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沖縄戦73年/下 島守の壕、演劇に 生きること説いた知事

 那覇市の世界遺産・首里城から南に約1キロ。墓地を進んだ先にその壕(ごう)はある。中には戦時中に使われたとみられる割れた皿などが今も残る。「知事はそこにいました」。地元の繁多川(はんたがわ)公民館の南信乃介館長(36)が指したのは、73年前の沖縄戦時にこの壕で執務にあたった当時の沖縄県知事、島田叡(あきら)氏の「部屋」だ。

     「県庁・警察部壕」と呼ばれる壕では、凄惨(せいさん)を極めた沖縄戦で島田知事や荒井退造県警察部長ら多くの職員が一時、戦時行政にあたった。「鉄の暴風」と評された米軍の激しい攻撃の中、知事や市町村長、警察署長が緊急会議を開き、食料増産などが話し合われた。

     そんな歴史的な壕も戦後は長く放置されていた。沖縄戦で両親ら家族3人を失った郷土史家の知念堅亀(けんき)さん(84)が、親戚から「遺族がお参りをしたがっている」と聞いたことを機に探し歩き、1995年に場所を特定。しかしその後も住民にとっては忘れられた存在だった。2006年から公民館勤務となった南さんは、沖縄大と連携して地上戦を体験した住民らから聞き取りを進めたことで、地域にある壕に関心を抱いた。「原付きバイクなどのゴミが捨てられていたが、沖縄戦を伝える貴重な場所。放っておけなかった」。知念さんに教えを受けながら、清掃や聞き取り調査などにさらに取り組んだ。

     壕の入り口のカギを公民館で管理していたため、遺族らを案内するのも南さんらの役割だった。「ここの小石を持ち帰ってよいですか」。戦後何十年がたっても遺骨が見つかっていない家族を捜す人たち。遺族らの思いを垣間見る中で、沖縄戦の記憶を受け継いでいこうという気持ちは強くなっていった。

     「県民を守るために職務を果たそうとした2人の歴史を伝える壕をどう伝えていくか」。思いついたのが物語として舞台化することだった。大学時代からの演劇活動の経験を生かして実現に奔走。地元の中高生も役者などに起用し、今年3月の那覇市の公演には2日間で延べ600人が詰めかけた。

     73年前。「県庁・警察部壕」を出て沖縄本島南部へと撤退した島田氏らは、最後の激戦地となった摩文仁(糸満市)付近で6月26日に消息を絶ったとされる。周囲に最後まで生きることを説いた島田氏らは「沖縄の島守」として今も慕われるが、日本軍の命令に逆らえずに多くの県民の命を救えなかったという現実もある。「その悲しみも踏まえたうえで沖縄戦の歴史を伝える劇でなくてはいけない」。南さんは語る。

     既に島田氏の出身地の兵庫県や荒井氏の出身地の栃木県での公演実現に向けても準備が進む。「壕の歴史を伝え続けてほしい」。南さんらの活動を温かく見守る知念さん。沖縄戦の歴史を次世代につなぐため、新たな物語が島を超えて広がろうとしている。(この連載は遠藤孝康、佐野格が担当しました)

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