だけでも「永遠のプリマ」に値する存在となって、心のなかで輝き続けている。

     今年のプログラムには、モーツアルト・オペラでは「魔笛」、バロック・オペラとしてはパーセルの「ディドとエネアス」、世界初演となるアダメクの「七つの石」、そして大野和士マエストロが指揮を執るプロコフィエフ「炎の天使」などが並ぶ。どれもエクスらしい演目で、出演者も含めてとても魅力的なラインアップだ。

     ああ、書いているうちに、行きたくてうずうずしてきてしまった。南仏エクス、ほんとうに罪作りな?音楽祭です。

    音楽祭公式サイト

    https://festival-aix.com/fr

    筆者プロフィル

     加藤 浩子(かとう・ひろこ) 音楽物書き。慶応義塾大学、同大学院修了(音楽学専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学留学。バッハとイタリア・オペラをテーマに、執筆、講演、オペラ&音楽ツアーの企画同行など多彩に活動。著書に「今夜はオペラ!」「ようこそオペラ!」「オペラ 愛の名曲20選+4」「名曲を生みだした女性たち クラシック 愛の名曲20選」「モーツァルト 愛の名曲20選」(春秋社)、「バッハへの旅」「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」(東京書籍)、「人生の午後に生きがいを奏でる家」「さわりで覚えるオペラの名曲20選」「さわりで覚えるバッハの名曲25選」(中経出版)、「ヴェルディ」「オペラでわかるヨーロッパ史」(平凡社新書)他共著多数。最新刊は「カラー版 音楽で楽しむ名画 フェルメールからシャガールまで」(平凡社新書)。

    公式HP http://www.casa-hiroko.com/

    ブログ「加藤浩子のLa bella vita(美しき人生)」

    http://plaza.rakuten.co.jp/casahiroko/

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