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不知火のほとりで

石牟礼道子の世界/68 創造

 <日曜カルチャー>

    怨嗟と憤怒を超えて

     東京都千代田区の有楽町マリオンはビル群の中にあった。花を一輪、胸に抱いた人たちが列をつくっている。水俣フォーラム主催の「石牟礼道子さんを送る」は4月15日に開かれた。2月10日に90歳で死去した石牟礼道子さんのお別れの会である。

     私は飛行機で福岡から来たのだ。正直、石牟礼さんが亡くなるとは思っていなかった。状態はかんばしくなくとも、今度も持ち直すと思っていた。ホール正面に塩田武史さん撮影の道子さんの大きな写真がある。1000人収容のホールは満席。この壇上で自分が話をすると思っただけで気が遠くなりそうだ。

     与えられた時間は10分である。漁師の緒方正人さん(思想的同伴者)、批評家の若松英輔さん(石牟礼論を刷新)、明大学長の土屋恵一郎さん(新作能「不知火」をプロデュース)ら10人の登壇者には話の役割分担がある。ここ数年、道子さんの密着取材と渾身(こんしん)介護をした私は「晩年に身近にいた」ということで呼ばれている。「天然」だった道子さんは逸話にこと欠かないが、エピソードの紹介だけでは「話に芯がない」印象を与えてしまわないか。

     私が最後の登壇者、「トリ」ということでいやがおうにも緊張が高まる。道子さんの『苦海浄土』に触れて法大総長の田中優子さんが「天竺(てんじく)まで広がる空の下で、一日中漁をする前近代の豊かさが描かれていた」と話すのを聞いて、ふっと楽になった。道子さんは効率優先、利益至上の近代主義に最期まであらがったのだ。その仕事の巨大さを思えば、10分の講演に何を臆することがあろう。

     壇上に行く。最前列で道子さんの一人息子の道生さんが心配そうに私を見ている。司会の実川悠太さん(水俣フォーラム理事長)も舞台のソデで気が気でなさそうだ。その実川さんの顔を見て、頻繁に道子さんを訪ねてくる実川さんを、介護施設の職員やリハビリ病院の看護師らが「石牟礼さんの息子?」と言っていたことを思い出した。私もよく「あなたは息子さん?」と聞かれたのだった。

     「私も、司会の実川さんも、ごらんのように顔が似ていない。“きょうだいなのに似ていないね”とよく言われたものです。看護師さんらは、“お父さんが違うのだろうか”と不思議がっていました」と経験をありのまましゃべった。会場から笑いが起きた。好意的、と感じた。道子さんと面識があった筑豊の炭鉱絵師、山本作兵衛が好んだ「ゴットン節」が不意に頭に浮かぶ。ゴットンというはやし言葉を私は励ましの声と受け取った。ゴットン、ゴットン……。力を得た私は、「石牟礼さんの重大な局面では必ず同伴者が現れます」と声を張り上げた。

     石牟礼さんの同伴者を時系列で並べてみる。

     (1)道子19歳=代用教員の指導教官徳永康起

     (2)27歳=歌誌『南風』での好敵手であり恋愛の相手でもあった志賀狂太

     (3)31歳=「サークル村」のメンバーで「聞き書き」の先駆者森崎和江

     (4)38歳=「海と空のあいだに」(『苦海浄土』初稿)の担当編集者渡辺京二

     (5)39歳=「女性史」の先覚者高群逸枝の夫で編集者橋本憲三

     (6)41歳=『苦海浄土』出版に尽力した上野英信

     (7)42歳=水俣病闘争の共闘者渡辺京二

     慈愛に満ちた両親(ハルノ、亀太郎)に育てられたのに、道子は「この世はいやだ、この世はいやだ」と始終悶(もだ)える子だった。優等生として過ごしつつ、周囲の人たちへの違和感、嫌悪感を持て余していた。10代の道子のノートは世間への呪詛(じゅそ)に満ちる。成人後も、「この世からずれている」という思いから逃れられない。

     私のいう「同伴者」とは、怨嗟(えんさ)や憤怒に満ちた天然ガスのような道子の情念を前向きな創造的エネルギーに変換し、この世での道筋をつくることができる人をいう。最初の同伴者となった徳永は文学者ではなく教師だったが、手紙のやり取りを好んだことから、懊悩(おうのう)する道子の絶好の文通相手となった。報告書の体裁をとった徳永への長めの手紙が「タデ子の記」という作品として残ることになる。

     最も大切な同伴者は渡辺京二さんだ。『苦海浄土』以後、半世紀余り、影響を与え合って共に歩む。際限なく書き直す道子さんの原稿の清書をするのは、大変な忍耐が要っただろうが、仕事の意義を思えば苦にはならなかったのだろう。

     「もう二度とここには来ないぞ」とけんか別れすることもある。渡辺さんが家に帰りつく頃、石牟礼さんは「先ほどはすみませんでした。あなたがいないと私は生きていけません」と電話をかける。渡辺さんは「また明日、行きますからね」と応じて一件落着。私はいつも名優の舞台を最前列で見ているような気がしていた。

     以上のような趣旨の話を、随時脱線しながら(道子さんの影響なのか枝から枝にそれる)、私は進めた。ゴットン、ゴットン……。時折起こる、地響きのような笑いが私の背を押す。終わって頭を下げる。ひときわ大きなゴットン、ゴットン、ゴットン……。

     道子さんの写真を見上げる。「あら、まあ、不器用なあなたが」と言うときの、ちょっとおすましの顔の道子さんが、ねぎらいとからかいを含んだ目で私を見たような気がした。【米本浩二】=随時掲載

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