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親ありて

サッカー日本代表・槙野智章さんの父母 槙野成伸さん、令子さん/下 努力実り夢の舞台、誇らしく

 サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会のメンバー入りを目指す選手にとって、運命の日が訪れた。5月31日の記者会見で、西野朗監督(63)は代表メンバーを読み上げた。守備の中心で、明るい性格からチームのムードメーカー役も担う槙野智章選手(31)=浦和レッズ=の名前が呼ばれないはずはない。それでも、W杯出場を夢見てきた息子の思いを知る父成伸さん(61)と母令子さん(59)は落ち着かなかった。そして、無事に代表入りが決まると胸をなで下ろした。

     中学生で地元・サンフレッチェ広島ジュニアユースに入団した槙野選手は、ストライカーからディフェンダーに転向。高校生がプレーするユースへの昇格が決定すると、広島市内の親元を離れ、ユースが拠点を置く広島県安芸高田市で寮生活を送ることになった。中学3年の3学期、家から送り出した令子さんは「すごく寂しかった。きちんとやっているのだろうかって、ふとしたときに思い出して涙が止まらなかった」。

     そんな親の心配をよそに、槙野選手は寮の部屋をきれいに保ち、勉強も手を抜かずまじめに取り組んだ。サッカーの練習に力を入れ、高校3年時には主将としてチームを引っ張った。期待に応えて広島でプロとなり、保育園の卒園文集に記した「サッカー選手」の夢をかなえた。

     だが、プロの世界は甘くない。2011年、槙野選手は広島からドイツ1部リーグの1FCケルンに移籍したが、体格で上回る海外選手との競争に勝てず、試合に出る機会に恵まれていなかった。この頃の槙野選手の目標は「日本代表への定着」。代表監督は海外でプレーする選手を重用するため、日本に戻りたくはなかった。だが、ドイツでオファーがあるのは2部リーグのチームのみで、代表入りのアピールは難しい--。悩む槙野選手は毎日のように令子さんに電話し、身の振り方を相談した。

     息子が試合に出て大好きなサッカーをする姿は見たい。しかし、それ以上に、話し好きでいつも明るい息子が苦しんでいるのがつらかった。ある日、令子さんはこう告げた。「もう日本に帰っておいでよ。代表にこだわらなくてもいい。試合に出られるクラブがいいと思う。チームで頑張って、縁があったら、また代表に呼ばれるから」

     試練は続く。広島時代の恩師、ミハイロ・ペトロビッチ監督(現北海道コンサドーレ札幌監督)が率いる浦和に移籍後、主力として活躍したがW杯代表への道のりは遠く、10年南アフリカ大会に続き14年ブラジル大会も選から漏れた。「(悔しい気持ちは)あったかもしれないけど、表に出してはいなかった」と成伸さんは振り返る。一番ショックなのは本人だとわかっていた。

     それから約4年。毎年、母の日に花を贈っている槙野選手は、今年も令子さんに「自分のサッカー人生で母なくしてここまで来ることはできなかった。これからも迷惑をかけつつ、元気いっぱいの姿を見せたい」と感謝の気持ちを語った。成伸さんは「父の日には何もないんです」と笑うが、今年は違う。「(代表入りを逃した)この8年間、非常に苦しい時間を過ごしてきた」という息子がW杯で戦う姿が、最高のプレゼントだ。

     広島ユース時代、槙野選手は1枚の紙に「俺は日本代表になる」と記した。今も実家の部屋に飾られているその紙を見て、帰省するたびに自らを奮い立たせてきた。そして、小学校の卒業文集に書いた夢「2010年ワールドカップ」には、8年遅れでたどり着いた。幼い頃から努力を重ね、一つずつ夢をかなえてきた息子を2人は誇らしく感じている。【福田智沙】

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