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西城秀樹さん死去

歌唱力と大衆性両立 63歳

 「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」などのヒット曲で一時代を築いた歌手の西城秀樹(さいじょう・ひでき、本名・木本龍雄=きもと・たつお)さんが16日、急性心不全のため死去した。63歳。通夜は25日午後6時、葬儀は26日午前11時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻美紀(みき)さん。

     1955年、広島市生まれ。72年、「恋する季節」でデビュー。郷ひろみさん、野口五郎さんと共に「新御三家」として、70年代の歌謡シーンを席巻した。

     アイドル歌謡にとどまらず、「情熱の嵐」「薔薇(ばら)の鎖」「YOUNG MAN」のようなダンス付きのアクション歌謡や「傷だらけのローラ」のような詞を絶叫するシャウト歌謡、「抱きしめてジルバ」「腕の中へ」といった洋楽カバーなど、歌謡界に多彩な道筋を示し、歌唱力と大衆性を両立させるアーティスト像を昭和歌謡界に確立させた。

     また、テレビドラマ「寺内貫太郎一家」(74~75年)や映画「愛と誠」(74年)などで俳優としても活躍。出演したカレーのCMでは「ヒデキ、感激!!」のキャッチコピーが話題を呼んだ。また、香港やシンガポールなどアジアでも大きな人気を得た。

     2003年と11年に2度にわたり脳梗塞(こうそく)を発症し、言葉がうまく発せられなくなるなどの後遺症と闘い、闘病記も出版。リハビリを続けながらステージに立ち続けた。今年4月にもステージに立ったが、同25日に自宅で倒れて入院し、帰らぬ人となった。


     ■評伝

    ポップス歌謡の先駆者

     「昭和歌謡」という言葉はいくつかの相を持っている。一つは文字通り、昭和時代の大衆歌謡。もう一つは戦後日本を元気づけた演歌歌謡曲。そして、1970~80年代のテレビやカラオケ文化を背景に、アイドル、バンド、演歌などが入り乱れ百花繚乱(りょうらん)の時代を迎えたポップス歌謡。西城秀樹さんは、このJポップの原形ともいえる、ポップス歌謡を形作った先駆者だった。

     そもそも、西城さんは父からジャズを、兄からロックを学んだ洋楽少年。体に染み付いていたのは、バンド演奏に行った山口・岩国基地で経験した先進のヒット音楽。デビューしても、洋楽の格好良さを自分のスタイルにどんどん取り入れた。振りを付ける▽コール&レスポンス(曲間の掛け合い)を入れる▽振り回せるマイクスタンドを導入する▽英米ロックのシャウトとバラードを日本語の歌唱に取り入れる▽音楽に合う強烈で美的な衣装を着る--。どれもが、それまで存在しなかった、斬新な男性歌手のスタイルだった。

     阿久悠、三木たかしを代表とする歌謡界のヒットメーカーもそんな「ヒデキ」のために、最先端の曲を書いた。

     2003年の脳梗塞(こうそく)発症以降、厳しいリハビリの日々を送っていたが、それはいつまでも、“美的で先進”を追い続けていたからに相違ない。【川崎浩】

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