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偉大過ぎる父・原博実を“利用”した先の使命。原大悟のドラ息子力

情報提供:アズリーナ

偉大過ぎる父を持ったことは幸か不幸か。サッカー日本代表歴代得点ランキング4位。解説者として、監督としても愛された原博実さんの息子として生まれた原大悟さんは、自分の才能を探し求め一度はサッカーを離れました。

 

しかし“才能”という呪縛から解き放たれ、自らの使命を見つけたとき、もう一度サッカーと向き合い、父親と同じ世界へ入ることを決めます。

 

競技者としての経歴も、アナウンサーとしての実績もない原大悟さんは、どのようにして実況という仕事と出会い、キャリアを積んできたのか。“原博実の息子”としてもがきながら、一個人・原大悟の生き方を見出すまでのお話を伺いました。

 

疑うことなく進んだサッカーの道

サッカーをやれと強制されたことは一度もありません。でも、サッカーをやらないという選択肢もなかった。サッカーをしていることが当たり前の人生でしたね。たとえば父が「小さい時にはこれくらいのことをやっていた」と言えば、自分も同じことをしなくてはと感じる。負けず嫌いだからというよりは、常に追われているような感覚に近いです。父に勝ちたい、でも勝てない、どうしよう、と。無意識に焦りながら、大学までサッカーを続けました。

 

今振り返ると、苦しい思い出も多いように感じますけど、なぜか根拠のない自信もありました。高校選抜にも入れないのに、大学入るまでプロになれると思っていたんです。そのくせ、入部にセレクションがない大学を選んで受験するという(笑)。プロになるつもりなのに、厳しい競争は避けていました。目標と行動が矛盾していますよね。

 

それでも高校3年間はサッカーに打ち込んだという自負もありました。だから、大学に入ればある程度はやれるだろうと思っていたんです。でも結果は4か月でリタイア。高校時代と同じくらい、もしくはそれ以上の時間をサッカーに費やしたとしても勝てないような選手たちが大学にはゴロゴロいました。なかでも仲の良かったやつが一人いて、そいつは大の練習嫌い。筋トレもさぼっているくせに、ピッチに入るとめちゃめちゃうまい。体のバランスも良いし、スピードもある。背はそんなに高くないのにヘディングもできて、もう反則だろって。俺と同じDFの選手でした。努力でどうにもならない、才能の差を見せつけられました。それまではどんなに試合に出られなくてもあがき続けていて、サッカーを辞めることなんて想像もしていなかった自分が、ふと冷静になった瞬間でした。俺が辞めたあと、そいつは2年目でレギュラーを獲っていましたね。

 

もしプロになれなかったら部活の監督になろうと思って、教員免許が取れる大学を選んだのに、サッカー部自体を辞めてしまった。ここで、自分の人生設計の前提が崩れたわけです。サッカーに才能がないとわかったので、別の才能を見つけなくてはと躍起になりました。そこでたどり着いたのがお笑いでした。当時M-1が流行っていたことも影響したんです友達を盛り上げることも好きだし、得意だと思っていたのでこれだな、と。そこからお笑いに懸けようと。中学時代の友達を誘ってコンビを結成して、M-1に出場し惨敗したのですが、それでも諦めずに養成所に入り、そこでまたコンビを組んで活動を始めました。

初めて父に背いて選んだ世界

お笑いの道を目指すことについて、父は反対しませんでした。でもサッカーを辞めると言ったときだけは、反対されました。原博実が僕の人生に口を出したのは、それが初めてです。僕が試合に出られていないのは多分知っていましたから、選手としてではなく指導者を目指してほしいという思いがあったようです。「ベンチの選手に救われたおかげで今がある」とか、「彼らとは今でも仲がいい」とか、僕を思いとどまらせようといろいろな話をしてきました。でもそれが余計イライラしましたね。それは試合に出ていたやつが言えることだと。僕は今までずっとベンチだった。もうその役回りはうんざりでした。それ以上、この話について父と話すことはありませんでした。それから1、2年経って、お笑いライブをやるようになるとよく見に来てくれましたね。ちゃんとチケットを買って見に来てくれました。

 

 

そんな覚悟をもって、父ともぶつかって、賭けに出たはずのお笑いも結局辞めてしまいます。理由は、それもまた“才能”でした。養成所に入ると、ネタづくりが得意なやつ、大喜利が得意なやつ…いろんな人材がいるなかで、自分には何もないなとすぐに感じました。でも思い切って飛び込んだ世界だから、最初は必死に自分のポジションを探そうとしましたよ。自分が面白くないなら、相方の面白さを引き立たせるツッコミになろうと。そこまでは結構いい判断だったんじゃないかな。ただ、そのあとに結果を焦ってしまったんですよね。

 

当時コンビを組んでいた相方は、僕以上にお笑いを純粋にリスペクトしているようなやつでした。一発屋のような売れ方ではなく、ネタのおもしろさで着実にのしあがっていくことを目指していました。一方僕は、養成所での自己紹介やたまに出るお笑いライブで、父・原博実をネタにしたドラ息子キャラがちょっとウケたのをいいことに、サッカーネタで勝負しようと言い張りました。父の影に追われるのが辛かったくせに、当時はすっかり開き直って、これも才能だ、くらいの気持ちでしてやっていましたね。とにかく早く目立たないと消えてしまうと相方を無理やり説得して、コンビ名も“ザッケルーニィ”というサッカー色の強いコンビ名にしました。まさに一発屋っぽい名前ですよね(笑)。

 

最初は相方も一緒にサッカーネタを考えてくれましたけど、元々サッカーに興味はなかったようです。徐々に違和感が強くなっていったのか、ネタ作りのたびに方向性の違いで喧嘩をするようになって、コンビを解散しました。その相方は、今も違う養成所でお笑いを続けています。

 

相方は、自分にない才能を補ってくれる存在でした。彼を失って、途方にくれましたね。仕方なくピンとしてR-1に出たのですが、そこでやるネタも結局父を引き合いに出すことしかできない。それが僕の発想の限界でした。結果はもちろん一回戦敗退。見込みなしと認めるしかありませんでした。サッカーを辞めたときの何倍も悔しかったです。初めて自分の意志で選んだ道でしたから。

 

 

 

そんなときに自分を救い上げてくれたのは、結局サッカーでした。きっかけは、ペナルティのワッキーさんの番組に呼んでもらったこと。サッカーネタをやっているからという理由で、ワッキーさんと一緒にサッカーについて語るコーナーに出させてもらったんです。お笑いのステージに立っているときと違って、サッカーの話をしているときは自分に自信が持てました。同時に、そうした番組に出るなかでサッカーの力にもあらためて気づかされました。お笑いって、売れている人でも100人集めるのは大変なんですよ。でも、サッカーは1万人以上の観客を集めることができるコンテンツ力を持っている。この面白さをもっと多くの人に伝えたい。そう考え始めてから、サッカーと真正面から向き合うことができるようになりました。

 

 

手を差し伸べてくれた著名な実況アナウンサーとは

サッカーの仕事に就きたいと、父に頭を下げたとき、「お前はバカか」と言われました(笑)。当たり前ですよね。でもすぐに、僕を仕事先に連れていって、番組制作の様子を見学させてくれました。仕事先の方にランチに連れて行ってもらったり、「お父さんにはお世話になっているよ」と声をかけてくれる人もいました。その中の一人が、実況という道を教えてくれたんです。局のアナウンサーにしかできない仕事だと思っていたのですが、そうではないキャリアの人もいることや、若手の人材が足りないからチャンスはあるということを聞いて、俄然モチベーションが上がりましたね。家に帰って改めてその人に電話をして、「やりたいです」と伝えたのですが、そこで4人の著名なサッカー実況の方の連絡先を教えてもらったんです。「俺ができるのはここまでだから、あとは自分の力で頑張れ」と言われ、藁をもすがる気持ちでその4人に電話をしました。そのなかで、一番前向きな反応を見せてくれたのが、今自分も所属しているフットメディアの西岡明彦*さんです。正直その4人の中では一番怖い印象があったので、電話をかけるのも最後でした。その西岡さんが「可能性はある」と言ってくれたときは、嬉しい反面驚きも大きかったです。

 

*西岡明彦:実況アナウンサー・スポーツコメンテーター。2004年にマネジメント会社 フットメディアを設立し、その代表取締役をも務めている。

 

その後、フットメディアと契約もしないうちから僕の実況の練習をしてくれることになりました。あらかじめ指定してされた試合に、僕が家で実況を入れる。テレビの音声をゼロにして、アテレコのように自分の声をかぶせるんです。そのテープを西岡さんに聞いてもらい、フィードバックを受けました。最初は「実況の“じ”の字もない」と言われましたね。最初の10分、15分ほどを聞けば、良いかどうかわかるそうです。今振り返ると、いつも同じことを言われていました。すごくシンプルですが、何の話をしているのか明確にすること。どちらが攻めて、どちらが守っているのかという主語をはっきりさせろということを何度も言われました。他にも僕のしゃべりの癖を指摘してもらったりと、本当に贅沢な指導を受けていました。

 

もちろんその間、正式な実況の仕事なんてないですから、フットメディアでの資料まとめのアルバイトをしながら、大学時代に取った教員免許を生かして小学校の時間講師をやっていました。科目限定で週5日です。担当科目の授業が終われば帰れるので、両立はしやすかったですね。芸人時代から、僕が原博実の息子ということで注目してくれていたFC東京のサポーターの方が主宰する劇団に参加させてもらうこともありました。教員免許と芸の道という、今まで置いてきたはずのものに救われて生きていた期間です。

 

初陣でやってしまった大失態

転機が訪れたのは2014年。J3発足の年に、YSCCの場内アナウンスのお仕事をもらったんです。DJジャンボさんこと中村義明*さんに、「どうやったら実況になれますか?」とこれもまた直接相談に言ったら、すぐにこの仕事を紹介してくれました。出来上がったばかりで観客も情報も少ないJ3を一緒に盛り上げていこうと、サポーターとコールアンドレスポンスをしたり、運営の方々と一緒にいろんなことを試していくのが楽しかったですね。この仕事が決まったのを機に、フットメディアと正式に契約を結びました。

 

*中村義明:ラジオDJ・実況アナウンサー。DISCO DJとして活動を始め、JリーグのスタジアムDJ、サッカー実況へとキャリアを広げた。

 

そこから順風満帆に行くかと思いきや、実況としての最初の仕事では大失敗をやらかしました。Fリーグの試合の実況だったのですが、僕も浮足立ってたんでしょうね。該当試合のチームの情報や監督の経歴をひたすらネットで調べて、その知識を自信満々に披露したんです。前半が終わると解説者の方が苦い顔をしていて…。「原くんが話してた監督、先週解任されたんだよ。」と。頭が真っ白になりました。そこにいない人の情報をどや顔でしゃべり倒すという赤っ恥をさらしたわけです。ネットの情報しか見ずに、最新のニュース報道を追っていなかったのが原因でした。切り替えろと自分に言い聞かせて、なんとかその試合の後半は持ち直しましたが、帰り道は絶望的な気分でしたね。“終わった”と思いながら西岡さんに電話で謝りました。今もこうして実況の仕事を続けさせてもらっているのは、奇跡です。

 

ありがたいことに2年ほど前から実況の仕事が増え、今ではアメフトやテニスなど、サッカー以外の競技の実況も担当しています。未経験の競技に最初は苦手意識もありました。NFLの実況の仕事の依頼が最初に会社に届いた時、難しいからといって会社の誰も手を挙げず(笑)、それで僕に回ってきたんです。どんなに勉強しても本番はわからないことだらけでしたが、解説の方も同様に勉強中という感じだったので、逆に肩の荷が降りた感覚がありましたね。細かい部分にまで詳しくなるより、“スポーツの面白さ”を伝えるためにできることを考えるようになりました。見どころになるシーンはどこか、何をもってビッグチャンスと言えるのかを考えながら、全体を通してメリハリある実況を心掛けています。たとえばサッカーと比べると、フットサルはピッチが狭いので、すぐにゴール前にボールが運ばれます。サッカーと同じようにいちいちゴール前のシーンで叫んでいると、叫び通しになってしまって見どころがわからなくなってしまう。競技ごとにそうした特徴をつかむようにしています。

 

原博実の息子から、原大悟へ

自分の強みや“色”を意識して、出せるようになってきたのは最近です。一つは、僕のプレーヤー時代の経験を生かしたDF視点を盛り込むこと。ゴール前でのチャンスから2,3手前のプレーに着目して、シュート以外の見どころも伝えています。それがわかると、サッカーはもっと面白くなると思いますから。もう一つはキャラクター性の部分ですが、「あいつとスポーツ見たい」と思われる実況でありたい。「あいつを連れていったら面白そうだよな」っていう存在でいたいですね。昔、西岡さんに、実況の仕事は“実況”、“インフォメーション”、“解説との会話”の3つだと教えてもらったことがあります。僕はクレバーなタイプではないので、インフォメーションでは勝負できません。だから、そのほかの部分で、見る人の気持ちを高められる実況でありたいです。初めてスタジアムに来たら、隣でめちゃくちゃ楽しんでるやつがいたからつられて盛り上がっちゃった、というような存在が理想ですね。

 

そのために、常にサッカー初心者の視点を意識するようにしています。ちょうど今、FC東京の応援番組のナレーションを担当しているんですが、その番組ではサッカーを全く知らない女の子二人が出演しているんです。番組内では、「フリーキックって何?」という基本的な質問も飛び出します。そんなときにはただルールを回答するだけや、難しい戦術を教えるのではなく「過去にはGKが蹴ったこともあるんだよ」なんて思わず笑ってしまうような豆知識を盛り込むようにしています。彼女たちと同じようなサッカー初心者にも楽しんでもらい、気軽にスタジアムに足を運んでほしいですね。

 

“原博実の息子”であったことは、結果的に幸運でした。僕が西岡さんと初めて出会ったとき、「“原博実の息子”という肩書は、10年、20年武器になる」と言われたんです。正直そのときは半信半疑でしたが、今ならわかります。初対面の仕事相手でも、サッカー界では誰もが父のことを知っていて、僕を気にかけてくれました。放送のこと、実況のこともまるで分っていなかった僕が、初仕事から4年でこうしてサッカーの仕事で生計を立てていられるのは、この世界での父の存在感のおかげだと素直に感謝しています。

 

しかし、今後は実況という職業自体が情報社会の壁にぶつかっていくことも予感しています。僕よりも若い世代、つまりこれからのサッカー人気を支える世代の情報感度は僕たち実況界の人間が思っている以上に高いです。今まで試合中に話していた選手の基本情報などはすぐにスマホで検索できてしまう。同じようなやり方を今後も続けていくなら、この仕事は未来から消えてしまうでしょう。僕は今、サッカー好きな学生とフットサルをしたり、SNSで交流したりしながら、彼らの感覚を探っています。プレーヤーとして高みに上り詰めることができなかった僕だからこそ、彼らと同じ視点で見えるものがあると思うんです。何かに秀でた“才能”は僕にはなかったのかもしれない。でもこの世界で次世代との懸け橋になれたとき、“原博実の息子”ではなく一個人“原大悟”としての価値が生まれる。その使命感が、今の僕を動かしています。

 


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