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加藤浩子の「街歩き、オペラ歩き」

「ご当地オペラ」にとどまらない熱狂〜ローマ歌劇場

ローマ歌劇場の正面

 オペラの母国イタリアの首都、ローマ。「永遠の都」とうたわれる通り、3000年近い歴史を誇る古都だ。街なかにはローマ帝国時代の遺跡から、ルネサンス、バロック、19世紀に至る豪壮華麗な建築がひしめく。足を進めるごとに景色が移り変わり、さまざまな時代にタイムスリップできる、他に類のない街である。

    ローマ歌劇場の内部
    フレスコ画が描かれたローマ歌劇場のクーポラ(丸天井)

     そんなローマのオペラハウスはさぞ豪華絢爛(けんらん)だろうと想像してしまうと、ちょっと予想を裏切られるかもしれない。テルミニ駅のほど近くに建つローマ歌劇場(正式名称はローマ・オペラ座Teatro dell’opera di Roma。本稿では日本での呼び名に従って「ローマ歌劇場」と表記する)は、ちょっと見は役所のようで、言われなければ見過ごしてしまいそうな簡素な建物だ。だが劇場内部は外見から想像されるよりはるかに広く、きらびやか。イタリアの伝統的なオペラハウスの定番である馬てい形をした劇場は、やはり伝統的なオペラハウスの色彩である赤と金に彩られており、壁紙や座席の赤と、柱や欄干の金の対比はまぶしいばかり。フレスコ画の描かれたクーポラ(丸天井)はとりわけ印象的だ。王冠をいただいたロイヤルボックスを囲むように3層のボックス席が重なり、その上に2階建ての天井桟敷が設けられている。収容人員は1600と、観劇にはちょうどいい規模の劇場である。

    ローマ歌劇場のホワイエ。オペラの衣装を着たマネキンが飾られている

     とはいえ、たとえばミラノのスカラ座に比べて、首都ローマのオペラハウスにしてはちょっと地味だと感じる方は少なくないだろう。ホワイエも官庁のロビーのようにそっけなく、よく磨かれた大理石の床が、多少のフォーマル感を漂わせているくらいだ。劇場のバールに、イタリアの美空ひばり的な存在である大テノール、ルチアーノ・パヴァロッティの名前がつけられているのはご愛嬌(あいきょう)だけれど。

     ローマ歌劇場に来た時の筆者の楽しみは、劇場の向かいにあるレストラン「ラ・マトリチャーナ」。肩肘張らない、けれど20世紀のイタリア映画に出てくるような心地のいい雰囲気のなかで、伝統的なローマ料理が楽しめる。ちなみに「マトリチャーナ」とは、ローマ名物の辛いトマトソース「アマトリチャーナ」のローマ方言。たっぷりのペコリーノチーズを振りかけたアマトリチャーナ・スパゲティを前に、家族連れやビジネスマンが醸し出すにぎわいの間を、白い制服に蝶(ちょう)ネクタイのカメリエーレが行き来する風景に身を浸していると、「ローマに来た」と実感できる。

    ローマ歌劇場正面の夜景

     実はローマ歌劇場は、私設の劇場としてスタートした。創設者は建築業者のドメニコ・コスタンツィで、そのため今でも「コスタンツィ劇場」と呼ばれることがある。開場は1880年、演目はロッシーニの大作「セミラーミデ」だった。その後1926年には経営がローマ市に移管され、当時のイタリア王国時代には王室歌劇場、そして第二次世界大戦で王国が共和国に変わってからはローマ歌劇場となって、現在に至っている。

    「トスカ」第1幕の舞台、聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会

     だがこの劇場の名前が一躍知られるようになったのは、1890年に初演されたマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」と、1900年初演されたプッチーニの「トスカ」が劇的な大成功を収めたことである。シチリア島の寒村で起きた情痴事件を題材にした「カヴァレリア」は、以前はオペラの主人公になるなどおよそ考えられなかった馬車屋や兵役帰りの青年、村娘といった下層階級のひとびとのあられもない愛憎を甘い音楽で飾って爆発的な人気を呼び、初演よりちょうど100年前のローマを舞台にした歴史サスペンスドラマ「トスカ」は、映画のように精密で緊張感に富んだストーリーと劇的かつ美しい音楽で、これまた瞬く間に人気オペラの座を獲得した。

    「トスカ」第3幕の舞台、聖アンジェロ城

     とりわけ「トスカ」は、劇中のすべての場所〜第1幕の聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会、第2幕のファルネーゼ宮殿、第3幕の聖アンジェロ城〜が今なおローマに現存し、フランス大使館になっているファルネーゼ宮殿以外は観光名所としてにぎわっているため、ご当地オペラとして絶大な人気を誇っている。ローマ歌劇場で「トスカ」といえば、成功は約束されたも同然だというのである。「正直言ってすごく高い水準の舞台ではなかったけれど、客席の熱狂がすごくて圧倒された」と、複数のオペラ好きの知人から聞いた覚えがある。ローマを訪れるオペラファンの間では、「トスカ」ゆかりの地めぐりも人気だ。

    バチカンの聖ピエトロ寺院

     筆者は残念ながら現地で「トスカ」を観劇した経験はないのだが、「熱狂」に出くわした経験ならある。名指揮者リッカルド・ムーティが、「終身名誉指揮者」というタイトルのもとで実質的な音楽監督を務めていた時に体験した、いくつかのヴェルディ・オペラである。2012年11月の「シモン・ボッカネグラ」、13年7月の「ナブッコ」、同年12月の「エルナーニ」……それまでは正直、活気のない、寂れた劇場という印象だったローマ歌劇場が、別の劇場のように活気にあふれ、熱気が渦巻く劇場に様変わりしていたのだ。劇場は、指揮者によってここまで変わる。それを身をもって体験したのだった。

    ローマ歌劇場客席の様子

     ローマ歌劇場は20世紀半ばに、マリア・カラスやマリオ・デル・モナコといった当時の一流歌手たちが常連だった黄金時代を経験している。カラスが「ノルマ」を歌っている最中に声が出なくなって降板し、大スキャンダルとなった有名なエピソードを残したのも、ここローマ歌劇場だった。また、1950年代から70年代にかけてNHKが主催し、イタリアの第一線の歌手たちを招聘(しょうへい)し、日本のオペラファンに初めて「本場の声」を届けたことで、日本のオペラ受容史の黒船となった「イタリア歌劇団」の公演において、イタリア側で重要な役割を果たしたのはローマ歌劇場だった。テバルディ、デル・モナコ、シミオナートといった当時のオペラ界の大スターが呼べたのは、ローマ歌劇場の協力があったからである。

     それほど力のあったローマ歌劇場だが、20世紀の末から21世紀のはじめにかけては、財政難もあって停滞が続いた。ムーティの登場は、ローマのオペラファンにとって、待ってました!という感じだったに違いない。

    「ナブッコ」のカーテンコール

     とりわけ、2013年の夏に観劇した「ナブッコ」は感動的だった。それより2年前の11年に、イタリア統一150周年を記念して制作されたプロダクションの再演だったのだが、「イタリア人」としての誇りを人一倍強く持っているマエストロが、19世紀半ばの祖国統一運動(リソルジメント)で重要な役割を果たしたとされる(ただし現在では異論が優勢)「ナブッコ」を、圧倒的な情熱と確信をもって奏でたのには敬服した。若手中心の歌手たちも、ムーティの指揮のもとで全力投球していることが伝わってきたし、合唱の荘厳さは鳥肌もの。終曲の大合唱「偉大なるエホバ」では、天地が一体となったかのような音楽が劇場を埋め尽くした。舞台と客席が一体となって呼吸し、固唾(かたず)をのみ、割れるような熱狂が巻き起こるような公演に出くわすと、劇場は生き物だと思うことがあるが、この夜はまさにそれを体験したまれな一夜となった。終演後、オペラ仲間と傾けたワインのおいしさは忘れられない。

     残念ながらムーティは、さまざまな事情からローマ歌劇場での活動から退いた(終身名誉指揮者のタイトルはそのままである)。けれど彼のもとで引き上げられた水準は今でも保たれ、旬の歌手や指揮者が絶えず出演しているし、あまり上演されないマイナーなオペラを積極的に取り上げるなど、新しい試みにも熱心だ。

    夜のトレヴィの泉

     ローマ歌劇場はこの秋、4年ぶりに来日する。演目は「椿姫」「マノン・レスコー」という、イタリア・オペラを代表する人気作。残念ながらムーティは同行しないが、愛嬢であるキアラ・ムーティが「マノン・レスコー」の演出を、名匠フランシス・コッポラのこれも愛嬢で、父同様、映画監督として活躍するソフィア・コッポラが「椿姫」の演出を担当するなど、話題豊富な公演だ。ソフィアはオペラの演出は初めてだというが、かつて父が監督した「ゴッドファーザー・パート3」で、ローマ歌劇場ゆかりのオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」のクライマックスとともに絶命する役柄を演じている。演じる側から演出する側へ転じた彼女のダイナミックな舞台は、この秋の見ものである。

     劇場ゆかりの演目「トスカ」は、来月、新国立劇場とびわ湖ホールの共催で上演がある。イタリア人アントネッロ・マダウ・ディアツの演出は、作品に登場するローマの名所に忠実な、重厚で華麗な大道具が楽しめる。こういうオペラが見たかった、という満足感が得られる舞台だ。

    劇場公式サイト

    https://www.operaroma.it

     

    来日公演の詳細はこちら

    https://www.nbs.or.jp/stages/2018/roma/index.html 

    新国立劇場「トスカ」の詳細はこちら

    http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/9_009645.html

    びわ湖ホール「トスカ」の詳細はこちら

    https://www.biwako-hall.or.jp/performance/2017/12/01/1-7.html

    筆者プロフィル

     加藤 浩子(かとう・ひろこ) 音楽物書き。慶応義塾大学、同大学院修了(音楽学専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学留学。バッハとイタリア・オペラをテーマに、執筆、講演、オペラ&音楽ツアーの企画同行など多彩に活動。著書に「今夜はオペラ!」「ようこそオペラ!」「オペラ 愛の名曲20選+4」「名曲を生みだした女性たち クラシック 愛の名曲20選」「モーツァルト 愛の名曲20選」(春秋社)、「バッハへの旅」「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」(東京書籍)、「人生の午後に生きがいを奏でる家」「さわりで覚えるオペラの名曲20選」「さわりで覚えるバッハの名曲25選」(中経出版)、「ヴェルディ」「オペラでわかるヨーロッパ史」「音楽で楽しむ名画」(平凡社新書)。最新刊は「バッハ」(平凡社新書)。

    公式HP http://www.casa-hiroko.com/

    ブログ「加藤浩子のLa bella vita(美しき人生)」

    http://plaza.rakuten.co.jp/casahiroko/

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