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埼玉県立熊谷高/6 「自主自立」今も糧に 入江悠さん /東京

 ◆映画監督・入江悠さん=1997年度卒

     入江悠さん(38)=1997年度卒=は、埼玉の田舎町で生きる若者の青春を描いた映画「SRサイタマノラッパー」シリーズで知られる気鋭の若手映画監督です。埼玉県立熊谷高校時代は、剣道に打ち込み、厳しい練習の中で「自主自立」の精神を学びました。「熊高に行っていなければ映画監督になっていなかった」と語り、作品にも高校時代の思い出が反映されているそうです。【大平明日香】

     高校時代は剣道に打ち込みました。1年上に、中学で全国優勝したことがある先輩がいて、インターハイ出場を目指していました。先輩についていくのが大変で、練習がきつく、稽古(けいこ)が終わると体が痛くて階段も上がれません。毎日「やめたい」と思っていたし、あれだけ人生でつらいことはないだろうと思います。その先輩が部長となり、僕が2年の時に熊高は初めて、個人・団体戦でインターハイに出場しました。僕は試合には出られず、応援でした。

     ただ、熊高は「自主自立」の気風があり、決してスパルタではありません。強い弱いで差別されず、自分は何を課題とし、どういうふうになりたいかを、おのおのが稽古で追求していくことが大切でした。「他人が決めるのではなく、自分で決める。結果は自分次第」。この精神は、いまだに僕の糧になっています。今はフリーランスなので時間をどう使うかは自由ですが、その責任は自分で負わなくてはなりません。

     中学の時から映画が好きで、映画監督になろうと思ったのは高校2年です。黒沢明さんなどの本を読むと映画監督は文学や音楽、絵画などいろいろなことが役に立つ業種だと分かり、生涯をかける仕事だと思いました。映画のためにも、哲学を学ぼうと国立大文学部を目指していました。しかし浪人時代は勉強せず、映画館やレンタルビデオで映画ばかり見ていました。夏の模試の結果が悪く、映画の道に直接飛び込もうと日大芸術学部に志望を変えました。大きな挫折でしたが、結果的には良かったのかもしれません。

     故郷の深谷市を舞台に「SRサイタマノラッパー」(2009年公開)を撮りました。熊谷の隣にある保守的な土地で、熊高に行ってなかったら映画監督になるという目標を持てず、違う道に進んだかもしれません。当時は「早く出て行きたい」と思っていました。でも、20代後半になり、やはり自分のルーツは深谷にあり、この街でもんもんと過ごした記憶を見つめ直そうと思ったのです。

     男子校だったことも映画に影響しています。僕の作品は男のバディー(相棒)ものが多く、男の友情や結束を描いています。思春期に女性の目を気にせずにのびのび過ごし、部活や友人関係で身についたものが反映されているのだと思います。ただ「恋愛ものを撮れ」と言われてもどきどき感が分かりません。

     上の代(先輩)に必死にしがみついていった分、剣道部の僕の代は結束力が強く、今でも年1回みんなで集まります。僕の映画も公開されたら見に来てくれます。いつか熊谷の街でも映画を撮ってみたいですね。

    文学の風吹く「質実の窓」

     質実の窓 若き日の 夏木立--。埼玉県立熊谷高校の正門脇にある句碑は、旧制熊谷中出身で、今年2月に98歳で亡くなった俳人、金子兜太さんが詠んだ。創立120周年を記念し、2015年10月に建てられた。「質実剛健」が校訓の熊中校舎の窓に、当時学校を囲むように広がっていた田園や森林の風景が浮かぶようだ。

     金子さんは満州事変翌年の1932年に入学。黒の学生服に憧れていたが、当時は国防色(薄緑色)だった。4年の時、2・26事件の発生を伝える校長が「半分泣いているような顔」だったとも述懐している。冒頭の句について「物には何とか不足しない世の中にはなったが、その分、気持ちがぜいたくになっている。戦中派の私はそれが気になって仕方がなく、気になる度に、この校訓を思い出す」と記している。

     旧制熊中には1901(明治34)年ごろ、田山花袋の小説「田舎教師」のモデルとなった小林秀三が生徒として、夏目漱石の「坊っちゃん」のモデル、弘中又一が教師としてそれぞれ在籍していた。弘中は前任地(松山市)で漱石の同僚で、小林と弘中が一緒に写る写真が今も残る。熊高同窓会は二つの有名小説のモデルが同時期に熊中にいたことを伝えるため、今年8月、校内に記念碑を建てる予定だ。=次回は18日に掲載


    卒業生「私の思い出」募集

     県立熊谷高卒業生のみなさんの「私の思い出」を募集します。300字程度で、学校生活や恩師、友人との思い出、またその後の人生に与えた影響などをお書きください。卒業年度、氏名、年齢、職業、住所、電話番号、あればメールアドレスを明記のうえ、〒100-8051、毎日新聞地方部首都圏版「母校」係(住所不要)へ。メールの場合はshuto@mainichi.co.jpへ。いただいた「思い出」は、紙面や毎日新聞ニュースサイトで紹介することがあります。


     ツイッター @mainichi_shuto

     フェイスブック 毎日新聞 首都圏版


     ■人物略歴

    いりえ・ゆう

     1979年神奈川県生まれ。3歳から埼玉県深谷市で育つ。2003年、日大芸術学部映画学科卒。09年の自主製作映画「SRサイタマノラッパー」が第50回日本映画監督協会新人賞など多数受賞。その後、SRシリーズの続編2作と深夜ドラマを製作。17年「22年目の告白-私が殺人犯です-」は3週連続で興行収入1位。同年に深谷市を舞台にした「ビジランテ」。今秋に「ギャングース」が公開予定。

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